常に多くの観光客で賑わいを見せる那覇市最大の繁華街である国際通り。県庁からまっすぐ牧志公設市場に向かう途中で横道に逸れると桜坂という坂がある。戦後の米国統治時代には数百件のバーやスナック、キャバレーなどがひしめき合う一大歓楽街として栄えていた。色町のあるところに興行街が栄える…当時は、国際通りという呼び名の元となった“アニーパイル国際劇場”や“グランドオリオン”といった数多くの劇場や映画館が軒を連ね、市外から訪れる多くの人で賑わっていた。

その坂の入口に映画館『桜坂劇場』がある。前身は昭和27年に芝居小屋として創業を開始した“珊瑚座”。翌昭和28年には館名も“桜坂琉映館”として早々に映画館に転身する。しかし昭和40年代に入ると映画館への集客は年々減少の一途を辿り、周辺の映画館は次々と閉館していった。“桜坂琉映館”は、そんな厳しい時代を乗り切るためにピンク映画の上映館となった事もあった。時代の変化は映画館だけに留まらず、歓楽街の中心は海寄りの若狭・辻方面へ移り、桜坂からはかつての賑わいは見られなくなった。それでも昭和61年11月には“桜坂シネコン琉映”として、松竹や東映系の作品を中心としたスカラ座、ロキシー、キリン館という3スクリーン体制の複合館として再起を図り、数少なくなってしまった街の映画館として親しまれた。


しかし郊外に新設されるシネコンと、多様化する若者文化の台頭により、“桜坂シネコン琉映”は平成17年4月に閉館が決定。ところが、市民の間から閉館しないでという声が次第に高まり、遂には新聞に取り上げられる程の大ごととなった。「最後に残った街なかの映画館だからでしょうか…私は当時、県外にいたのですが、それでも閉館する噂はすぐに伝わってきましたから」と語ってくれるのは現在『桜坂劇場』で興行部長を務める下地久美子さんだ。その時立ち上がったが、映画館を存続させたい!と願う沖縄出身の中江裕司監督だった。そして、閉館からわずか4ヵ月も経たずして、その年の7月に『桜坂劇場』として復活したのだ。

「映画館再開の発表がされた時、市民の皆さんの待ってました感がすごかったらしいです(笑)。それこそ子供の頃から当たり前のようにあった映画館だから思い入れも強かったのでしょうね。ここまでの道順だって体に染み付いちゃっていますから。何の映画を誰と一緒に観た…いう記憶を誰もが持っているので、ここは皆にとって嬉しい思い出の場所なんですよね」現在、1万人という驚異的な人数を誇るFunC(ファンク)会員もオープンした時に、映画館を応援しよう!という気運が高まって、一気に大勢の方が入会されたという。


「中江は海外の映画祭に行くと、現地の映画館によく立ち寄るのですが…フランスではカフェやショップが併設されている映画館が多かったらしく、それを参考にしたそうです」リニューアル当時は、映画館どころかカフェもショップも経験した事が無いスタッフばかり。試行錯誤を繰り返しながら、少しずつ現在のスタイルを構築してきた。「映画館だけだったら、とてもじゃないけど今まで続けられなかったはず」と下地さんは語る。2階のロビーでは沖縄の伝統工芸品(やちむん・琉球ガラスなど)や民具を数多く取り扱っている。「最初はCDショップだったんですけど、そこが撤退する事になって…じゃあ何をする?ってなった時に、中江が実はやりたい事があるんだけど…って(笑)」やちむんに造詣が深かった中江監督のひと言から始まり、現在では有名作家から若手作家まで所狭しと焼壷や泡瓶等の作品が陳列されている。「最近ではスタッフも一目で誰の作品か分かるようになりましたね。こういう作品が良いとか、今度はこの人の作品を取り扱ってみたい…なんて提案するほどになったんです」

かつてロビーだった場所は、“さんご座キッチン”というカフェと“ふくら舎”という雑貨や映画関連グッズを扱うショップになった。入口にあったチケット売り場を一番奥に移設したおかげで、それまで閉鎖的だった空間が、映画を観ない人も自由に行き来してもらえるような場所に生まれ変わった。「誰もが気軽に訪れて楽しめる場所にしよう!というコンセプトで始めました。いち時期は、桜坂というエリアは若い女性が一人で来にくい場所になりつつあったんです。そういう場所で誰もが楽しめる状況を作るには、開かれている空間が必要だと考えたんです」今ではブラッとカフェに入って本を読んだり、勉強したり…中には絵を描いている若者の姿も。勿論、開映までの待ち時間を有効に使う人もいたり…実に心地よい空間だ。また“ふくら舎”では毎月スタッフが立てた企画をもとに、テーマに沿った商品を集めディスプレイをしている。勿論、映画関連書籍も充実(基調映画本コーナーがあるのがファンには嬉しい)しており、こちらも毎月テーマが変わるので思わぬ掘り出し物があるかも


1階の一番奥に100席と80席の小さな劇場ホールB・Cが、2階に上がると客席数300席を有する大きな劇場ホールAがある。特にホールAの広さは圧巻で、下地さんのオススメは何も障害物が無い最前列。ステージが広くスクリーンが奥にあるから最前列でも見上げる感じはしない。むしろ視界いっぱいに映像を浴びる感覚で観たいという方には理想的な席だ。年間300本近くの上映を行い、多い時には3スクリーンで1日18作品をフル稼働させる事も珍しくない。沖縄在住のクリエイターや沖縄でロケをした作品も多く、中には沖縄だけで上映されるドキュメンタリーもあり、こうした膨大なスケジュールを組むのはパズルのようだと下地さんは言う。また、こちらではホールを使って音楽ライブも盛んに行われており、ライブで初めてコチラを訪れた人が、映画館やカフェのリピーターになる効果も上げているそうだ。「こうした音楽ライブをやっているおかげで、お客様の年齢層はかなり広がったと思います。今まで映画だけでは40、50代の女性が中心でしたが、現在は会員の年代を見ると20代から70代まで幅広くいらっしゃいますよ」また昨年2月より始まったマニアックなファンタスティックムービーを集めた“ガチバーン映画祭”には多くの若者から人気を博す名物企画となっている。


もうひとつ、大きな特長として上げられるのは“桜坂市民大学”というワークショップを開催していることだ。以前は事務所として使われていた3階をスタジオに改装して、現在は150もの講座が随時行われている。しかも、その講座の内容はどれもがユニークで興味を惹くものばかり。例えばプロの声楽家がボイストレーニングをされたり、源氏物語を大学の先生が解説付きで読むといったものから、ウチナーグチ(古くからの沖縄の方言)の講座や、ウチナー芝居など沖縄の歴史や文化を体験出来る講座には県外からも多く参加されている。勿論、映画館の特性を活かした脚本講座や映画の学校は人気の講座だ。

お手本となる前例が無い中で、映画館が文化の発信基地となる形を作ってきた『桜坂劇場』も昨年10周年を迎えた。「振り返ってみると、初めての事を繰り返す日々でしたね。スタッフも自分なりに勉強して、それぞれの分野で着実に知識を高めてくれました。最初は一人じゃ何も出来なかったのに気付けば一人で何でも出来るようになって(笑)」劇場と共に人間も成長と変化を繰り返しているのだと下地さんは笑った。「これから映画館の在り方はどんどん変化して行くでしょうね。ウチのような街なかにある小さな映画館は、別の役割があると思うんです。何かしらの障害があって映画を観られないと諦めている人たちも楽しめるような、そんな上映会を定期的に提供していける場所になりたいですね」映画館で映画を観るという行為は家を出た時から始まっている。支度をしてドアを開けて移動する時のワクワクした感じ…そんな思いを多くの人に体験してもらいたい。市民の要望から復活した街の映画館は、これからもっと人と人が触れ合う映画館として進化して行くだろう。(取材:2016年1月)


【座席】 『ホール A』291席/『ホール B』100席/『ホール C』80席 【音響】 『ホールA』SRD

【住所】沖縄県那覇市牧志3-6-10 【電話】098-860-9555

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