長崎県北部に位置する戦前から軍港として栄えてきた港町―佐世保市。アメリカ海軍基地があることから国際色豊かな活気を見せていた繁華街・京町界隈には、かつて9館の映画館が軒を連ねていたという。「佐世保の場合は終戦直後に進駐軍相手のキャバレーやダンスホールがたくさん建てられたのですが…朝鮮戦争が終わって進駐軍が引き揚げると今度はホールの天井の高さを活して軒並み映画館に改装したんですね。実は、ウチが最初に立ち上げた映画館も元々はキャバレーだったんですよ」と語るのは現在、佐世保市内に唯一残るシネマコンプレックス『佐世保シネマボックス太陽』の代表を務める牛島義亮氏。佐世保市内の繁華街として多くの飲食店が建ち並ぶ島瀬町にある8階建てのビル…中には大小7スクリーンを有する劇場が入っており、“映画を観るならココ!”と多くの地元の人々が訪れている。 |
『佐世保シネマボックス太陽』の前身となる昭和30年に創設された客席数300席を有する“スバル座”は洋画の再映館として、安い料金の二本立て興行(別名“55円劇場”という愛称で親しまれていた)で連日多くの観客で賑わっていたという。その後、現在の場所に客席数400席の洋画ロードショウ館“太陽”を設立し、2館体制で新旧洋画の名作を送り続けた。映画も斜陽産業と言われ、大劇場よりも小回りが利く効率化を求められるようになった昭和61年に現在のビルを新設、4スクリーン体制で再スタートを切る。「ちょうどその頃、松竹の邦画を掛けていた契約館が火事で焼失してしまい、看板番組の寅さんを上映する劇場が無かったものだからウチに声が掛かり“スバル座”が松竹の契約館となったワケです」その名残りから今でも7スクリーンのうち1スクリーンは“太陽松竹”という館名のままでその名が通っている。「今では松竹の直営館ではないのですが…、唯一ウチだけは松竹の名前を残しておいてもイイんじゃないか?と」。
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24歳の頃から映画の買い付けから営業までを一手に行っていた牛島氏が先代から運営を引き継がれたのは19年前のこと。「当時は1スクリーンに1配給会社という形態でしたから、大作が来ると何週間も同じ映画を上映しなくちゃならない。入らなくなって他の映画を掛けたくても出来なかったワケですから、ブロックブッキングになった時は本当にありがたかったですね。まぁ、それでも続けて来れたんですからお客さんは入っていたんでしょうね(笑)」と語る牛島氏が今でも記憶に残るのは、連日チケット窓口には長蛇の列が出来ていたという“エクソシスト”の大ヒット。その後、“燃えよドラゴン”や“マッドマックス”等々、コンスタントに快進撃が続く。「ワーナーブラザーズの作品は、期待していないところでヒットするのが多くて(笑)“ブリット”や“燃えよドラゴン”なんかはお客さんがそんなに入ると思わなかったからね」特に併映作品的な位置づけだった“マッドマックス”のヒットは業界の話題となる程だった。 |
「最近の映画館はコンビニエンス化しているよね」と牛島氏は現在の映画館状況について批判する。「だんだんデジタル化が進んでチケットもネットで予約すれば自動券売機で買える…つまり接客する事を無くして映画を観せるだけの施設になっている。昔の映画館は地域に根付いた文化の交流の場所として、そこの支配人は街の名士でマスコミ関係とも交流をしている文化の牽引役だったわけですよね。それが、今は無いでしょう?チェーン化している映画館の支配人は上映作品の選択権すら無かったりする」確かに、マニュアル化した映画館は、商売としては成り立っても文化の発展という点においては将来の展望が見えないというのが現状だ。だからこそ『佐世保シネマボックス太陽』のようなマニュアル化されていない運営する側の思いが施設や作品選定に表れている映画館に愛着が湧くのだ。しかし牛島氏は、これからの映画館はどんどんコンビニエンス化の方向へ進んで行くであろうと分析する。「ウチみたいな劇場は取り残された映画館かも知れませんよ」という牛島社長だが「それでも映画っていうのは他の仕事と比べると面白いですよね?儲からないけど」と笑う。 興行が当たるか当たらないか…は経営者からすると博打のようなもの。試写会で“これはイケる!”と思った作品にお客さんが朝から長蛇の列を作っている光景を見た時の喜びは何ものにも変え難いそうだ。「そんな映画の話をお客さんと語り合うのが楽しいんですよね。今では、映画館を続けるために他の仕事をやっているようなものですから…それだけ映画の魅力に取り憑かれているっていう事でしょうね」作品選びも映画館の個性だと思ってますから…と自負する牛島社長。上映作品(特に単館系の再映作品)の選定は劇場スタッフ全員で意見を持ち寄って決めているという。「昔からの常連さんが多いから、他所でやっている映画の情報を聞きつけると直接リクエストされる方が結構いらっしゃるんですよ」お客様から要望があれば、儲けは二の次にしてでも映画ファンが望んでいる作品を検討してくれるのも地元密着型のシネコンならでは。「お年寄りの方なんか長崎市までは、なかなか行けなくても佐世保だったら観たい映画ってたくさんあるはずなんです。そういう人たちのためにウチの小屋があるわけです」 |
昨年10月には全スクリーンがデジタルとなり、それまで佐世保では観られなかったシネマ歌舞伎等の作品が提供出来るので楽しみだという牛島社長。その一方で長崎県にある上五島や対馬などの離島に出向いて出張上映も行っているという。映画館が存在しない離島では映画を観る事が出来ず、そこの島民も方から以前、牛島社長に映画を持って来れないか?という相談を受けてから定期的に開催している。「子供たちに映画を観せたいという思いからスタートしたわけですが、最初は船に映写機とフィルムを積んで出かけていましたが、最近ではようやく公民館に映写機を設置してくれた島も増えているんですよ」最近では、人口2800人程の五島列島の端にある宇久島で上映会を行なったところ、何年ぶりで映画を観たという人が多く訪れたという。「地域によって環境は様々ですが、せめて僕らが出来る最善の事をしていきたい…と思っています」(2011年9月取材) |