上映が終わると一人の男性がスクリーンの前に立ち、今上映されていた映画について淡々と静かな口調で語り始めた。この映画が制作された背景や製作者たちの思いを自分の言葉で述べる。そして観客はひとつひとつの言葉に大きく頷きながら聴き入っている。それは正に今観たばかりの映画を自身の体内に吸収しようとしているようだ。その映画館は本州の最西端に位置する山口県下関市の漁港口にある郵便局をリノベーションしたミニシアター『シネマポスト』だ。 支配人の鴻池和彦氏は毎回上映終了後に、観客に向けて映画の後説を行なっている。鴻池氏から発せられる言葉はフライヤーに書かれている表面上の解説ではない。どうして自分がこの映画を選んだのか?観客が今観たばかりの映画に対して知識を深めてもらえるよう丁寧に製作者の思いを代弁しているようだ。 |
下関は「偉大なるローカル線」と呼ばれる山陰本線と、瀬戸内海沿岸を走る山陽本線の本州の終着駅である。長大な路線が交差する本州における交通の要衝であった。また九州と山口を結ぶ玄関口である関門トンネルが昭和17年に開通したことから物流がここに集中して関西や関東に向けて流れる鉄道の起点となった。また古くから中国や朝鮮半島からの玄関口として栄え、下関港国際ターミナルから国際線のフェリーが毎日就航されており国際湾岸都市の一面もある。下関は鹿児島線の山口県側の終着駅でもあり九州側から関門トンネルを抜けると広大な列車の車庫が車窓から見えて鉄道オタクではなくとも感動する。戦時中、空襲の被害を受けていなかった下関は、戦後間も無く復興に向けて動き出した。まだ物資が不足していた時代。全国屈指の水揚げ量を誇り好景気に沸いていた下関漁港からの要請で、『シネマポスト』の前身である下関大和町郵便局が開設されたのは昭和24年の事である。 鴻池氏の祖父にあたる創業者の音松氏は地元の名士であり、現在の日本郵政がかつて国営だった当時の逓信省に勤めていた実績から特定郵便局長就任の白羽の矢が立つ。二代目である和彦氏の父・宏氏が事業を引き継いだ昭和47年。当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りのビル型局舎に郵便局は移築。郵便局と居住エリアの他に、船に食料を調達して運搬する業者や設計事務所などのテナントが入っていた。昭和30年から続く高度経済成長期も終盤を迎えて街の景気も右肩上がりに伸びていた時代だ。「私は高校まで下関にいたのですが大学進学を機に上京して、卒業後は映画製作の道に進みました」幾つかの映画会社で経験を積み重ね、制作に加え配給や劇場営業にも携わった。「こうしたスキルが現在に活きていると思います」プロデューサーとして順調なキャリアを歩んでいた最中、父・宏氏から郵便局を継いで欲しいという話が入ってきた。 |
「ようやくプロデューサーで一本立ちして、これから色々やって行こうという矢先でしたから葛藤はありました。ただ実家が営む郵便局をいずれ継承しなければならない運命はある程度覚悟していたので、まだ柔軟な考え方が出来る30歳前半のうちに帰った方が良いと思い切って決断しました」それが平成17年…鴻池氏が34歳の年だった。郵便局長として働く傍ら自主映画を制作するなど創作活動を続けていた。10年が経ったところで再び転機が訪れた。下関郵便局を中心としたエリア配置の見直しに伴う郵便局の整理計画が持ち上がったのだ。「5年後の廃局と、それに伴い勤務異動することになる想定が立ちました。祖父の代から続く下関大和町郵便局の名前を継承するために戻って来たので、その名前が無くなるのであれば、郵政に留まる意味はありません。それが45歳の時です。時代の見極めもあります。思い切って郵便局を閉局するという決断をしました」無論、郵便局を廃業すると言っても申請してすぐに閉局出来るものではない。「廃局工程に沿っての厳格な手続きに加え利用者の方や自治会への説明等、関係各所との調整と説明が必要です。何よりも管轄業務を他の局に引継いでもらわなくてはなりません。約1年を掛けて平成28年3月11日に廃局となりました」 制作会社と広告代理業を兼ねた株式会社cinepos(シネポス)を立ち上げたのは廃局から3ヶ月後の6月13日。東京で培った知識を活かしてTVCM、PVの制作、イベント事業の企画制作等、様々映像媒体で情報発信をしている。スタンスとしては地域に根ざしたコンテンツを「つくる」位置付けだ。令和4年には金子雅和監督作品”リング・ワンダリング”に16年ぶりに商業映画のプロデューサーとして携わる。絶滅したニホンオオカミを題材に漫画を作ろうとする主人公が辿る数奇な出来事を描いた本作は、海外の映画祭でグランプリを受賞するなど高い評価を得た。「日本において、もっと幅広い映画鑑賞としての選択肢に捉えてもらえる映画人口の創出が必要だと思いました」鴻池氏はアート系の映画とそれを求める人たちのHUBとなる拠点を地方である下関に作りたいと考えた。「シネポスも設立から7年が経ち、色んなキャリアを積んできたので、新事業として映画館を立ち上げようと思ったのです。今までの”つくる”という事業に加えて映画館は”つたえる”というポジションです。これがシネポスの二本柱です」 |
最盛期の半分以下にまでミニシアターが減っている現状の中『シネマポスト』は令和5年10月7日にオープンした。館内にはロビーと場内を仕切る壁は無い。郵便局時代のカウンターを挟んでいるだけだ。上映が始まるとカウンターは暗幕で仕切られるが、休憩時間中、暗幕は束ねられており、ここが郵便局だったというのがよく分かる。完全に郵便局時代のイメージを無くしてしまうのではなく、『シネマポスト』という館名に込められた建物の歴史を内装に活かしているのだ。「リノベーションする時に考えたのは、郵便局臭を消すか消さないか…でした。ここに下関大和町郵便局があったというのは純然たる事実で、私も11年間局長をやっていたので、郵便局の名残を活かすべきだと思ったのです」それを強く進言してくれたのは東京で映画に携わったギャガ時代の仲間だった。昔使っていた郵便局の小物を押し入れから持ってきてカウンターに飾った。だから館名にも「ポスト」を残した。いまだに地元の方たちの中には顔を見ると局長と声を掛けてくれる方もいるという。「私が地域の人たちと密接になって、ここにポテンシャリティを感じられるようになったのは郵便局長をやったからです。それを考えると閉局した郵便局の遺構は大切に考えた方が良いと思いました」郵便局の雰囲気を強く打ち出した結果、それが『シネマポスト』のブランディングとなった。女性の建築デザイナーにデザインコーディネートを依頼した場内はフラットなフロアに段差を付けて、真っ白な壁一面がスクリーンの役割を果たし、照明を抑えた仄暗い空間に様々なタイプのソファや椅子を配置している。「これは女性のお客様が何度でも来たくなる居心地の良い映画館を目指したからです。だから色合いや全体の雰囲気作りを女性目線で取り入れてもらいました」と言われる通り、メインの客層は比較的女性が多い。 こけら落しには工藤将亮監督の”遠いところ”を選んだ。沖縄を舞台に地元で17歳の女性が凄まじく生きていく姿を描いた人間ドラマだ。「まずはこけら落しに相応しい映画とは何か?を考えたんです。当たり障りのないアートタイプの映画も候補にはあったのですが、そこはハードヒューマンな作品を選びました。十代の女の子が過酷な現状に晒される…本当に酷い話なのですが現代社会を抉った作品の方にこけら落としに相応しい力を感じたのです」つまり鴻池氏は、こけら落しで『シネマポスト』という映画館の姿勢を見せたというわけだ。ただし、オープニングの動員数としては決して大ヒットというわけではなかった。「それでもこの映画をやって良かったと思います。この映画館は迎合せずにちゃんと考えて作品を選んでいるという姿勢を見せることが出来ました」その後もホン・サンス監督”小説家の映画”とドキュメンタリー作品”ジャン=リュック・ゴダール 反逆の映画作家”が続き、姿勢を崩す事はなかった。「一瞬不安が過りながらもストップモーションアニメの”オオカミの家”でようやく盛り返して、そこから映画館としても認知されてきたと感じます」作品ごとに新しいお客様が来訪し常連客も増えてきた実感がある。「結局、口コミが一番の宣伝だと確信しています。特にウチのような映画館は地道にやる事でしか道は無いと思います」 地道に…という点で言えば、上映形態にもその姿勢は現れている。上映を行うのは月の1週目と3週目のみで、1週間1作品に限定している。タイムテーブルも1日4回(10時半・13時半・16時半・19時半)と時間を固定。決して無理に何作品も詰め込む事はしない。「これには色々な理由があります。ひとつは下関市周辺の映画人口です。アート系の映画を好む人たちは、北九州圏も含めてもパイは限られています。都会のミニシアターならば色んな映画を上映するスタイルでも成り立ちますが、この場所ではオススメする作品を一週間一本というスタイルにしました」映画を製作する立場でもある鴻池氏が、作り手の視点で選ぶラインナップを地域の人たちに観てもらう。一本一本をじっくり一週間、愛情を持って大切に上映しているのだ。どんな作品を上映する場合でも始まる時間を必ず同じにしているのが重要なポイントだ。「作品が変わるたびに開始時間が異なると、お客様の側には非常に面倒に思われる筈。だから上映時間を固定する事で、お客様も覚えやすいし観に来る前に時間を調べる必要が無い。出来るだけ面倒な要素を省いているので予定も組みやすいと思うんです」そのおかげで最近では、『シネマポスト』で上映する映画ならば全部観たいと言ってリピートされるファンも増えてきた。 |
鴻池氏にとって作品選定のポイントは、観終わった時に誰かと話したい…いわゆる物語に行間がある作品だという。だからこそ前述した上映終了後の後説が必要なのだ。「映画を観終わって、私がひと言この作品を選んだ思いを述べる事で観客の皆さんのちょっとした疑問が少し柔らかくなるとか、隙間を多少でも埋める要素になればと思っているんです」ここで鴻池氏が述べるのは解説ではなく映画の解析である。映画の制作や配給を体験してきた作り手の観点で語られる言葉は、表面的な解説よりもより深く心に入ってくる。「現場で映像を作る時は、どうしてこのカットが必要なのか?を瞬時に計算して撮影をしていくわけですけど、作り手の中にそういった解析力が無いと映画は作れない。だから数ある映画の中から一本の作品をセレクトするところが重要で、私がどうしてこの作品を選んだのか?を皆さんにお伝えする事を大切にしたいと思います」 「私は普通の人生ではなかなか味わえない、人生の転機を何度か体験させてもらえた恵まれた人生だと思っています」と振り返る鴻池氏。今も多くの仲間が応援してくれている。次の目標は何よりも『シネマポスト』がここにあり続けるという事。それによって色々な可能性を広げたいという。かつての大和町には3つの映画館があった。そんな通りに再び映画館を復活させる。この町に映画館を復活させたいという意義について次のように語ってくれた。「昭和30年代の日本には多くの素晴らしい映画監督がいて、そうした映画系譜の継承は大事だと思います。その系譜を継ぐ人たちの映画を皆さんに観てもらいたいのです」これからもそんな映画を伝えていきたいという鴻池氏。「この一年は基礎固めに徹して、映画館の色を確立して行きたいと思っています」館名にある「ポスト」には「郵便箱」の意味の他に「次の」という意味もある。まだ始まったばかりの『シネマポスト』が次に何を繰り出してくれるのか目が離せない。(取材:2024年2月) |
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