日本屈指の湯量と泉質の高さを誇る別府市。駅から5分ほどの場所に、別府北浜通りというスナックや居酒屋が軒を連ねる飲屋街がある。昭和30年代の高度経済成長期には、こうした温泉地に社員旅行で訪れた男たちが夜な夜な繰り出していた。温泉場に付きものだったのはキャバレーやストリップなどのお色気産業だ。かつて別府北浜通り沿いに多くの男性旅行客で賑わっていたストリップ劇場『別府ロック座』があった。近くには別府八湯温泉祭りに使われる神輿(前が男性のシンボルで裏が女性のシンボルになってる)やよい天狗がある。かつて最盛期には300席あった客席が全て埋まるほどで「東の浅草ロック座、西の別府ロック座」と呼ばれていた。当時は早い時間に映画をやって夜の10時11時くらいから朝の5時頃までストリップをやっていた。天井の三角屋根のギリギリ12メートルくらいのところに映写室があり昔は映写技師は梯子で登っていたという。」

ストリップの営業は夜中の12時から始まり明け方に終わるというのがメインだったが、風営法によって11時半には灯を落とさなくてはならなくなった。「今からストリップ始まりますって看板を出していた時間に閉めなくてはならない法律に変わったので、一時期は夕方過ぎの7時から営業していたのですけど、1990年代後半までは続けていましたが、そんな時間からお客さんが来ないので一旦休止したんです」と語ってくれたのは、以前取材させていただいた西法寺通りにあった成人映画館『別府ニュー南映』の支配人だった利光雄志氏だ。決して観客に飽きられたわけではなく、法律によって締め付けが厳しくなったため全国から個人のストリップ小屋が次々と閉館していた時期だ。昭和40年代までは映画館でもステージを作って実演という名目でストリップをやっていたが、個人の映画館に踊り子さんを配給する広島と東北にあった会社が廃業してしまい事実上、個人館は営業が出来なくなってしまったのだ。「営業が短くなったので規模を縮小しようという事となり、デベソと呼ばれる前に突き出したステージを作って客席を100席に減らしたのですが、それでもまだお客さんが少ないので、今までのような形でストリップだけではやっていけないから規模を縮小して、しばらく成人映画館として興行を継続して、2階をビリヤード場にしたんです」


当時はトム・クルーズ主演の”ハスラー2”がヒットしてビリヤードの人気が沸騰して連日多くのお客様が来ていた。1階の『別府ロック座』を休館にしたのは1998年。「ロック座を閉める時に廃業届を出さなかったのは一度届けを出してしまうと、ここで成人映画は出来なくなるからです」結果として25年間休館扱いとした利光氏の判断は正しかった。2000年に『別府ロック座』だったスペースをプールバーに改装した。10年後にはビリヤード場『ビリヤードミナミ』としてリニューアルオープン。しばらくは『別府ニュー南映』と併走する体制が続いた。利光氏が映画館とビリヤード場を掛け持ちされていたが、お父様も年齢的に映画館の仕事を続けるのが厳しくなり、長年働いていた従業員も定年となったため、映画館の営業を夜9時、ビリヤード場を夜だけの営業に切り替えた。ところがお客様から「どうして営業時間が短くなったのか?」と声が上がってきた。更に映画館は老朽化のため、大規模修繕が必要となった。「それで改修にどれくらい掛かるのか見積もり取ったのですが…東京オリンピックが決まる前よりも工事費用が3〜4倍くらい多く掛かる事が分かったんです」この金額では現実的に難しいと思った利光氏が考えたのが映画館をビリヤード場に近づけてワンオペレーションで運営するという事だった。

ビリヤード場を半分に分割して『別府南映劇場』は2012年5月22日にオープンした。上映作品も今まで通り新東宝と大蔵映画の週切替の3本立てだ。「この2社さんは昔からの付き合いで融通を利かせてくれるので助かっています。営業さんが週切替だと作品が無いと困るでしょう?って言ってくれるのでありがたいです」取材当日の朝、開場してから30分も経たないうちに窓口にはコンスタントにお客様が見えられる。そうこうしている間にロビーの椅子は満席状態で各人新聞を広げて上映が始まるのを待っている。「今日は朝から雨が降っていたけど、さっき上がったでしょう?雨が上がるとお客さんが出てくるんです。今週はずっと雨続きでしたが今日は朝から晴れる予報だったので若干は来るかなって思いますよ」という予測通り小1時間もしない間に次々と常連さんが窓口を訪れる。ビリヤード場のカウンターに立っていると映画館の窓口にお客様が来るとセンサーでチャイムが鳴るためワンオペも可能となった。映画館の奥行ったエントランスも計算された設計となっており、成人映画のポスターは道路に対して90度の面に貼らなくてはならず奥入ったエントランスにする事でポスターを貼る事も可能となった。ちなみに入口に置いている「成人映画」の電飾看板(無くてはならない映画館のシンボル)は『別府ニュー南映』から持ってきたものだ。


『別府南映劇場』の場内は縦に長く、奥には壁全面に張っている大きなスクリーンが見える。スクリーンを出来るだけ大きくしたのは利光氏のこだわりだ。「僕は子供の頃からスクリーンは大きいのが好きだったので壁ギリギリまでのスクリーンを発注したのです」兼ねてから映画館に行く度、スクリーンの周りにある余分な暗幕スペースが気になっており、それが無ければもっと大きく出来るのに…と常に思っていたという。どうしても業者任せると作業効率の面から規定の仕様になるため、利光氏は壁ギリギリまでのスクリーンを発注して自分で張ってしまったのだ。「自分は元々看板屋をしていてテント看板も張っていたので、台車に乗せて一人で張りました」平面図で見ると場内は、入り口側が狭く奥の方が広い台形の形になっている。通りに面した入口の間口が狭いため、表から見ると映画館に来たお客様が人目を気にせず入りやすくなった。「ビリヤード場に来るお客さんも隣に成人映画館がある事を気づかない方もいらっしゃいますよ。そういった事も考慮した設計にしたんです。台形でもギリギリ長方形に見えるようにしたかったので、前方を直線にして後方から斜めの壁にしたのですが…これはどれだけ設計士さんに説明しても分かってもらえなかったので自分で絵を描きました」椅子はコトブキ社製を採用して座席数は50席とした。「本当はもっと座席数を増やしたかったのですが、今の椅子はどれも幅が広いのでこれが限界でした。でもある人から椅子を増やして空席が多いよりも椅子を減らして空席を目立たなくした方が、流行っている印象付けになると教えてもらって納得したんです」


現在の映写室はビリヤード場の厨房の天井裏にあり、フィルムからデジタルまで対応出来るよう色々な機械を使って上映している。フィルム映写機と違ってデジタル機器だとフォーマットが変わったり、あまりに古くて修理が効かない機械もあるため、データが来る度その都度色々変えて上映しているという。フィルム映写機は故障してもあり合わせのものを使って部品作って対応していた時代と異なり、精密機械の基盤では簡単に修理は出来ない。「僕も少し知識があるから機械の調子が悪いからと部品を探すにしても今の日本で揃えられるのは秋葉原くらいしかないんですよね。ひとつの部品に2〜3日掛けなくてはならない。だから現実的に個人や家族経営でやっている映画館はどこも厳しいと思います」

全ての作品がデジタル化されているわけではない現在の成人映画業界では配給会社によってはフィルムしか無い作品だったり、デジタルでもフォーマットや記録メディアが異なったりするため、それぞれに対応しなくてはならない映画館は多忙を極めるのが現状だ。「送られてきたDVDが今のデッキでは再生出来なかったり、逆に初期型のDVDならば再生出来たり…という事が多々あるので、複数のメーカーで6台くらいDVDプレイヤーを持っていますよ」メーカーによって再生の信号が違うので画面が小さくなったり、比率が16:9になったり、最悪なのは横だけ伸びたりする事がある。「作品が届くたびにモニターで確認してようやくスクリーンに投影が出来るわけです。こういった作業をウチは休みが無いので映画館を閉めてから全て夜中にやるんです。他の映画館も同じ苦労をされているようで、ウチはどういう対応をしているのか?をよく質問されますよ」


現在のお客様は『別府ニュー南映』から引き続き来られている方が多いのかと思いきや、顔ぶれは随分変わられて新しいお客様が多いという。前からの常連さんは、これからも続けて欲しいからと足繁く通ってくれている。「それでも世代も変わったんかな…と感じますね。来ないわけでもないけど足が遠のいているとかね。やっぱりコロナになって4年は長かったですね。もっとも、その1〜2年前から人の流れが変わりだしたな…って思ってました」コロナ禍では緊急事態宣言が出てやりたくても閉めなくてはならないという明確な答えがあったが、コロナが明けてからは皆目見当がつかないというのが正直なところだという。常連のお客様からは「そんなのいいやん開けときなよ」と言われたものの、やりたくても映画会社が全て休んでいるため掛けられるフィルムが無かった。「あの時は連絡しても電話に誰も出ないし、制作会社だけではなく配給もポスターの会社も休んでいて3ヶ月以上も連絡がつかなかったんですよ」更に2回目の緊急事態宣言の時は行政が見回り始めたため余計開けられなくなった。「長い映画館の人生で長期休館というのはあれが初めてでした」

コロナが明けて落ち着いてきたとは言うものの以前のようなお客様は戻っていない。最近はお客様がゼロの時もあるそうで、原因についても過去の統計が全然アテにならず明確な答えが見つからないと述べる。それは映画館だけに止まらずビリヤードも同じだ。「ウチの父親がいつもビリヤードとか映画とか業種でいう興行業というのは一度落ち出したら戻るのに約10年以上掛かる。日報をつけて平均した粗利に満たないくらいに落ちた時は回復するのに12年は覚悟しておけと言ってましたがコロナでその通りになったわけです」元々従業員を置かずに家族経営で最低限の人数で回せるようにしていたおかげで続けていられると利光氏は言う。「まぁ、いずれこうなるんやないかな〜って思って体制を作っていたのが的中したわけです」フィルムからデジタルへと変わり、時代の変化とコロナによって映画館を取り巻く環境が激変してしまった現在。利光氏は映画館を運営する苦労話をしながらもどこか楽しそうに話す。「どうなんやろうね…答えが見つからないよね。ただ、全てを業者さん任せにするのではなく、映写する機械にしてもスクリーンにしても全て自分で色々やってみて初めて分かる事があるんです」よりキレイな映像で映画を観せたい。少しでも大きなスクリーンで映画を観せたい。採算よりもそこに映画館の価値を追求して来たからこそ機材の話しをする時は饒舌になる。あえて古い言い方をすれば根っからの活動屋なのだ。


ひとつの映画を上映するにも試行錯誤を繰り返す。映写に対する父親譲りのこだわりを長年貫いてきたからこそ導き出された形があるのだとお話を聞いて感じた。「スクリーンに投影されるものに関して親父の目はごまかせなかった」と利光氏は語る。「一度、借りてきたプロジェクターで黙って投影してみたら父は一目で、これはダメや!って言いましたもんね。これはビデオやろうがって。絵に厚みが無いけんつまらんって言うて、これはお金をとって活動屋が映す絵じゃないって。ウチは移動活動屋じゃなくて固定の昔からの活動屋だから、同じ影でも厚みのある影を映しちゃらんとダメだって言ってました」そこから利光氏はプロジェクターについてどのメーカーが何ルーメン(明るさ)あるのかを徹底的に勉強したそうだ。

休館中の『別府ニュー南映』だがリフォームして再開しようという思いは変わっていない。工事費の折り合いが付けば、1階をミニシアター、2階3階をオルタナティブスペースとゲストハウスのような施設を作りたいと考えている。映画館の裏にはバイクを止めるスペースを設けて、何よりも温泉が出るので温浴施設を兼ねた遊戯施設も作る計画まで立てていた。「構想は色々出来ていたんですよ。シアターもお客さんが持ち込んだ作品を上映するとか…今の建物を枠だけ残して全部作り変える計画なんです」と語る利光氏は、まだ『別府ニュー南映』の再建は諦めていない。今後何年掛かっても若者が集う施設が出来るのを楽しみに待ちたいと思う。(取材:2024年2月)


【座席】50席 

【住所】大分県別府市北浜1丁目3番27号 【電話】 0977-21-8788(別府南映劇場) 0977-26-6660(ビリヤードミナミ)

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