「今の人達は、街をぶらぶらするという事をしなくなったよね。情報誌だけを見て目的地だけ行くとそこで完結してしまうでしょう?それは与えられる情報に頼り過ぎている訳で、自分の足で探検をして道に迷ったら人に聞く…そうやって街を覚えていくもんだったよね昔は…」と語ってくれたのは、この土地で映画興行に古くから携わってきた福寿祁久雄氏。『関内アカデミー』が建つ港街、横浜関内は、今では半分以下にまで減ってしまったものの、かつて20館近くの映画館が軒を連ねていた関東でも有数の映画街だった。「本来は最寄り駅のホームや街に貼ってあるポスターで情報を収集して観に来ていたんだから。情報が映画館から直に流れていく…もっと街に映画館のポスターが見かけられなきゃいけない」という福寿氏。 |
「昔は銭湯や床屋、バス停にまで貼ってあったんだから…」という言葉を反映して今でも伊勢佐木町の周辺にはコチラの劇場案内が、あちこちに見られる。設立は1975年、当初は洋画の2番館として1館からスタートした『関内アカデミー1』。狭い劇場だからロードショウ上映が終った中味の良い作品を選んで1本で上映していこうという事でスタートした。「今はもう映画興行界もだいぶん変わりましたけど、当時はチェーンに入らない映画(いわゆるアート系)を通常の全国ロードショウに掛けることは殆ど出来なかった時代でしたし、ミニシアターというのが東京でも2〜3館しかなかった頃でしたから、それじゃそういった作品を横浜で上映してみようか…という事で今の形態になったわけです。」当時としては横浜既存の直営館では掛かる事がなかった作品を観る事が出来るということで映画ファンにとっては喜ばしい出来事であった。小じんまりとした場内だがスクリーンが大きく、しかも比較的高い位置に設置されているので実に観易いのが特長だ。入口の売店ではパウチ加工されたチラシを販売しているなどコアな映画ファン(マニア?)にはたまらない魅力がある。 |
その後、しばらくしてからオープンした『関内アカデミー2』。コチラは当初、イベントをやるために作られた多目的ホールだったのだが、次第にイベント企画よりも需要の大きかった常設の映画館として移行していった。ロビーは広く映画雑誌を読みながら待ち時間を有意義に過ごせる。上映作品は単館系の作品が中心となっており、客層としても女性が7割を占めている。邦画・洋画を問わずジャンルには固執していない。さすがに厳選された作品で構成されているプログラムだけに固定のファンが多い(年輩のお客様が多いのも頷ける)。映画によっては九州や北海道から問い合わせがあるなどファンは全国に存在している事に驚かされる。また、同ビルにあるギャラリーでは同じ系列の“シネマ・ジャック&ベティ”で特集を組まれている映画にちなんだ写真展やポスター、絵画展などを行っているので映画鑑賞の後に是非、足を運んでいただきたい。 |
「映画館という空間も今後もっと変わって行くかも知れないですよね。やはりシネコンとミニシアターいうのが出現して、同じ映画を映す場所であっても形態が違うんだから…効率が悪くても内容でカバーできるということを既存の映画館は何か考えなければならない時期に来ているんですよね。」と語る福寿氏。神奈川県単独ロードショウ館としてファンは毎回“次は何をやってくれるのか”と劇場にかける期待は大きく、逆を言えば“ココでやるのだから内容を知らなくても、まず観に行こう”というファンが存在している事も紛れも無い事実なのだ。(取材:2002年9月) 【座席】『アカデミー1』78席/『アカデミー2』50席 【住所】神奈川県横浜市中区羽衣町2-4-5 |
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