昭和の時代、現在の新宿や渋谷が若者たちの情報発信基地となる以前。有楽町・銀座界隈は映画の街であった。ちょっと銀ブラして映画でも観て行こうか。と、いうのがお父さんお母さんのお洒落な休日の過ごし方であった時代だ。戦後間もない昭和21年12月31日に創設されたスバル興行が運営する“アメリカ交響楽”でオープンした『丸の内スバル座』は当時「帝都唯一のロードショウ劇場」という謳い文句で、多分日本で初めてロードショウという言葉を使用した映画館であった。JR有楽町駅前に建つコチラの劇場では、アメリカの文化を身近に感じる娯楽を観に連日多くの観客が訪れたという。今、手元に当時の『アメリカ交響楽』のパンフレットがあるが、長方形という規格外のサイズ、36ページというボリューム、そして無料配布が主流だった時代に、15円で販売されていた事に驚かされる。淀川長治氏や双葉十三郎氏ら重鎮の評論家の寄稿に加えて、音楽や衣裳まで細かく紹介されており、読み応えも充分だ。挟み込みのページでは、アメリカで日本語版字幕の台本を書いてきた田村幸彦氏(日本初の字幕付映画『モロッコ』を手掛けた人物)が、ニューヨークのロード・ショウ劇場事情を解説しており、ここに当時の盛り上がりが垣間見える。続く“ガス燈”は独占公開という形で大ヒットを記録する。翌年には「日本で最初の本格的ロード・ショウ劇場」という謳い文句で、ハリウッド映画を独占公開する。2階建て全席指定という贅沢な空間と、アメリカの文化を身近に感じる事ができる最新作の豪華ラインナップに、連日多くの観客が訪れた。 ところが昭和28年、戦後の混乱期、人々に夢と希望を与え続けて来た『丸の内スバル座』は、“宇宙戦争”の上映中に、倉庫からの出火で全焼してしまう。満席だったにも関わらず、1人も犠牲者を出さなかったのは、日頃から訓練された従業員の誘導が的確だった事と、観客も戦後間もない時代で空襲の経験が身近だったからと言われている。それから13年の月日が流れた昭和41年、跡地に三菱地所による“有楽町ビル”の建設と共にビルの3階に新生『有楽町スバル座』は復活した。オフィス街の入口にある昔から変わらない広告塔と、星座のスバル座を表した星のマークがあしらわれた看板と有楽町駅ホームからでも見えるビルの正面にある劇場の広告塔は現在も有楽町駅前のシンボルとなっており、平日の朝夕には多くの会社員が行き交うオフィス街の入口で安らぎと感動を提供してくれる場として昔と変わらないスタイルを保ち続けている。ビルの横手にある劇場入口の上に掲げられた大きな感銘が記された看板。昔から変わらない“スバル座”のロゴの上に星のマークが書かれている。館名となっているスバル座を表したものだ。これも設立当時から変わっていない。 |
ビルの中に入るとそこにチケット売り場がある。毎週水曜日のレディースディ(1000円)の時は年輩の女性グループが列を作る。チケットボックスの後ろにある階段から2階に上がると劇場の入口になる。劇場エントランスまでの階段に敷かれた赤い絨毯が劇場までの道しるべとなっている。ビルの構造上、エスカレーターを新設する事ができないもののビル自体にエレベーターがあるので体の不自由な方や高齢の方はそちらを利用する事をおすすめする。 昔から映画を観るならココ。と、いう年輩のファンが多いせいか上映作品も若者向けのデートムービーというよりも大人向けの文芸作品やアート系の作品が目立つ。こうした作品が多いからか、ミニシアターだけのイメージが定着しているが昔と変わらずロードショウムービーの上映を行っており幅広い年齢層のお客様が訪れている。 |
とは言うもののジム・ジャームッシュ監督作品“ダウン・バイ・ロー”“ストレンジャー・ザン・パラダイス”をいち早く日本で紹介した事でも有名。そして『有楽町スバル座』といえばフランス映画社提供のBOWシリーズではヨーロッパ映画の数々やアメリカのインディペンデント作品を送り続けている平成以降はジム・ジャームッシュ監督をいち早く日本で紹介した事からミニシアターというイメージが定着。そして『イージー・ライダー』では過去最高の動員数を記録した。特に上映作品ではジャンルや国籍を限定していないがストーリー性の確立された高水準の作品が支持されているようだ。つい最近公開されたチャーリー・チャップリンの映画特集では、チャップリンの長編から短編に至るまで一挙に上映。年輩の方だけではなく幅広い映画ファンに支持された。大正から昭和にかけて日本で紹介されて来たチャップリンの作品と長い歴史を持つコチラの劇場の雰囲気が見事にマッチされていた特集であった。 ビルの中にある劇場だけに夜遅い上映が出来ない代わりに、朝早くからの上映がコチラのウリ。午前中に映画を見て、銀座の街でゆっくりとランチを楽しむ…といった女性グループも少なくない。夕方からは仕事帰りのサラリーマンやOLがメインとなり特にレディースデーは終日、幅広い年齢層の女性ファンが詰めかける。これもオフィス街にある映画館の特徴と言えるだろう。赤いカーペットが印象的なロビーは広く、映画の上映だけを待つ空間ではなく、その広さを活かして様々な展示も行っている。前述したチャップリン特集時には個人が収集されていたチャップリンのグッズ(珍しいものではマッチや双六など)が数多く展示されていた。またスバル座の長い歴史をスチール写真などで展示するなど、映画ファンにとっては小さな資料館といった所だろうか。そういった懐かしい写真やグッズの数々を眺めているだけで待ち時間はあっという間に過ぎてしまう。築37年という時代を経ている映画館だけにホールを囲む通路にも趣きを感じる事が出来る。天井をぐるりと這うパイプや次回公開予定作品のポスターが貼られているショーケース等レトロな雰囲気を満喫できるのだ。 |
「大変お待たせいたしました。最後までごゆるりとご鑑賞くださいませ」。昭和41年に録音されたというノイズ混じりのアナウンステープが流れると、ゆっくりと場内は暗くなる。否が応でもこれから始まる映画への期待感が高まるワンスロープ式の場内は天井がビルの中とは思えないほど高く音の反響も抑えられている。座席の一番後ろにある中央の大きな柱が昔ながらの映画館の味を出しているのが特徴的だ。配給会社から「是非、コチラの劇場で上映して欲しい」と逆指名するのも理解できるほど、伝統がある映画館は常に最高のものを最高の状態で贈るということを心掛けている。映画が庶民の娯楽として全盛期だった頃から良質の映画を提供して来た『有楽町スバル座』。たまには腰を据えて映画と向き合ってみる時間をコチラで過ごしてみてはいかがだろうか。(取材:2003年7月) 【座席】306席 【音響】SR・SRD 本ホームページに掲載されている写真・内容の無断転用はお断りいたします。(C)Minatomachi Cinema Street |