City Lights(シティ・ライツ)という団体をご存知だろうか?視覚障害の人たちにも映画を楽しんでもらいたい…という思いから2001年4月に立ち上がったバリアフリー映画観賞推進団体だ。団体名の由来は勿論、チャップリンの名作“街の灯”から。盲目の少女のために放浪紳士チャーリーが献身的な愛情を注ぐサイレント映画だ。団体のおかげで、視覚的情報をナレーションで補う音声ガイドが多くの映画館に導入され、目の不自由な人たちも映画を楽しめるようになった。そんな団体の代表を務める平塚千穂子さんが、2016年9月1日、京浜東北線と山手線が交差する田端に日本初となるバリアフリー映画館『シネマ・チュプキ・タバタ』をオープンさせた。「言ってみれば、視覚に障害のある方って、一番映画から距離があると思われがちですよね?私も最初は目が見えない人に映画の話しを持ち出すのってタブーなんじゃないかって思っていました」ところが現実は違っていた。平塚さんは視覚障害者の方々にリサーチをしたところ、目が見えなくなって映画がもう観られないと諦めていたけど、テレビの副音声のように映画が観れたら嬉しいという意見が多かったのだ。「私自身も視覚障害の人たちに偏見を持っていたんですね。そこから、どうすれば皆さんが映画を楽しむ事が出来るだろうと活動を始めました」

しばらくは、会場を借りて上映会を行っていたが、一市民団体だけで活動する事に限界を感じていたという平塚さん。そこで思ったのは、自分たちが興行主になるのが、一番手っ取り早いのではないか…だった。「年に一回、バリアフリー映画祭を開催していたのですが、そこで、“いつかバリアフリー映画館を作る!”って夢を掲げちゃったんです」皆さんから寄付も集まり、2015年、前身となる『アート・スペース・チュプキ』を上中里駅前にオープンさせた。新聞でも取り上げられ注目を集めた中での順風満帆なスタートだったが、思わぬところから待ったが掛かった。「この地域では、建築基準法や消防法などの問題から映画館として興行してはいけない場所だったんですね。オープンして新聞記事に出ちゃってから保健所の方がいらっしゃって…そこで初めて、あっやっちゃいけないんだって知ったんです(笑)」そのため興行法の適用外となる月4日間だけの上映を続けていたが、それでは、当初の目標だったいつでも行きたいと思った時にフラッと立ち寄れる映画館ではない…という事で、再び映画館となる場所を探し始めた。

「そんな条件をクリアしている場所なんてなかなか無いんですよね。100件くらい物件を見て回りました」もう既存のビルでは無理だな…と、ほぼ諦めかけていた時に思わぬ転機が訪れる。映画館探しと平行して音声ガイドの収録スタジオを探していた平塚さんは田端の駅に立っていた。現在のビルの2階にある物件が15畳の防音室となっているという事で見にきたのだ。「そうしたら1階の店舗スペースが空いているじゃないですか…不動産の人にお願いして見せてもらったのですが、その時、奥にスクリーンが張られているイメージが見えちゃったんですよね(爆笑)あれ?下で映画出来るんじゃない?って」建物としても全て基準がクリアされており、想定していた映画館の条件が満たされていたのだ。「色々悩みましたが、たくさんの方々に背中を押されて、契約だけしてその先は後から考えようって、保証金をまず支払ったんです」そして工事の費用に、2000万近く掛かると言われた平塚さんは、ネットやクラウドファンディングを通じて募金を呼びかけた。「宝くじも買いましたよ(笑)すると、3ヶ月で約1800万円以上の募金が集まったんです」


音響についても知り合いの配給会社の人から“ガールズ&パンツアー”の音響監督である岩浪美和氏を紹介してもらった。「アニメの音響を手掛けているので、音にはすごくこだわっていて、ウチの構造ではこうした方が立体的な音が作れる…とアドバイスをしてくれたんです」それどころか、兼ねてより、自身が緻密に計算して設計した音をちゃんと再現してくれる映画館が少ないと思っていた岩浪氏は、「見えない方にとって音が命の音にこだわった映画館を作りたい!」という平塚さんの思いに共感してくれたのだ。徹底した音響調整を行った“極音上映”を開催するなど音に対して妥協を許さないこだわりを持つ岩浪氏が作り上げた音響は、まさに至極の一品といっても良いだろう。また音響メーカー各社の協力によって、360度の全方位から音が柔らかく包み込んでくれるような夢のようなサウンド空間が誕生した。その名もフォレストサウンド。森の中で映画を観ているような音を目指して、迫力のある音響ではなく、疲れを癒してくれるような心地良い音響を実現した。更に岩浪氏は繊細できめ細かい音を追求するため天井にも4つのスピーカーを設置。ドルビーアトモス対応の7.1.4チャンネルの場内は、まるで上から音がシャワーのように降って来るような不思議な効果を生み出している。その威力をまざまざと見せつけたのが、河瀬直美監督の“あん”だった。ラスト近くで樹木希林がセリフを言う前に風と水の音だけが流れるシーンがあるのだが、河瀬監督がフランスの音響チームを呼んで作ったと言われているだけに、平塚さんは感動で震えが止まらなかったと語る。

今までの音声ガイドと言えば、FMラジオが主流だったが、それでは無線特有のノイズが入ってしまい、せっかくこだわった音響が台無しになる。そこで考えたのが全ての座席にイヤホンジャックを搭載して有線でつなげるという事だった。「つまり飛行機の座席と同じ原理ですね。座席数が少ない事も幸いしました」それだけではない、イヤホンのチャンネルを2種類選べるようにして、もう1チャンネルでは本編のボリュームを変えられるようにした。これによって耳が聴こえにくい人にもクリアな音を体験出来るようになった。こうして音響の準備は全て整った。森の映画館…ということでスクリーンの幕は濃い緑にして、補助椅子や親子で観賞出来る個室の椅子は木の温もりを感じさせるもので統一した。よく見ると壁のスピーカーの上に鳥が巣を作っていたり…と、自然と調和した居心地の良さを味わえる演出を施して、いよいよオープンを迎えた。


こけら落としに選ばれたのは勿論、チャップリンの“街の灯”。そして、“かみさまとのやくそく”というドキュメンタリーと、夜の回の上映は平塚さんが大好きだった“バグダットカフェ”の3本。「“バグダットカフェ”は、私の思い入れが強すぎて、なかなか音声ガイドが作れなかったんです。字幕が読めない視覚障害者のために、私たちが字幕朗読も録音しました。結局、出来上がったのが上映ギリギリ(笑)。少しでも時間が空けば2階に上がって吹き込んでいました。それでもたくさんの人に来てもらい、皆さんが喜ばれていた様子を見て、感無量でした」上映形態はセカンド上映が中心で、あくまでも自分たちの目で観て良かった作品のみ。上映は一日4回、3作品から4作品…スケジュールは1ヵ月間固定の月替わりだ。これは、障害者の方がガイドヘルパーさんにお願いする際に予定を組み易くするためだという。「確かに新作もやりたいですが…ただ、早さで追いつこうとしなくても、良いものは何度観ても良いし、時が経ってもまた観たいと思うはずです。ある意味、新しいものだけをやるよりも、二番館的に組み合わせを考えたりして…それはそれで楽しいですよ。チョイスした作品を観たお客様から、組み合わせがよかったって言われるようになったら嬉しいですね」

「ここがバリアフリー映画館だからといって、健常者の方が優先席のように遠慮して欲しくはないんです」と平塚さんは言う。「障害者も健常者もここでは関係ない。むしろ一緒に楽しんで欲しいです」その言葉が意味するように、この映画館には障害者割引は存在しない。施設で補えない部分があるからこその割引であって、障害は人ではなく、環境が対応出来ないから障害になるのだ。「ウチの場合、障害者も健常者も同じように映画を楽しめる設備が整ってますから、同じ料金をいただいています」料金は一般1500円、確かに他の映画館で障害者割引は1000円なので高く感じる方もいらっしゃるのも事実。どうしても障害がネックになり就職出来ない事情の方とか、ヘルパーさんの分も料金を負担しなくてはならない事(障害者が外出する時、ヘルパーさんの分を払わなくてはならない事を始めて知った)を考えると金銭面の問題も大きい。そこで、この4月から導入したのはプア・エイド割引。働きたくても働けない事情のある方は受付で障害者手帳を提示して言ってもらえればシニア料金で利用出来る。またガイドヘルパーさんには、ガイドヘルパーパスを発行してくれるので、これを提示すればヘルパーさん分は無料になる。「他ではやっていないけど、こうありたいなぁ…というものを形にしています」


ロビーに入ると壁一面に描かれた大きな木(劇場名のチュプキの木)のイラストが目に入って来る。これは、イラストレーターの根本有華さんの手によるもので、枝に付いている葉っぱには、映画館設立のクラウドファンディングに協力してくれた方々の名前が書かれている。チュプキとはアイヌ語で、自然界にある様々な光を意味する言葉で、まさに自然の光に照らされたような柔らかな色彩で表現された木からは生命力と希望が伝わって来る(もしかして、田端の新パワースポット?)。休憩時間のスクリーンにもチュプキの一日が投影され、BGMは派手な音楽ではなく、岩浪氏が作った小鳥のさえずりやカエルの鳴き声が流れ、上映までの待ち時間をゆったりと過ごせる。ちなみに場内の飲食は自由で持ち込みもOKだ。客席数が少ないため、せっかく来たのに満席で観れなかった…とならないために、電話予約も受けているのも嬉しい気配りだ。遠方から来られる方も多く、先日も奈良県から観光を兼ねて来られた方も。

映画だけではなく、2階のスタジオを活用して音声ガイドの制作講習会をやったり、“ニーゼと光のアトリエ”上映時にはトークイベントではなく、根本さんに協力してもらって場内でライブペインティングを行った。大きなキャンバスを張って、思い思いの絵を描いてもらうという初めての体験に、参加された方も笑顔で劇場を後にされたそうだ。「準備などは確かに大変ですが、お客様に参加してもらう事で、ただ映画を観て終わるだけではなく何かを持ち帰ってもらえたら…と思います。とは言え、まずは維持をしていくのが一番の課題ですが(笑)お客様一人一人との出会いを大切にして、時を刻んでいけたら良いなと思います」平塚さんが、この活動を始めて16年…健常者のほうが知らない領域がたくさんある事に気づかされたという。「視覚に障害がある人たちは、耳に意識を集中して聴くからこそ、私たちが分かっていない広い世界を知っている事だってあるんです。健常者って実は“健常”ではないんじゃないか?もっと良いものがあるんだよ…と、教わる事が多いんじゃないか?って映画館を始めて改めて思いました」(取材:2017年3月)


【座席】 20席 【音響】 ドルビーアトモス7.1.4ch対応

【住所】東京都北区東田端2-8-4 マウントサイドTABATA 1F 【電話】03-6240-8480

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