昭和30年から40年代にかけて日本経済を支えてきた国内最大級の規模を誇る中京工業地帯の中心的な工業都市ー四日市。三重県北部に位置する県下最大の人口を有し、JRと近鉄の乗り入れにより名古屋市内まで30〜40分という交通の便から名古屋のベッドタウンとしても栄えている。最盛期には近隣に工業団地が建設され、駅前の盛り場は工場で働く男たちで連日夜遅くまで賑わっていた。そんなJRと近鉄の間にあるアーケード諏訪栄町商店街と隣接する繁華街にある居酒屋とスナックが入った雑居ビルの3階に、今もロッポニカの看板を掲げる成人映画館『ロッポニカ四日市』がある。

日活がロマンポルノ路線に方針転換した昭和46年、全国にあった多くの直営館は成人映画館として再スタートを切るが、これが空前の大ブームを巻き起こす。それまでギリギリの経営を続けていた映画館主にとってロマンポルノは正に救世主となった。しかし、昭和60年に入るとアダルトビデオの普及によりロマンポルノに足を運ぶ観客は徐々に減り始める。






日活(にっかつ)は昭和63年に直営館をロッポニカと改名してロッポニカレーベルで再び一般向け映画の製作と配給を開始する。しかし、それも長くは続かず平成元年をもってロッポニカの製作は打ち切られ、直営館は再び新日本映像作品を上映する成人館に戻る。『ロッポニカ四日市』が設立されたのは、正に日活が経営方針に試行錯誤を繰り返していた時代に当たる。「これでも景気の良かった時は日に40人から入っていたもんだけど最近はお客さんがいない時は映写機を止めて、お客さんが来たら上映を始めているんですよ」と、入り口にある小さな受付に座っている経営者の南川正弘氏は笑う。『ロッポニカ四日市』が“四日市日活”という館名でオープンしたのは昭和57年。ロマンポルノ時代は場内が満席になるほどの盛況ぶりを見せていたが、ロッポニカに変わってしばらくすると次第に客足も遠のき始める。ビルのオーナーである南川氏は日活に直営館として2階を貸していたのだが平成に入って撤退を決定。





そこで南川氏は、閉館するならば…と劇場を引き取って現在に至っている。「普通の店舗ならば居抜きで貸す事も出来たのですが映画館、しかも成人映画という特殊な映画でしょう?こういう劇場を借りてくれる人がなかなかいないものだから仕方なしに私がやっているわけです」それまで飲食店を経営していた南川氏は興行の事を右も左も分からないまま映画館を引き継いだという。「だから僕は映画の事は全く分からない…ホント、ド素人ですわ(笑)」現在は新日本映像のみの二本立て興行で終映はお客様の入り具合に依るという。「ちょっと前までは大蔵映画と新東宝を混ぜて三本立て興行でやっていたのですが、ウチみたいな細々とやっている劇場にとってはフィルム代も馬鹿にならないものですから」

お客様も旧作のみというのを承知で来られている常連さんばかり。平日は5〜6人、休日は15人前後と決して経営は楽ではない。土曜日にオールナイト興行をしていた時代は朝まで映画館を宿代わりにするサラリーマンや飲み屋帰りのお客さんが多かったという。「今ではオールナイトもしなくなったから、一人でやっている分には儲けもしなけりゃ損もしない…トントンかな」猫の額ほどの狭いロビーを抜けて場内に入ると、思ったよりも広い空間に驚く。後方の座席で一部の椅子が後ろを向いている不思議な光景に目が止まった。「オールナイトで寝る人が多かったから、椅子を後ろ向きにすれば座席も広く取れて足を伸ばせられるでしょう。そうすればゆっくり寝られるだろうと思って僕が設置し直したんです」なるほど、向かい合った椅子の座面を下ろして足を掛ければ即席のリクライニングになるというわけだ。しかし、最近は近隣の飲屋街も夜早くには灯を落としてしまい以前のようなホテル代わりに利用される方はいなくなったという。「街自体も活性化していないし、飲酒運転も厳しくなったから終電前にはみんな帰ってしまう…だから以前と比べてこの界隈は静かですよ」



初めての人では見過ごしてしまいそうな小さな入口をくぐりチケットを購入する。カウンターには、かっぱえびせんや豆菓子等のスナック類がガラスケースに並んでいる。ロビーの奥には階上へと続く階段があり上にはトイレと映写室がある。今でもコチラではフィルムで上映を行っていたのだ。「フィルムを回している間は離れられないし、フィルムも切れるし…もうそろそろウチもDVDシアターにしようかなと思っているんですよ」現在は木曜が休館日として、開館日は朝11時前から夜の8時過ぎまでの営業。前述の通り、場内にお客様がいなければ映写機を止めて、その日のスケジュールを変更するそうだ。「コンビナートの景気の良い時は、季節労務者がたくさんおった頃は活気があって、今じゃ石油関係が厳しい状況でコンビナートもどんどん縮小しているから昭和40年代が一番だったんじゃないかな。まぁ時代だから流れに逆らっても仕方ない…溺れんようにするだけですわ」と、明るく笑う南川氏。強者共が夢のあと…静まり返った場内に立って、かつて場内が男たちで賑わっていた頃を思う。(取材:2012年9月)



【座席】 104席 【住所】 三重県四日市市諏訪栄町9-2 【電話】 059-352-3870

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