広島電鉄の鷹野橋駅を降りると今でも昭和の薫りが残る鷹野橋商店街の大きな電飾看板が目に入る。活気溢れる通りには日本で初めてモーニングサービスを始めたという喫茶店があったりして、歩くだけでドキドキしてしまう。そんな商店街入口から少し脇にそれた場所に『サロンシネマ』は建つ。現在、社長を務める蔵本順子さんは広島市内に『サロンシネマ1・2』と『シネツイン本通り』更に4年前『八丁座1・2』をオープンし、今では5つの映画館を運営している株式会社序破急の代表として、広島に灯る映画館の灯を守り続けている。また、映画館の運営だけに留まらず映画に関する講演活動も行っている。『サロンシネマ』は、昭和32年に旧大映映画の直営封切館として“タカノ橋大映”という館名でオープン。当時は大映、日活、東映の封切り館と2館の洋画専門館…そして飲食店が軒を連ねるシネコンの走りと言える複合型商業ビルであった。街を発展させるために、街の外からもたくさんの人に来てもらえる施設として建てられたビルだったが、時代と共に映画館も次々と閉館する。 |
昭和46年に大映が経営不信で、倒産して映画館を手放す事になり、先代社長(蔵本さんのお父様)が昭和47年に新たにリニューアルして館名を現在の『サロンシネマ』に変えて再オープン。また、昭和32年に開業された日活直営の“タカノ橋日劇”は、平成6年に蔵本さんが引き取り『サロンシネマ2』としてオープンした。今では個性的なプログラムとユニークな特集上映等で多くの固定ファンが詰めかける『サロンシネマ』だが、1度は本気で閉館を考えるまで至っていたという。「昭和55年頃…当時は、いつ潰れてもおかしくない状況でした。あと何ヶ月で潰れる…なんて噂されていたくらいでしたから。(笑)雨が降った時なんか、雨漏りする場所があってお客さんに“中で傘をさされても結構ですから”なんて言うくらいだったのです」と、語ってくれたのは支配人の住岡正明氏。 |
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「東京から久しぶりに広島に戻ってきた時にココが閉館になるっていう噂を聞いて映画館に来て問いただしたら噂は本当だと…その夜は眠れなかったですよ」という住岡氏のとった行動は「翌日には東京行きの列車に飛び乗っていましたね」住岡氏は自発的に“池袋文芸座”など名画座に飛び込み取材を行い、映画館の経営についてレポートにまとめ、また次の日に広島へ戻り、先代社長のところに持って行き“自分を雇って欲しい”と談判したという。「社長からは“あんたそれは止めた方がいい、映画館を今の時代やるのは大変だから”と言われたのですが、広島に名画座が無くなるって事は、ある意味映画の否定になると思っていた僕は、再三頼み込んで、何度かレポートにまとめて持って来たら根負けされて“とりあえず3ヶ月やってみるか”と…友人や家族からは反対されましたけどね(笑)」押し掛けで飛び込んだものの給料の話しは全く決めていなかった事に住岡氏は後から気づいたという。「これ以上悪くなる事はないだろうと…何もわからないままで入って、だけど自分が東京で観た名画座の番組を持って来てやっていけば必ずお客さんが付いてくれるって信じ切っていました」 |
住岡氏は、東京で観てカルチャーショックを受けたオールナイトのフィルムマラソンの企画を持ち込んだところ、先代社長から予算の面で反対されてしまう。そこで考えたのが「だったら自分たちで自腹を切ってフィルム代を出そうじゃないか」という事。結果、フタを開けてみると超満員の大盛況で、現在に至るまでフィルムマラソンは劇場の名物企画となり、500回以上の特集上映(ギネスに申請しようという意見も)を行っている。通常の上映はミニシアター系が中心となっている現在でもフィルムマラソンを続けている理由は名画座というスタイルにこだわり続けているからだと住岡氏は語る。「ここに集まってくる人たちは、ココに来れば他所では観られないマニアックな映画をやっているから…という事で隠れ処的な憩いの場として残っていたわけです。ですから、時代がどんなに変わろうとも名画座のスタイルだけは残していきたいと思っているのです」 『サロンシネマ1』の場内に入ると特注で作ったというレザー張りのゆったりとしたソファー仕様の座席(日本一広いシート)と全座席の前にカウンターテーブルが設置(昔はテーブル上のボタンを押せば珈琲やジュースを注文出来た)されており、正に雰囲気はサロンそのもの。座席の作りは基本的には設立当時のまま…勿論、クッションとか背もたれ、革の張り替えはしていものの骨組みは変えていないというのだから驚く。 |
更に天井を見上げると、そこにはミラーボールが…こちらは開業当時からのもので、今でも現役。ミュージカルや音楽映画上映時には大活躍している。奥行きのある縦に長いワンスロープ式の『サロンシネマ2』は、今では珍しい2階席のある劇場だが、それ以上に驚くのはドーム型の天井いっぱいに描かれた天井画。更には全席が“マツダ”の自動車(ユーノス800)で使われているハイグレードなシートを特注で劇場用に開発。何と!住岡支配人自ら“マツダ”に掛け合いに行ったという。当初、難色を示していた“マツダ”の担当者からも次々とアイデアが出され最終的に全席リクライニング機能付き、センターアームレスト(スライドさせるとカップホルダーが)を肘掛けに改造した世界初の自動車メーカーとのコラボレーションシートが誕生したのである。「来ていただいたお客様に、劇場に一歩足を踏み入れた時に驚いてもらいたい…ただそれだけです」それには皆が賛成する事をしてはダメだと語る住岡氏。次はどんな仕掛けで驚かせてくれるのか楽しみだ。(取材:2008年9月) |