名古屋市の中心部に位置する栄駅、新栄駅、高岳駅それぞれ地下鉄から歩くこと10分足らずの場所に40年以上も名古屋における演劇・映像文化を牽引してきた名演会館が、昔と変わらない姿で立っている。このビルが竣工したのは昭和47年2月のこと。当時、名古屋市内で自由に演劇公演が出来る独自の小屋が無かった事から会員1万人を擁する演劇鑑賞団体である名古屋労演と地元劇団の代表が集まって株式会社名演会館を発足。それまで劇団の常宿にしていた丸花旅館の経営者から安価で現在の土地を提供された事から計画は具体化されていった。その呼び掛け人となったメンバーには千田是也、杉村春子、宇野重吉といった日本の演劇界を代表する錚々たる方々が名前を連ねていた。そして「最も自由で民主的な文化を創造する場」として地上5階建て、地下には稽古場を備え、最上階に二つのフロアを吹き抜けにした劇場『名演小劇場』を有した演劇ビル名演会館がオープンする。 |
芝居を上演しない月はゲストを招いてトークショーを交えた特集上映を開催したり市民映画祭の会場として場所を提供するなど映像文化の発展に貢献。夏休みシーズンには“夏休み子供劇場”と銘打って、人形劇・児童劇・邦楽・子供向け映画を実行委員会を作って提供されていた。歴史と文化の重みが伝わってくる深みのあるコンクリートの建物。階段を上がったところにあるエントランスの横の喫煙所を兼ねたテラスは、かつて1階にあった喫茶店の名残り。 |
ここで何人もの劇団員たちが自らの演劇論を戦わせたのだろう。今は喫茶店も50席ほどの小さな映画館『名演小劇場2』へと変わり世界から集まる名作が上映され、テラスはいつしか観客同士の映画談義のサロンとなった。更に階段を上がると古書特有の香りが…2階にある“演劇鑑賞会”事務室横の資料室に保管されている設立時からの台本や会報誌、演劇に関する書籍から漂う文化の香りだ。3階にある受付でチケットを購入して4階へ進むと、そこは5階まで吹き抜けとなっている105席の『名演小劇場1』がある。「10年前まで芝居もやっていた劇場で、今は舞台の半分をスクリーンで区切って使っているんですよ」と語るのは代表を務める島津秀雄氏。今でもスクリーンの裏手には緞帳や幕などが、そのままの状態で残っている。改装時に演劇用のイスから映画用に入れ替えて、客席数も150席から105席にしてゆとりを持たせた場内は吹き抜けで天井が高く客席数の割にはスクリーンが大きく感じられる。「それまでは演劇・人形劇・児童劇等の活動拠点となっていたのですが…バブル以降、公共ホールが各区に出来たためウチを利用する演劇団体が減ってしまったんですよね」
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30年という歳月が名古屋の演劇環境をすっかり変えてしまい、それまで舞台講演の合間に映画上映を行っていた『名演小劇場』だったが、平成15年に上映された“チョムスキー9.11”のヒットを受けて、翌年には本格的な映画館として1階にあった事務所と喫茶店を50席ほどの映画館に改装し、2スクリーン体制で再スタートを切ることとなった。この年に公開された是枝裕和監督の“誰も知らない”が、ミニシアターの規模としては異例の2万人近くの観客を動員するなど好調な滑り出しを見せた。「どこの劇場も内容が暗いので断っていたのを“こういう映画もやらなくちゃいけない”と上映を決めたらカンヌで賞を獲ったワケです」その後も安定した動員数で年輩の客層(特に女性)に多くの支持を受けて作品も社会性のある人間ドラマやヨーロッパ映画を中心とした構成となる。3階にあるロビーは年輩のお客様を考慮されてかソファーとテーブルが設置されており待ち時間にお弁当を広げてくつろぐ方が多い。ミニシアターとしては名古屋では後発となる『名演小劇場』だが、良質な人間ドラマを中心としたプログラムが定着しつつあるのか、今では常連の固定客が多くなっているように見受けられる。 |
「市内のミニシアターと上手く棲み分けが出来ているおかげで、ウチじゃなきゃ…と、言ってくださるお客様がいらっしゃるのはありがたいですが、まだ映画館として専門的に始めて10年…これからですよ」と語る島津氏。映画館に特化したとは言っても年に7回は劇団民藝などによる演劇公演を行っている『名演小劇場』。創業者たちが劇場に掛けた思い「会館は死せる記念塔ではない。生きものです。生きた運動の場です」という言葉通り、興業の形態を変えても本質は昔と何ら変わっていないのだ。(取材:2012年9月) 【座席】 『サロン1』105席/『サロン2』49席 【住所】愛知県名古屋市東区東桜2-23-7 |
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