コロナ禍の直中、東京下町エリアにミニシアターが誕生した。地下鉄・都営新宿線の菊川駅から徒歩1分程の三ツ目通り沿いにある元パチンコ店を改装した『Stranger(ストレンジャー)』だ。オープンしたのは2022年9月16日。どこの映画館も閉館もしくは休館を余儀なくされていたこの時期に、どうして映画館を立ち上げようと思ったのか?代表の岡村忠征氏にその真意を尋ねた。「コロナ禍で新宿や渋谷に行かなくなった時期に家の近所にある古着屋とか古本屋に行って世間話をするのが心地良かったんです。その時ふと思ったのが、そう言えば映画館で、こんにちはとか今日の映画はどうでしたか?ってスタッフの人に話しかけられた事がないな…という事でした」日頃から映画館に対して問題意識を抱いていた岡村氏は、いつか自分のブランドとして映画館を経営したいと思っていた。 そんな気持ちを後押ししてくれたのが、新橋にあるTCC試写室を会場として名作映画を上映する“土橋名画座”との出会いだった。コロナ禍でどの映画館も制限を設けながら上映を行なっていた時期、”リチャード・フライシャー監督特集”を観に行った岡村氏の目に飛び込んできたのが、幅広い年代の観客で満席に近い場内の様子だった。昔の映画にも関わらず、そこには若い人たちも多く来ており、その時に特集上映形式で30席規模の映画館ならば自分でも作れるのではないか?…と思ったという。「実は緻密にマーケティングとか市場調査をしたわけではなく、自分がいち観客として、今そんな映画館を作ったら面白いんじゃないのかなと考えたのです」20歳の時に映画監督になりたくて広島から上京した岡村氏は、ミニシアターでのバイトから映画配給会社の仕事を経て、映画制作の現場も経験したが、34歳の年にブランディングのコンサルティングをメインとする「アート&サイエンス」というデザイン会社を創設する。「このまま現場を続けても映画監督にはなれないと思ったんですね」しばらくデザインの世界に身を投じてきたが、別のアプローチで映画に関われないかと自分のブランドとして映画館事業への参入を決意した。 |
デザインと畑違いの業界へのチャレンジは、結構度胸がいったのではないだろうか?当時の思いを尋ねてみると「正直、そこまで深く考えていなかったですね」と意外な返答。館名にあるストレンジャーはクリント・イーストウッドが監督・主演を務めた西部劇”荒野のストレンジャー”をモチーフとしている。ちなみにロゴに使われているブルーも劇中に出てくる荒野の青空をイメージしているそうだ。この単語に映画的なコンセプトを感じたという岡村氏。見知らぬ街にやって来た男によって奇妙な出来事が展開する物語に「僕自身が映画業界からすると部外者(ストレンジャー)なので、その気持ちを忘れずにいたいという思いと、ストレンジャーだからこそ出来ることをやるという決意表明でもあるのです」と語ってくれた。 岡村氏は配給会社や映画館の人たちに設立のノウハウや法的な問題点などを聞きに周り、最終的に20人近くの映画業界の人にインタビューをされたそうだ。「どういう点に注意をすれば映画館が作れるかという道筋が見えて来たのですが、いざ物件を探し始めると映画館を作るには厳しい規制がある事が分かったのです」当初、東横線近辺の東京の西側で探していたのだが、予算と設置基準を満たす物件がなかなか見つからず、2ヵ月が経とうとしていた。「ところが、ふと東側に目を転じると良い物件が結構ある事に気づいたのです」それが下町情緒を残しつつ、近年は新しいカフェやギャラリーが増えている清澄白河だった。かつて町工場が多かった隅田川の東側にはミニシアターが無く「新しいことをやるのであれば、こういった場所でチャレンジしよう」と思った矢先に閉店したパチンコ店と出会い、いよいよ設立に向けて始動する事となる。 |
18歳の時に”気狂いピエロ”を観て衝撃を受けた岡村氏は、映画館を作ろうと思った時からこけら落しはゴダールと決めていた。それが叶わないのであれば映画館はやらないとまで思っていたそうだ。その思いを貫いて、ジャン=リュック・ゴダール特集をこけら落としでオープンしたのだが、セレクトされた作品にもこだわりを見せた。商業映画との決別宣言をしてしばらく映画を撮っていなかったゴダールが13年ぶりに復帰した”勝手に逃げろ/人生”(日本では1995年に”シネセゾン渋谷”で公開)を始めとする1980・90年代に発表された6作品をラインナップしたのだ。誰もが知っている60年代の作品ではないところに岡村氏の肝の座り方はタダ者ではないと感じる。しかし、目の肥えたコアな映画ファンに向けての印象付けとしては大きな意味があった。このラインナップで、『Stranger』は「映画好きに向けた硬派な映画館」と認識されたのだ。その後も1983年に製作された伝説のロック・ムービーと言われる”ゲット・クレイジー”を日本初公開したり、東映時代劇から実録ものまでゴッタ煮感覚で集めた東映スペシャルセレクションはスタッフ総出で取組むなど意欲的な企画が続いた。中でもファンから高い評価を得たのがドン・シーゲル監督特集。権利が切れている作品を直接買い付けた貴重な8作品(エルヴィス・プレスリー主演の西部劇”燃える平原児”を入れている抜群の目利き!)の特集上映には圏外からも多くのファンが詰めかけた。「ウチの座席数ではファーストの映画館にはなれない。だったらやりたい映画は直接買い付けてでも特集上映を売りにしたいと思っています」という言葉通り、ここでしか観ることが出来ない特集は『Stranger』の看板となりつつある。 |
『Stranger』は「映画を知る・映画を観る・映画を語り合う・映画を論じる・映画でつながる」という5つのコンセプトから成り立っている。「今のショップは、スタッフと来店するお客様が、同じひとつのものを愛する仲間としてコミュニケーションを行う場所に変わってきたのに、映画館って未だにそうなっていない…と感じていたのです」と岡村氏は兼ねてより映画館の在り方に課題意識を抱いていた。「僕が映画館で”今日の映画はどうでしたか?”と声を掛けられた事がないし、そもそも映画を観る目的が無いと映画館に行かない。でも今の世の中は違うじゃないですか。洋服を買わなくても行きつけのショップに行って店員さんと話をする…そんな付き合い方をしていると日常生活が豊かになると思うんです」それをコロナ禍で特に感じたという岡村氏。「映画館もそういった現代的なコミュニケーション空間になれば、今までと違う価値を体験できる場所にアップデート出来るのではないでしょうか」と続けてくれた。 その中で出された答えのひとつが併設されたカフェだった。従来の映画館は映画を観賞するミュージアム型だったが、『Stranger』が目指す形はギャラリー型の映画館だ。「ギャラリーでは作品を観賞して終わるのではなく、そこにキュレーターとなるスタッフがいて、その作家を取り上げた理由を説明をしたり、時には作家を招いてコミュニケーションを取ってもらう。そうした情報交換をする場所となれたら新しいスタイルの映画館が生み出せると思うのです」つまり、「映画を語り合う」役割を果たすのがカフェであり、そこにいるスタッフであるわけだ。ここで従事するスタッフの映画に対する知識や思い入れは他の映画館では類を見ない。だからこそ特集上映で自分がやりたい企画や作品を誰もが積極的に提案できるのだろう。また「カフェとしての利用をもっと広げたい」と述べる岡村氏は、地元の人が映画を観なくても気軽に立ち寄ってもらえるよう、本屋さん古着屋さんとタイアップするなどカルチャーの発信拠点となれるようなイベントを打ち出している。ちなみにオープン前にスタッフ全員で日本でトップクラスに位置されるバリスタにコーヒーの淹れ方を習ったというから味には自信があるという。取材時にいただいた「自家製スパイシーレモネード」は、ピリッと感じるスパイスの風味とレモンが絶妙なバランスで美味しかった。これからも季節に合わせたメニューも開発される計画なので楽しみだ。 |
映画館で独自に発行されている「ストレンジャーマガジン」は思わず嫉妬してしまう程、内容が充実している。映画ファンの最たる夢は「自分の映画館を持つ事」だとしたら、双璧を成すのが「自分の映画雑誌を作る」ではないだろうか?学生の頃、大学ノートに映画の書評を書いて、映画雑誌から切り抜いた写真をレイアウトした経験は誰もが持っていると思う。その夢を形にしたのが「ストレンジャーマガジン」だ。不定期ながら現在まで5号が発刊されており、毎号60ページ以上のボリュームで読み応えのある誌面構成となっている。とても単独の映画館が作ったとは思えない仕上がりで、寄稿されている映画評論家や研究家の錚々たる顔ぶれに驚かされる。中でも映画評論家の山根貞夫が急逝される前年に書かれた文章は必読ものだ。また1980年代に”ゲットクレイジー”をイチ早く日本で紹介していたビデオマーケット店主・涌井次郎と映画監督・篠崎誠の対談を掲載されている号は、研究書としてもクオリティの高さに驚く。 オープンから間も無く1年が経とうとしている。ひとつの映画館が、日本未公開や権利切れの作品を直接買い付けて特集を組んで来た困難さは想像するに容易い。宣伝ポスターやチラシを全て自前で制作するため経費も余分に掛かってしまう。それでも続けて来られたのはリピーターからいただいている高い評価だ。「例えば音響の良さやスクリーンの大きさとか…提供しようと思っていた体験価値はちゃんと生み出せていると思います」と振り返る。『Stranger』の次なる課題は、長年、映画館が無かったこの地域の人たちに、映画館で映画を観るという習慣を浸透させる事。それには時間は掛かるけどやって行かなくてはならないと意気込みを見せる。焦らず自分たちの無理の無いペースで好きな映画を提供していく。そして、スタッフの皆さんは訪れるお客さんと好きな映画の話に興じる。こうして下町にある映画館は続いて行くのである。(取材:2023年7月) |
|
【座席】 49席 【音響】QSC THXサウンドシステム 【住所】東京都墨田区菊川3-7-1菊川会館ビル1階 【電話】080-5295-0597 本ホームページに掲載されている写真・内容の無断転用はお断りいたします。(C)Minatomachi Cinema Street |