国内最大の面積を誇る琵琶湖を歌った“琵琶湖周航の歌”の一節「昇る狭霧や さざなみの 志賀の都よ いざさらば」の歌詞にある「志賀の都」とは大津を指しており、かつて、この辺りは楽浪(さざなみ)と呼ばれていた。この歌の一番は、立ち昇る霧とさざ波の湖面に漕ぎ出したボートが大津の町に別れを告げる情景を描いている。京都から琵琶湖線で10分…大津駅に降りると滋賀県の県庁所在地にも関わらず駅前はとても静かだ。だからといって寂れているわけではなく、街全体に凛とした空気が漂っている。駅から真っすぐ伸びる大きな通りを琵琶湖に向かって歩いていると立派な寺院やレトロな建物が幾つも建っている。江戸時代は京都へ続く道筋にあたることから、京町通りと呼ばれ、多くの商家が軒を連ねていたそうだ。そんな街並を楽しみながらぶらぶらと歩いていると、緩やかな坂の向こうに突然大きな琵琶湖が広がったのには驚いた。まだ朝の6時だというのに釣り人が早々に釣り糸を垂らしている。水蒸気を含んだ大気が空と湖水をひとつにして幻想的な雰囲気を作り上げ秋の訪れを予感させていた。 そんな琵琶湖を一望出来る絶好のロケーションにあるのが、5スクリーンを有するシネマコンプレックス『大津アレックスシネマ』だ。とにかくコチラの映画館…ロビーからの眺望は国内トップクラスと言っても良いほど。高い位置から琵琶湖畔の公園と遊覧船乗り場まで見渡せるのだから正に特等席だ。「天気の良い日は、ずっと窓ガラスに張り付いて船を見ているお子さんがいますよ。琵琶湖周辺にある施設の中でもこの展望は無いと思います」と語ってくれたのは支配人を務める松岡昇平氏だ。確かに天気や時間によって変化する景色を眺めているだけで、待ち時間なんかあっという間に過ぎてしまう。更にユニークなのは、5スクリーンの場内全てが異なったデザインとなっているところ。円形の場内から半円形、縦長の場内など、それぞれがまるで玩具箱のようで、映画が始まるまでは子供たちの遊び場となる。 |
1998年4月23日に、琵琶湖ホテルと京阪電気鉄道が共同で計画された京阪浜大津再開発によって、複合型商業施設・浜大津アーカスが設立。その中核を担ったのが、東宝がシネコン1号館として立ち上げた『浜大津アーカスシネマ』だった。その後、近畿地方を中心にシネコンを展開する(有)アレックスに営業譲渡され、2008年2月1日に『大津アレックスシネマ』として再スタートを切る。「おもてなしの心を大切にする」という企業理念の下、地元密着型のシネコンとして親しまれてきた。「私たちは、お客様の思い出づくりのお手伝いをさせていただきたいと思っています。お客様にとって良い映画館とは何か…を考えた時に、必ずしも人気のある映画ばかりやる事だけでは無いはずです。どこの映画館も同じ映画をやるではなく、地方では観られない変わった映画を積極的に取り入れるようにしています」 そんな作品の選定を任される松岡氏は次のように語る。「実は私の好みで選んでいます。ありがたいことに会社からは、他館と同じ事をやってもダメだから、私が当たりそうと思える作品を探して来い!…と(笑)。自分が観たい映画ならば悔いは残らないでしょう?たまに大幅に外すものもありますが…私自身は楽しんで選んでいます」最近のラインアップも“グリーン・インフェルノ”や、“ソーセージ・パーティー”など、エッヂの利いたキワモノが名を連ねる。「記憶に残るのは“ピッチパーフェクト”を上映した時です。ウチには珍しく若い女性がたくさん来られて、その中にお母さんを連れて来た娘さんがいました。チケットを売りながら、お母さんと観て大丈夫かな?と心配しましたけど。そこが大都市のミニシアターと違う地方の良いところでもあるんです」このようにコツコツと続けて来たおかげで、最近では、ちょっと面白い事をやる映画館と認知されるようになり、始めた頃から確実に本数も増えて来た。「お客様から、こういうシネコンがあっても良いね…と言っていただけるのが嬉しいですね」 |
他にもギャガ祭り(ネーミングが最高!)と銘打って、“イップマン/継承”や“ボンボヤージュ”などギャガの配給作品ばかり5本週替わりで上映したり、シネコンでは見送りがちな日活ロマンポルノのリブート版だって掛けてしまったのだ。「この時はさすがに、隣のスクリーンで“ドラえもん”をやっていたので(笑)下手するとPTAから怒られるかも…と心配しながら、ここはやらなあかんやろう!と、決行しました」シニア層のお客様がメインだからだろうか、比較的、昔ながらの映画好きの方が多いのもコチラの特長で、第一回目から続く“午前十時の映画祭”には年輩の常連さんが数多く訪れる。その一方で、歴代のヒット作を挙げると、若者向けテレビドラマの映画化作品がランクインされ、『大津アレックスシネマ』になってから観客動員数の第一位は“花より男子ファイナル”だった。ちなみに、『浜大津アーカスシネマ』時代でも“ナースのお仕事 ザ・ムービー”には多くの観客が詰めかけて大変な騒ぎになったそうだ。 中でも“ONE PIECE FILM STORONG WORLD”は、松岡氏にとって思い出深い作品という。「この時は、単行本0巻を来場者特典で配布したのですが、これを求めるお客様の列が、早朝8時前の開場にも関わらず、4階エレベーターホールから2階ホールまで出来たのです。結局、その日のチケットが全て完売した15時まで続きまして…それまで私はずっと列に貼り付いていました」もうひとつ忘れられないのが、社会現象にまでなった空前のヒット作“君の名は。”だった。「私は新海誠監督の大ファンだったのにウチでは公開出来なかったんです。本当に悔しくて…当時、東宝もここまでヒットするとは思っていなかったらしく、公開劇場を絞っていたんですね。それが私としては面白くないわけです。そうしたら上司から、だったら過去作品をやろうか?とありがたい言葉をもらって、急遽、新海誠祭が実現したんです」当時、“君の名は。”をやっている映画館はたくさんあっても“秒速5センチメートル”をやっている映画館はどこも無い。そのおかげで、奈良や和歌山など遠方から多勢のファンが来場したそうで、まさに災い転じて福となる采配だった。 |
『大津アレックスシネマ』のユニークな点はロビーのポップにも現れている。競合するシネコンと同じ事をしても限界がある。だったら視点を変えて、映画の面白さをお客様に伝える方法を見直してみよう!と、ロビーの展示物はスタッフによる手作りになった。「支給された宣材だけではなく、実際に映画を観たスタッフが自分の言葉で、おススメするポイントを書いています。だからお客様には、そのまま帰るのではなく、次の映画を見つけて帰ってもらいたいですね」バイトの面接をする時は必ず好きな映画を聞くようにしているという松岡氏。「せっかく働くのだから自分の好きな事をして、働く楽しさを感じてもらいたいのです。ウチのスタッフは映画好きが多いですから、ポップの言葉は生の映画ファンの声と思って結構ですよ」 こうした発想は、(有)アレックスの代表である松本智氏が、滋賀県を中心に展開するスーパーマーケット平和堂の出身である事に起因している。「ものを売る時は販売者の生の声を発信しないと、お客様の心には届かない」松岡氏は、その意味をここ数年間で実感したと語る。「映画も同じです。何でも褒めるのではなく、時には辛辣な意見を書く時だってあります。それは、ポスターやチラシに書かれているコピーではなく、スタッフが実際に観て感じた本当の言葉なので、これからもその姿勢は貫こうと思っています」 何を観ようか迷ったら何はともあれ『大津アレックスシネマ』に来るといい。ぶらりと立ち寄ってポップを眺めてから決めても良いではないか。「予備知識無しに観た映画が、予想を裏切られて、すごく面白かった経験は誰にもあるはずです。そういう映画との出会いをここで味わっていただきたい。その素敵な思い出づくりのお手伝いを私たちにさせてもらえたら嬉しいですね」(2018年8月取材) |