1955年2月、日本映画史に残る映画が公開された。それは、まだ敗戦の傷が癒えていなかった国民に一筋の光をさすような映画だった。戦後アマチュアで結成された群馬交響楽団の物語を今井正監督が叙情豊かに作り上げた“ここに泉あり”だ。完成までの道のりは決して平坦なものではなく、新星映画という小さな独立プロでスタートしたものの製作費がなかなか集まらず、前橋市にあった3万人の会員を有する映画サークルのメンバーを中心とした製作委員会を立ち上げて資金を集めることになった。その時、映画の完成に大きく貢献した一人に事務局長をされていた日沼富男氏がいた。


“ここに泉あり”は全国公開されて300万人を動員する大ヒットとなった。日沼富男氏は、その成功をキッカケに映画の製作・配給を行う共同映画群馬事務所(後の有限会社群馬共同映画社)を設立。その後、長男の日沼和佳氏が会社を引き継ぎ、現在に至るまで、“未来につながる子ら”や“エクレール お菓子放浪記”など子供文化の向上に力を入れた映画を送り続けてきた。後日談として、今井監督は亡くなる数日前に群馬共同映画社を訪れ、「私はもう長くないから、私の一番の映画を作ってくれて本当にありがとう」と、お礼を述べられて富男氏と和佳氏と三人で写真を撮ったという。その時の様子を話してくれたのは、現在、前橋市にあるミニシアター『前橋シネマハウス』の支配人を務める日沼大樹氏だ。太田市で専門学校の職員をしていた大樹氏が映画の世界に入った理由は「祖父からは跡を継がないか?とよく言われていました。父は映画は大変な職業だから止めた方が良いと反対していましたが、私も映画は好きですし、ちょうど家族も出来た時だったので、映画で色々な事を伝えられる仕事も良いなと思い、父の会社に入る決心を固めました」大樹氏は、先日公開された戦時中の保育園で働く保母さんを描いた“あの日のオルガン”の製作にも携わっている。

そんな大樹氏が映画館の支配人を務めるようになったのは今から2年程前…2017年の春先にまで遡る。「会社に入って3年くらいが経った頃、前橋市長さんと市の担当者さんから、休館している映画館を何とか復活出来ないか?と相談をもらったのが始まりでした」バブル全盛期の1987年、前橋西武の別館(現在のアーツ前橋)にオープンした『前橋テアトル西友』は2006年に閉館。後に名画座の要素を備えたミニシアター『シネマまえばし』として2009年にリニューアルオープンしたのだが、こちらも2011年に休館すると、しばらくは前橋市の管理下で講演会や自主上映が行える貸し館として運営していた。アーツ前橋の1階と地下は、市が運営するミュージアムとなっており、常設映画館を加える事で、ここを文化と芸術の発信基地にしたいと考えたのだ。


「私も映画館を経営したことがないので畑違いなんですよ。それに次々と映画館が閉館している今の時代、ポッと出のところが映画館なんて無理です…と最初はお断りをしたんです」その後も担当者は諦めること無く足を運ぶ日々が半年ほど続いた頃、大樹氏の心境にある変化が起こった。「お話しをいただく内に、映画館をやってみようかなと思い始めたんです。自分が観て欲しい映画を観てもらえる場所を提供する事で、多少なりとも映画界への貢献になるのでは…と」ところが、そこからが大変だった。前橋市の施設を借りる関係上、オープン予定まで半年も無かったのだ。大樹氏は本業の映画製作と同時進行でオープン準備に取り掛かった。「宣伝が出来たのは2月下旬で、作品選定もロクに出来ず、とにかく何も考えずに前に進むしか無かったですね。何せ配給のスケジュールや業界のルールなど何も分からない状況でしたから慣れるまでがひと苦労でした」かくして2018年3月17日にオープンした『前橋シネマハウス』は、記念価格1000円にするなど大々的に告知が出来たおかげで、まずまずの動員を実現した。

「ところが4月1日から通常興行になった途端、お客様が来なくなったんです。来場者が一日一桁なんて事もありましたよ。そんな状態がGWを過ぎても関わらず、7月くらいまで赤字が続きましたね」特に自信を持ってこけら落としに選んだ河瀬直美監督の“あん”がガラガラだった事にショックを覚えたという。「群馬県にはハンセン病の療養所があって、その施設も含めて色々なところで移動上映すると、多くの人が入ってくれただけに驚きましたね」映画館経営は全てが初めてづくし、何をやれば良いのか分からないまま試行錯誤を繰り返しながら時は過ぎて行った。「そうしていくうちにスケジュール作りにも慣れてきたので、トークショーを7月の終わりに行ったんです」競輪をテーマにした“ガチ星”という作品で、地元の前橋競輪が協力してくれて、現役競輪選手と出演者のトークショーを開催したところ面白かったと評判になったのだ。「こういうイベントをやるとお客様が入るんだと気がつきました。そこからですね…少しずつお客様も増えてきたのです」


そして、地元のドキュメンタリー“陸軍前橋飛行場 私たちの村も戦場だった”の公開が、『前橋シネマハウス』のターニングポイントとなった。「監督をされた飯塚俊男さんは、群馬共同映画社でお付き合いしていたので、ウチで全国先行上映をしたのですが…フタを開けたらものすごいお客様で毎日満席となったのです」初日のトークショーには、開場の30分前から列が延び始め、その時点で満席になってしまった。その事を告げると並んでうた人たちからは怒号の嵐…1時間前に終わるなんてどういうことだ!とか立見でも良いから入れろ!という声が上がって、劇場前は騒然とした雰囲気に包まれた。「皆さん立見が普通だった時代を経験しているご年輩の方が多かったので、今は消防法で立見は無理なのです…と説明してもなかなか納得していただけないのです。中には、俺が消防局に電話してやるって言う方もいて(笑)本当に大変でした」最終的には予定していた上映期間を延長して、動員数は3000人の大ヒットとなった。

「そこからですよ。お客様から、昔ここに来ていたよ…と声をいただいたり、今まで来ていなかった人たちが来てくれるようになったのです。更に口コミでお友達に広げていただけて、確実に月の動員数が増えました」と言われる通り、7月まで月500人前後だった動員数も、9月以降は1000人を切る事は無くなり、先日一周年を迎えて、年間目標の動員数を上回る結果も出た。また、こけら落としで入らなかった“あん”の再映では、改めて映画館の存在を知った人たちで満席となった。これを機に『シネマまえばし』の時代から手つかずだった『シアター1』のスクリーンを新しく張り替える事も出来た。「本当に7月までは、何をやってもお客様が入らず、市長に、もう無理ですって、何度頭を下げに行こうかと考えていました」その時、大樹氏の頭を過ったのは、他所の映画館の方々から言われた、「最初は我慢、軌道に乗ってからも我慢の時がある」という言葉だった。その後、色々なお客様から「ここの映画館はハズレがないね」と言われるまでになって、映画館を運営する喜びを実感出来るようになってきた。「だからといって今も売上げが、充分あるわけでもないので、もう少し余裕を持って運営出来るようになったら、館内をちょっとずつ改修をしていきたいですね」


“ここに泉あり”の時代から群馬県は、古い街並や観光地にはない人の営みを感じさせる自然が数多くある事と、東京から近いという利便性からロケーション撮影が多かった。また、地元で撮影された作品は人気が高く、群馬県在住のタレント岡本真理の原作を映画化した“青の帰り道”という青春映画は全て前橋で撮影され、地元の原風景が捉えられている事から、幅広い年代のお客様が訪れた。熊澤尚人監督の“ごっこ”は、正に近隣の商店街でオールロケを敢行したのだが、2年近くも公開されておらず、熊澤監督に「ウチで上映させてもらえませんか?」と打診したところ、ふたつ返事で快諾。主演の千原ジュニアもラジオで紹介してくれたおかげで、当日は商店街の会長も来場されて会場は大いに盛り上がった。他にも美術館と連携して映画観賞と美術館見学のツアーを組む事もあったり、以前ドキュメンタリー映画“岡本太郎の沖縄”を上映した時、美術館では岡本太郎展を開催して、より深く作品を知る事が出来た。

前橋駅から真っすぐ伸びる駅前通りを10分ほど歩いたところ…数多くの飲食店が軒を連ねる繁華街の千代田町に『前橋シネマハウス』がある。ここから大手町にかけては、上毛線の始発駅である中央前橋駅や県庁、市役所などの公共施設が集中する街の中心部だ。「子供の頃は、ここにもたくさん映画館はありました。景気が良かった頃は、裏手の繁華街も賑やかでしたが、バブルが弾けた後はビックリするくらいに廃れてしまいました。市長さんが映画館をやりたい目的のひとつにはシャッター街となってしまった街に賑わいを創出したいというのがあったんです」地域の人たちとつながりが深い映画館を作りたいと思っていた大樹氏は、商店街組合の人たちや公共施設の館長さんと打ち合わせを繰り返しながら映画で街を盛り上げようと活動を開始した。「だから私は平日の日中は殆ど映画館にいません。私が中にいるよりも外に出て宣伝とかアチコチ顔を出す方が重要なんです」こうした活動のおかげで、チケットを購入した後に近所のカフェでご飯を食べて来られる人も多くなったという。



とにかく時間があればお客様との時間を優先してきた大樹氏。最近ではシニア層を中心に常連さんも増えて来た。映画好きのスタッフと一緒に選んだ作品を「良い映画だったよ」と言われるのが何よりも嬉しいと語る。時にはお客様の入りが悪いと常連さんから、全然入っていなかったけど大丈夫?なんて心配されることもあるとか。「ただ動員数や興行収入だけを気にしていたら、続けていこうとは思わなかったでしょうね。終映後…最後のお客様が帰り際に映画の話しをして行かれるのが本当に楽しい。たった一人でも観に来ていただいたお客様に喜ばれると、また頑張ろう!と思えるんですよ」(取材:2019年4月)


【座席】 『シアター0』116席『シアター1』56席 

【住所】群馬県前橋市千代田町5-1-16アーツ前橋上3F 【電話】027-212-9127

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