北の都―札幌市の中心部を東西に走る古くからある商店街、狸小路商店街の西側に位置する場所に、市民出資のNPO型映画館『シアターキノ』がある。全盛期に一気に増え続けたミニシアターも過渡期に差し掛かり、いくつもの劇場が閉館に追い込まれていた1992年7月4日…そんな厳しい時代にオープンした『シアターキノ』は北海道の映画ファンにとって、まさに希望の星と注目を集める。「映画館をオープンするに当たって全国のミニシアターを経営されている皆さんのお話をうかがったのですが、共通しておっしゃるのは“やめた方がいいよ”って…(笑)」当時を振り返り、支配人の中島ひろみさんは語ってくれた。「こんな苦しい時期に映画館をオープンするなんて無謀…だということでしょうね。でも、そこでやめてしまってはメジャーな映画しか観る事が出来ない土壌に札幌がなってしまうのではないか?と思いました」と続ける中島支配人…決定打となったのは、札幌の老舗ミニシアターであった“ジャブ70ホール”の閉館だった。それまで良質の作品を提供し続けていたカリスマ的映画館が無くなった事で「やるしかない!」と腹を据えられたという。 |
それまで中島支配人が運営されていた映像ギャラリー“イメージガレリオ”(1986年より商業映画館ではかからない様々な映像作家の16mmやビデオアート作品を上映していた)を改装して、客席数29席しかない(当時、日本一小さな)映画館としてスタートを切った。「閉館した“ジャブ70ホール”から使わなくなった椅子を譲り受けてたり…とにかくお金を掛けなくても自分たちが出来るギリギリ最低限のところでやって行こう…と思い、逆にこの小ささをウリにしていきました」しかし、わずか29席という座席数からスタートした『シアターキノ』は6年後の1998年4月28日に現在の場所に100席と63席を有する2館体制でリニューアルオープンする事となる。前身の場所でオープンして間もなく、ウォン・カーウァイ監督作品が注目を集め好調な滑り出しを切り、更に“トレインスポッティング”においては1日6回上映のフル回転であってもあっという間に満席となる日々が続き、遂に29席での限界が訪れた。丁度、その時に現在のビルの建設工事が行われており、中島支配人は施主の会社に何回も足を運んで、映画館をビルの中に入れてもらえないか…お願いしたという。 |
「最後にビルの社長さんが“10年間は続けられますか?10年続けられるのでしたら一緒にやりましょう”と言っていただけて、そこから設計や仕様を映画館向きに変更してくださったのです」と笑顔で語る中島支配人。来年の4月で、約束の10年となる『シアターキノ』は、そこでひとつの節目を迎える事となる。「映画館というのは作り手の想いを、どれだけ良いレベルで再現してお客様に提供出来るか…というのが一番の使命だと思っています。ですから設計の段階から音響にはこだわりました」と、言われる通り、繊細な音が多いアート系の作品では微妙な音のニュアンスが重要なポイントとなってくる。音響については自負されている通り、JBLのステ−ジスピーカー3台、サブウーハー2台、サラウンドスピーカー8台と最高の環境を作り上げている。両館共にスタジアム形式を採用しており、どの席からでも観易さをキープ。キネット社製の椅子は身体にフィットして実に心地良い。 「映画というのは正に連携プレイですよね。作り手が映画を完成させて、劇場が映画をバトンタッチして…映画が産声を上げるのは映画館なのです。ここで手を抜いたら映画が一番かわいそうですよね」だからこそ、中島支配人が上映作品を選ぶ基準も話題作であれば何でも良いというわけではない。「作品に作り手の決意や思いが伝わって来ない映画は、どんなに注目を集めていてもお断りしています。そういった意味で映画館と作り手の信頼関係というものを大切にしていきたいと思っています」だからこそ、中島支配人の元には連日たくさんの作品が送られてくる。全てを自分が観て決める…というのを信条にしているため、最終上映後に劇場で試写、それでも追いつかない時は休みの日にDVDで観ているという。「ヘトヘトになりながらも良い映画に出会えた時は本当にウレシイですね。それが唯一のパワーの源になっていますよ(笑)」ロビーと併設カフェ(KINO CAFE)の壁には、調湿性に優れた北海道産の珪藻土を使用しており、温もりを感じさせる優しい雰囲気は待ち時間も快適に過ごす事が出来る。またロビーの壁面に書かれたゲストの直筆サインの数々…誰が来場されたのか探してみるのも楽しい。 |
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また展示・販売されている関連グッズの他に、ズラリと揃った“キネマ旬報”のバックナンバー(個人の方から提供された)。読みふけって映画が始まっているのも気付かない…という事がないように。『シアターキノ』の会員(KINO ビンテージ会員)の中には帯広や釧路から土日を利用して訪れるお客様も多い。だからこそ上映作品を選ぶ時にも、そうしたお客様をガッカリさせたくないという気持ちが自ずと強くなって来るのだろう。「映画の仕事というのは農耕民族に似ているとよく言っています。土地を耕して種をまいて毎日水をあげて少しずつ育てていく…」まさに映画の宣伝は種まきのようなもので、観客はそれを信じて劇場に足を運ぶのだ。「ですから毎日コツコツ丁寧に作品を紹介して、ウチでかかる映画…という事で信頼して観に来ていただけるようになるのが一番の願いですね」 映画の上映以外にも2000年より“キノ映画講座”を開設。映画制作や上映企画実践、映画史など特別講座を実施しており、2004年には2本の短編映画を製作している。また子供たちにストップアニメーションの制作現場を知ってもらおうと“コマネコ”を制作した監督やアニメーターに参加してもらう等、幅広い年齢層に向けて活動を展開しているのも特長のひとつだ。「15年前を振り返って、もし私の元に“映画館をやりたい”という人が訪ねてきたら…やっぱり“映画館なんてやめた方がいい”って言うでしょうね(笑)」と語る中島支配人は最後にこう付け加えてくれた。「…でも、当時アドバイスいただいた皆さんの表情って笑顔だったんですよ」(取材:2007年8月) |