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ただ再開発をするのではなく、ちゃんと収益を作れる事業にしなくてはならないと、商店街の人たちが出資をして“台町ティー・エム・シー”という街づくりを目的とした会社を立ち上げた。計画から8年間は再開発の研究会を続けながら、こつこつと資金を貯め続け、遂に平成14年に宮城県から再開発の認可を貰う事が出来た。それでは何をすれば良いのか…地元の人たちに、この地域に必要なものをリサーチしたところ、新しい映画館が欲しいという声が多く上がった。昭和30年代には古川に4つの映画館があったが、やがてブームが去ると1館また1館と閉館して行き、平成15年にはとうとう最後まで残っていた映画館も閉館。しばらくは映画館の無い街となってしまった。だからこそ、昔を知る地元の人々は映画館という特別な日常空間の復活を求めたのだろう。そして、古川市が合併して大崎市となった平成18年3月に待望のシネマコンプレックス『シネマリオーネ古川』がオープンした。 「映画館を作るといっても我々も素人ですからね。大手のシネコンを運営している会社にも誘致を呼びかけたり、地元の映画館にも声を掛けたのですが、なかなか上手く行かず…だったら自分たちでやるしかないと…」その道のりは険しいものだったと、代表を務める望月俊一氏は当時を振り返る。「配給会社や興行会社に声を掛けていた時、東急レクリエーションさんから連絡があったんです。当時、会長だった佐藤進さんが古川近隣の出身で、何で古川で映画館をやるのに俺のところに来ないんだ!って(笑)あれには驚きましたね」遅々として進まなかった計画も、俺に任せておけという会長の一声でどんどん進み始め、番組編成からコンセッション、チケットボックスなどの運営方法に至るまでのノウハウを全て無償で提供してくれたのだ。「当時の映写もフィルムで複雑でしたから、全部トレーニングをしてもらって…本当に一番良い条件で救っていただきました」 |
また望月氏とともに開設準備責任者を務めた現在の支配人関内氏は、『シネマリオーネ古川』だけのウリになるものを作り出せないか…と、設計士と共に色々な映画館を視察。その中から生まれたのが独自の音響システム“T.M.C ナチュラルサウンド”だ。「音響会社の皆さんが、我々の思いを具現化してくれました。ただ大音響で聴かせるのではなく、風の音だったり、木々のざわめきみたいな自然音を音質にこだわって忠実に再現した音響システムです」 また、お客様との触れ合いを大事にしており、チケットは対面の手売りにこだわる。「初めていらっしゃるご年輩の方はシネコンのシステムに慣れていない。だから、お客様とのやり取りの中で良い席をお勧めするというのも必要と思うのです。経験のあるスタッフは、相手を見て、お席を勧められるのですごいですよ。ウチみたいな田舎のシネコンは、ある意味それも特長であり、技量でもあるんです」オープン当時は映画館を新しく立ち上げる事に対して半信半疑な部分もあったという望月氏。確かに当時は、ビデオが定着して人々が映画館に来ないという時期でもあった。その後、シネコンも多様なニーズにも応えられるようになり、カスタマイズされた運営モデルも生まれ始めてきた。「運営とか作品も田舎には田舎のモデルというのがある。何とか現場のスタッフも古川モデルを探し出すよう日々頑張りました」 |
オープンから3年は無我夢中だった…という望月氏。自分たちなりに創意工夫をして古川らしいシネコンを確立し始めた矢先、宮城北部地震が発生する。震度6の揺れは一部シアターの天井材を崩落させて、修理に3週間を要した。更に2年後…記憶に新しい東日本大震災が東北全域を襲った。「この時は場内全ての天井が落ちてロビーなんかメチャクチャでした。正直、これで再開出来るかと思いましたよ」勿論、映画館だけではなく、スタッフ全員の自宅も同じような状態で、1ヵ月間はどうなるのか分からない中で時間が過ぎて行った。 やがて電気が通り、電話が開通した4月の終わり頃、劇場に一本の電話が鳴り響いた。「お客さんからの電話で、映画館どうすんの?って(笑)そういった問い合わせが何本もあったんです。こうした再開を待ち望む声に一番背中を押してもらえましたね」既に再開に向けて動き始めていたスタッフにとって、映画を待っている人たちが大勢いるという事が何よりの励みと力になったのだ。「再開する事を約束したら、ずっと待っていたので嬉しいですと、本当に喜んでもらえたのです。地震という大変な出来事から何とか歩み出そうとする時に、何か希望が欲しいんだなって思いました。映画というのもひとつの希望なんですね」そして地震発生から4ヵ月後、夏休み興行にギリギリ間に合って、7月上旬に再オープンを果たした。 |
勿論、すぐにはお客様も戻って来る事はなく、しばらく厳しい時期が続いたが、“アナと雪の女王”の公開を機に潮目が変わったという。「震災の前年の平成22年は、興行的にとても良かっただけに大変でした。改めて思うのは、一番は作品なんですね。良い映画であれば、どんな劇場でも、どんな状況でもお客様は来てくれる。だから、粛々と良質の映画を掛け続けて行きたいと思いました」現在、メインとなるお客様の層は、小中学生とシニア層が中心で、子供たちも友だちと連れ立って自転車で気軽に来られたり、年輩の方も路線バスを利用して隣町から来られる利便性が重宝しているようだ。必然的に、上映作品もアニメから時代劇まで幅広く網羅している。ちなみに、昨年公開された時代劇“殿、利息でござる!”は、隣町の黒川郡大和町が舞台のご当地映画で、実写では一番の動員数を記録した。「この映画には年輩の方だけではなく、若い人も来てくれて、ウチのお客様にはマッチしていたみたいです。時代劇だからと言って若者が来ないわけではない。キッカケと観たい映画さえあれば来てくれるんですね。だから我々はキッカケ作りをしていくのが大事なのです」 いつかは採算を度外視して自分が観せたい映画を掛けてみたいという夢を持ちつつも、今はとにかく堅実な経営をしていく事が一番という望月氏。「お客様からのアンケートで、よく頂くのは、とにかくこの場所から映画館の灯を消さないで欲しい…という声です。今まで古川には、シニアの人たちが楽しい時間を過ごせる場所が少なかった。休日、ご夫婦で出掛けて、食事をしたり買い物をしたり…そんな都会と変わらない生活だって映画館があれば出来るはず。だから、ここを長く続けていくのが、私にとって最大の使命かなと思うんです」地元の人たちの声によって、映画館が無くなった街に復活した『シネマリオーネ古川』。今度は皆の力で、映画館を中心に新しい街に生まれ変わる番かも知れない。(2017年8月取材) |