大阪の下町・布施駅から線路沿いを歩いて5分ほどのところに、戦前から地元の人々に親しまれている映画館がある。平成9年12月に街のシネコンとしてオープンした『布施ラインシネマ』だ。前身は、東大阪市が布施市だった戦前にさかのぼる。昭和8年9月に600席を有する松竹の封切館『昭栄座』を設立した岡島興業(株)が、バラックが建ち並び、闇市で賑わっていた駅前に次々と映画館を設立したのが始まりだ。戦後すぐの昭和21年6月に客席数600席の大映・日活の封切館『朝日劇場』を設立したのを皮切りに、昭和24年12月には鉄筋二階建て冷暖房完備・客席数1500席を有する洋画専門の大劇場『東大阪劇場(後の布施東映から布施東劇)』を堂々完成、昭和27年8月に客席数1000席の東宝・日活と洋画を上映する『リオン座』をオープンさせた。日本映画も最盛期を迎える昭和30年代には、400席の『光楽座』をオープン。さらに『昭栄座』を1200席の大劇場に改築して、その地下には客席600席の『昭栄シネマ』を新設した。

やがて娯楽の多様化によって映画も斜陽期を迎え、昭和50年代から平成にかけて、布施駅周辺に24館あった映画館も次々と閉館。そしてシネコンの時代が訪れると、いち早く『リオン座』を解体して7スクリーンが入る『布施ラインシネマ』を立ち上げた。線路を挟んで反対側にあった『布施東劇』『昭栄座/昭栄シネマ』を平成12年には3スクリーンの劇場に集約して『布施ラインシネマ 南館』というアネックスを設立して、平成22年まで10スクリーン体制を組んでいた。昨年12月に20周年を迎えたばかりの『布施ラインシネマ』だが、設立当時はまだシネコンが関西に定着しておらず、新しいシステムに戸惑われる観客も多かった。「関西ではウチが2番目くらいでしたからね。お客様もスタッフも初めての経験だったのに、その上オープニング作品が、“タイタニック”だったので大混乱でした」と語ってくれたのは支配人を務める稲内康行氏だ。

「その時の状況はすごかったです。当時はまだ指定席どころか入替制も導入しておらず、とにかくお客様を流し込んでいた時代…勿論、一日中いても良かったので、ディカプリオのファンは朝からずっと観ていたと思いますよ。今では勿体ない話しですよね」最終的に“タイタニック”は、1年というロングランヒットとなり、おかげでかなり広い範囲に映画館の存在を認知してもらえた。半年後には“千と千尋の神隠し”が大ヒットを記録(この両作品が歴代のトップを独占)して、翌年には、“アルマゲドン”と“スターウォーズ エピソード1”が続くという興行界が大きく変わる転換期だった。「大変でしたけど、良い年にオープン出来たと思います」ちなみに場内はシネコンには珍しく、それぞれデザインや色が異なっている。これはまだ既存館とシネコンの過渡期に設計されたから。スタジアム形式を採用している『Cinema 1』以外がワンスロープ仕様となっているのは、年輩のお客様に配慮したバリアフリーの観点からだが、それまでの映画館はワンスロープが当たり前だった…という理由もひとつだ。(サイトにスタジアム形式は『Cinema 1』のみと断りを入れている点に好感が持てる)


金曜日の夕方…1ヶ月遅れの“ゲットアウト”に、場内は年輩のお客様でイイ具合に席が埋まり始めている。お客様の年齢と作品のギャップに驚いていると「大体、金曜日はこんな感じですよ」と稲内氏は笑う。コチラに来られる男性のお客様は、特に何を観るか決めずに映画館にぶらっとやって来てから決めるという。「しばらくタイムテーブルの前で、何を観ようか考えている方が何人もいますよ。時間を潰すために観た映画が意外と面白かった!と言われると、ちょっと複雑な気持ちですが(笑)こんな映画の観方も昔ならではですね」

こちらに来られるお客様は半径3キロ圏内にお住まいの方が8割と完全に地元密着型のシネコンである。そのためメインとなるのは昔馴染みの年輩の方々が中心で、殆どが自転車で15分かけて来場されている。また、休日や夏冬春休みには自転車に乗った子供たちが友だち同士連れ立って来る光景が見られるのも街なかのシネコンならでは。昔ながらのアーケード商店街に隣接している立地の良さから、近隣のお母さんたちは、わざわざ電車に乗って人混みの映画館に行くよりも買い物ついでに立ち寄れる利便性を選ばれている。


デジタルに切り替えたのは6年前。それまでは各劇場のフロアが分かれているため、フィルムをエレベーターで何度も運搬(時にはフィルムを担いで階段を上り下りした)して大変だったと稲内氏は振り返る。「当時は周辺にシネコンはウチだけでしたから“千と千尋の神隠し”は『昭栄座』でも時間差で上映していたんです。線路の反対側にフィルムを持って行くのが辛くて(笑)そうしないとお客さんもハケて行かないので、仕方ないですね。でも古株の映写技師さんに言わせると、そんなの昔は普通の事だった…と一笑されました」

そんな布施もここ10年でシネコン激戦区となった。「厳しい状況ですが映画を楽しみに足を運んでくれる方が多勢いてくれて、本当に励みになります。毎日のように来てくれる方や、気に入った作品を何回も観に来られる方…皆さん生活の中に映画を習慣として組み入れているのが嬉しいです」と稲内氏は顔を綻ばせる。顔見知りの常連さんは、映画好きのスタッフを見かけると「おったおった!」と近づいて、今観たばかりの映画について楽しそうに話して帰られる。そういった映画館慣れしている人たちに支えられているのだ。「若い人たちもコンセッションにあるカレー味のスナックマシンがレトロで面白いと写真に撮ったり、一度食べたらそれが病み付きになってしまったり…古いものを楽しんでくれています。こんな下町ならではの良さをドンドン活かしたい。良くも悪くも現状維持が大切なんだと思います。最新の設備で勝負するのではなく、皆さんに喜んでもらえるよう真心の部分で対応していきたいです」(2018年1月取材)


【座席】 『Cinema 1』201席/『Cinema 2』188席/『Cinema 3』183席
     『Cinema 4』183席/『Cinema 5』132席/『Cinema 6』111席/『Cinema 7』203席
【音響】 『Cinema 1・7』SRD-EX・DTS・SDDS/『Cinema 2〜5』SRD・DTS/『Cinema 6』SRD

【住所】大阪府東大阪市足代新町7-4 ※2020年2月29日を持ちまして閉館いたしました。

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