映画館のサービスが多様化している中、常に新しい試みで「映画ファンのニーズにあった映画館作り」を目指しているシネマコンプレックスが1999年10月にオープンした。東京に隣接している千葉県市川。駅から歩いても10分程度の商業施設“ニッケコルトンプラザ”内の“ヴァージンシネマズ市川コルトンプラザ”は“ヴァージンアトランティック航空”のグループらしい新鮮なサービスを次々と打ち出していた。併設されている劇場が運営するフルハムロードカフェは正に空港のラウンジ。日中は自然光を充分に取り入れ上映までの待ち時間をゆったりと過ごすことが出来、夜になるとムードは一変して大人のバーといった様相を呈する。あらゆる角度から映画…というよりも映画館を楽しめる場所なのだ。吹き抜けのエントランスを3階までエスカレーターで上がって行くと黄色と赤のコントラストが印象的な劇場が姿を現わす。ロビーが吹き抜けとなっているせいか混雑していても解放感がある。エスカレーターの正面にあるチケット売り場にはガラスの仕切が存在しない。「これはスタッフとお客様とのコミュニケーションを大切に考えているからです」と語ってくれたのは広報宣伝部の勝浦恵美さんだ。 |
「お客様が映画館に足を踏み入れた時からエンターテインメントは始まっているんですよね。映画鑑賞も含めて喜んで帰って頂く…そういう精神でサービスを心がけているんです」そういったサービス面で特徴的なのが“シネマイレージ”サービスだ。入会(入会金無料)すると映画を観た分だけポイントが貯まり、6回観ると7回目が無料になるという特典付き。しかも年間最多鑑賞者にはトロフィーと記念品が授与される(関連記事有)のだから映画ファンにとっては魅力的なサービスだ。ちょうど取材した当日は、シネマイレージの年間MVP受賞式が特設ステージにて盛大に行われていた。プレゼンテーターを社長である山本・マーク・豪氏が…また特別ゲストとしてKONISHIKIが参加して、何と!年間150本以上も観賞した強者が記念のトロフィーと「ヴァージンアトランティック航空で行く東京・ロンドン間の往復航空券」を手渡された。 |
「これはヴァージンシネマの母体である“ヴァージンアトランティック航空”のノウハウを劇場に導入したわけなのですが、一番の特長はお金に換えられないサービスということで“シネマイレージ・レポート”というのがあります。年一回、ご希望のお客様には映画鑑賞履歴(いつ何を観たか)を郵送させていただいているのですが、これはお客様の想い出をお送りするということで私たちも自信を持っているサービスです」たしかに年間何十本も映画を観るコアな映画ファンにとってはありがたいサービスだ。ちなみに、このサービスを導入してわずか一年足らずで会員数は10万人を超えたというのだから驚く。また、今年の4月からシニア向けのシネマイレージサービスがスタート。これによってシニアの方たちがどんどん行動的になってくれるとしたら素晴しい事だ。勝浦さんは「映画業界が、また活気を取り戻せるのではないか…と信じています」と続けてくれた。 |
そして『ヴァージンシネマズ市川コルトンプラザ』のもうひとつの特長は何と言っても“プレミアスクリーン”だろう。専用のバーとクロークを備え、座席には専用テーブル…そして是非、体感してもらいたいゆったりとした座り心地のリクライニングシート。まさしく映画館のファーストクラスなのだ。「料金が普通のスクリーンよりも若干、高いのですが結構リピーターの方がいらっしゃるんですよ。一度利用された方がお友達に推薦してくださったり…どんどん利用される方が増えてますね」記念日に特別な人と“プレミアスクリーン”で贅沢な、そして大切な一時を過ごしてみるのも良いだろう。 勿論、“プレミアスクリーン”以外の場内の座り心地も抜群(某テレビ番組の映画館の座席の座り心地ランキングで堂々1位を獲得しただけの事はある)、どの位置からでもスクリーンの視界は申し分ない。それもそのはず、コチラの劇場は全国でも珍しい全スクリーンがTHXの認定を受けている劇場なのだ。「THXの基準は音響だけではないんです。例えば座席に座ってからスクリーンまでの視界は何度なくてはいけないとか…こういった基準をクリアされていなければ認可が降りないんですよ。全てのスクリーンが基準を満たしているというのも劇場として誇りを持っています」年一回アメリカから検査のスタッフが来日して、その基準を満たしていなければ認可が取り消されてしまうのだから劇場としても手が抜けないのだ。「映画館で観た映画って本当に良く覚えているんですよね。映画館に足を運んで、大勢の人と同じ時間を共有する事って素晴しい事だと思うんです」その素晴しい時間を提供してくれる作品を良き想い出にすると共に映画館自体が素晴しい想い出となる様に接するスタッフの笑顔が、もしかすると最高の売りなのかも知れない。(取材:2001年3月) |