次々と成人映画館が閉館されている昨今、広島は市内に3つの成人映画館が今でも現役で頑張っている珍しい街だ。横川にある“横川ギンエイ”と的場町にある“広島的場シネマ・有楽座”、そして広島駅をかすめるように流れる猿猴川の近くに建つ『広島日劇』だ。 『広島日劇』のある荒神町界隈は、JR広島駅の東口からほど近い場所にありながら、時代が昭和のままストップしたかの様な多種多様の文化がひしめき合い、猥雑で怪しげな…それでいて親しみを感じさせる不思議な雰囲気を漂わせている。終戦後、原爆の傷痕も癒えぬまま、広島市民たちが復興を目指しながら闇市で賑わった町だけに、今も昔と変わらない姿の“愛友市場”や“猿猴橋市場”といった小さな市場が、庶民の台所を支えている。元々ダンスホールだった『広島日劇』が大映の封切館映画館として生まれ変わったのが昭和27年6月の事。 |
「終戦直後、広島の中心部は原爆でやられているから闇市は全てこの周辺に出来たんです。だからキャバレーとか歓楽街はこの界隈に集中したわけです。」と語ってくれたのは、代表を務める坂田道男氏。その後、大映の経営が悪化し、東宝の封切館となるも、映画の斜陽化は進み、昭和47年2月に成人映画館として路線を変更した。ダイニチ映画が倒産して日活がロマンポルノ路線に切り替えた年の事である。「その頃はお客さんの邦画離れが顕著に表れていた時代で、大手メジャーが自前で俳優も養えないものですから、俳優は皆、独立してプロダクションを立ち上げていたわけです。今まで作ればお客さんが入っていた“若大将”や“渡り鳥”といったシリーズ物が次々と終了せざるを得ない…本当にどん底の時代ですよね」と坂田氏は当時を振り返り、こう続ける「結局、地方の映画館は…特に封切館だとお客が入らないから、大変だったわけです」。テレビの普及によってブロックブッキング制度も崩壊し、ますますローカルの映画館は厳しくなっていったという背景が昭和40年代にあった。 「その救世主となったのが“日活ロマンポルノ”だったわけです。これが、爆発的に若者に受けた。映画館主にとっては、背に腹は変えられない…というわけで、地方のローカル映画館は殆ど成人映画館に変わっていったのです」当時の広島には日活の封切館が無かったため、日活の営業が半年かけてアプローチ。遂に先代の社長は、『広島日劇』を成人映画館に変える決断を下す事になった。「ところが、社長の家族や昔から勤めていた従業員から猛反対されましてね…それで、殆どの従業員が辞めてしまった。いくら経営のためとは言え、彼らには彼らなりの映画に対する思い入れがあったのでしょう“そういう映画をかける映画館では働きたくない”と…」そして、残った家族と共に劇場再建のために成人映画館として再スタートを切る。 |
しかし、まだ成人映画に対して偏見があった当時は、劇場に対して甘くはなかった。「新聞社は、どこも広告を出してくれず…何とか頼み込んでやっとタイトルだけ掲載してくれる事になった頃に、先代の社長から私宛に連絡が入ったわけです」当時、東宝の社員だった坂田氏は、“何とか力を貸してくれないか?”という一本の電話で、東宝を辞めて、広島に戻って来たという。ところが、“日活ロマンポルノ”を始めた途端に信じられない光景を目にする事となる。「もうビックリする程、お客さんが来たんですよ。それまでは1回の上映で場内に10人…ひどい時は5人くらいでしたからね。それが100人単位で増えるのですから、これが同じ映画館か(笑)と信じられませんでした」と語る坂田氏。土曜日のオールナイトには多くの学生が詰めかけて熱気で溢れかえる光景を久しぶりに見る事が出来た…と振り返る。最大のヒット作は、意外な事に、昭和51年に公開された一般作“嗚呼、花の応援団”だった。「場内の扉が全部閉まらないほどの入場者で、人の重みで建物が潰れるのではないかと思ったほど」と語る坂田氏。「夕方の回が始まって食事に行ったら社員から“社長大変です!もう、どうにもならん程お客さんが来ています”と言われて慌てて帰りましたわ(笑)」 元は2階席のある1つの大きな映画館だった『広島日劇』。改装時に2階席のみを映画館として残し、1階部分は現在、喫茶店となっている。入口のドアを開けると小さなチケット窓口が…そこから階段を上がって行くとキレイにメンテナンスされた明るいロビーが広がっている。「やはり成人映画という特殊な作品を掛けていますから汚いと、それだけでお客さんも嫌な気持ちになってしまいますから、ロビーと場内だけはコマメに清掃しているのです」と坂田氏は自信に満ちた表情で語ってくれた。場内に入るとピカピカに磨き上げられた床と年代を感じさせないシートが目に入って来る。かつては2階席だったという場内は思いの外広く、ゆっくりと映画を楽しむ空間作りを実現している。 |
坂田氏は成人映画の将来について「多分、成人映画という文化は10年持たないかも知れない…。ボクがこの世界に入って成人映画に携わった時に常に思っていたのが“いくらお客さんが入っても未来永劫続くものではない”という事でした」と語ってくれた。「先代の映画館主たちは“成人映画はストリップと違う”と訴え続け、あくまでも文化としての位置づけを勝ち取ったという経緯があった。だからこそ、昔馴染みの映画ファンとしてのお客さんがいる限り、続けて行きたい」と坂田氏は最後に締め括った。(取材:2008年10月) 【座席】213席 |
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