かつて札幌市には「札劇(サツゲキ)」という愛称で親しまれていた『札幌劇場』という大劇場があった。地下鉄すすきの駅から歩いて5分のところに立つ「須貝ビル」の7階にあって、大通り公園に行くにも繁華街の狸小路に行くにも程良い近さで、1970年代に封切られた洋画の話題作は必ずここで観た。客席数826席を誇る『札幌劇場』が入る「須貝ビル」は、地下から8階にかけて大小10館以上の映画館が入る娯楽ビルで、学生時代に映画を観に行く時は「サツゲキに行く」または「スガイに行く」と言っていた。面白いのは『札幌劇場』で封切りされた作品が、二番・三番となるにつれ階数が下がっていき、最後には地下にあった客席が72席ほどの小劇場で300〜400円で上映されるところだった。『札幌劇場』は”エクソシスト”や”ジョーズ”といった大作から”スタークレイジー”や”キャリー”などの話題作も余す事なく送り続け、洋画ブーム全盛期に札幌の興行シーンを牽引してきた。中でも小学生の時に観た”タワーリングインフェルノ”は封切を『札幌劇場』で観て、あまりの面白さに、二番・三番と追いかけて最後に地下の小劇場で完結した思い出は忘れられない。 「須貝ビル」のもうひとつの魅力は階下にあった複数の小劇場と言っても良いだろう。5階にあった『シネマ5』と『シネマロキシ』は、”岩波ホール”や”シネマスクエアとうきゅう”の単館系をメインとして、地下にあった4つの映画館は、洋ピン(洋画ポルノ)専門館の『テアトロポニー』や本物の殺人映画と謳った”スナッフ”をやったと思えば、アンジェイ・ワイダ監督の”灰とダイヤモンド”を掛けるごった煮感覚がウリの『テアトロピッコロ』『シネマアポロン』という小劇場が狭いスペースにひしめきあっていた。その隙間にあったスタンドで映画を梯子する合間に食べた(さほど美味しくない)カレーが懐かしい。そんな当時としては珍しい複合型の映画ビルだったが、昭和43年10月10日にオープンした頃は『札幌劇場』だけしかなくて、他のフロアは当時流行っていたボーリング場やビリヤード場といった遊戯施設だった。ビル全体に漂う怪しい雰囲気も魅力だったが、昭和50年に入りブームが去った途端、遊戯施設の殆どを映画館に改装された時は子供心に驚いた。元々映画館として設計されていないため天井が低かったりするので途中でトイレに立つ人がいると頭の影がスクリーンに映っていた。中でも4階にあった500席程の『グランドシネマ』は中央に大きな柱があって席によっては邪魔だった。そんな映画を観るにはやや厳しい環境であったにも関わらず、札幌の映画ファンは「須貝ビル」をこよなく愛していた。だからこそビルが閉館された令和元年6月2日には多くのファンが詰めかけて別れを惜しんだ。映画館の公式ホームページには「近いうちにどこかでサツゲキを復活します」という言葉で締め括られておりファンはそれを心待ちにしていた。そして…その日は意外と早く意外な場所で復活した。 |
令和2年7月22日。狸小路にあった映画館『東宝プラザ(平成23年閉館)』をリニューアルして4つのミニシアターとなって生まれ変わった。そして館名がズバリ『サツゲキ』だった事は、何よりファンの心理を見事に突いてくれた。「今だから言えますが当時はまだ何も決まっておらず、目処も立たないまま場所を探す…という状況だったんですよ」と語ってくれたのは支配人の横澤康彦氏だ。横澤氏は『ディノスシネマズ札幌劇場』最後の支配人であり、ホームページにコメントを書かれた本人だった。既に会社としては別の場所で映画館を再開するという方針は決まっていたというが、まさか我が青春時代を過ごした二つの映画館が、こんな形で復活してくれるとは。そのニュースを聞いた時「さすがサツゲキ!」と喜んだファンも多かったのではないだろうか?今回のリニューアルにあたりクラウドファンディングで改装費を公募したところ1200万円近くもの支援が集まった事からもファンの期待度が分かる。劇場がある2階へ上がる階段の踊り場に飾られている『サツゲキ』のロゴの後ろに支援された方々の名前が記載されたプレートをハメ込んでいたり、『ディノスシネマズ札幌劇場』の閉館時に多くのファンがメッセージを書かれた壁の一部をディスプレイとして展示されている。 |
こうした映画ファンの思いを乗せて、いよいよリニューアル工事が始まった。館名も『ディノスシネマズ札幌劇場』を継続するのではなく長年親しまれた『サツゲキ』の館名で(コロナ禍で予定より遅れたものの)約束通り再開を果たしてくれた。アート文化の発信地というコンセプトを掲げて、地下の『東宝プラザ2』はそのままに、376席あった『東宝プラザ1』を3スクリーンに分割して、合わせて4スクリーンのミニシアターとしてオープンした。現在、1日に11作品から13作品を上映しているが「ジャンルに関しては、映画館としてそういったこだわりは捨てています」としている。その言葉通り劇場のラインナップを見てみると、社会派からドキュメンタリー、B級ホラーから良質の人間ドラマや名作など全てのジャンルを幅広く扱っている。このあたり…「須貝ビル」に入っていた映画館を彷彿とさせる。「こだわりを無くする事でお客様の選択肢が増えると思うんです。敢えて何かに特化してしまうと、偏ったお客様ばかりになってしまう」横澤氏が求めているのは、来場したお客様がチラシとか予告編を見て、こっちも観てみようかな…と思ってもらえる自由度を深めることだ。「そうなると多種多様なラインナップがあった方がお客様に観てもらう機会が増えると思うんです」 |
それぞれシアターはデザインを統一されておらず、場内の規模に応じてカラーやシートの質感に変化を与えている。「それぞれ個性を出した面白みのある場内というのがコンセプトです」座席も通常よりも数センチ幅が広く肘掛けも独立しているので、隣のお客様との距離を保てており、自分だけのプライベート空間が確保出来ている。特に小さい2つのシアターはかなり個性的だ。「シアター2」はポップな色合いの青・黄・赤のカラフルな椅子をランダムに配置して楽しさを表現している。「シアター3」は落ち着いた色合いと異なる質感の椅子を配置して高級感を演出した。また大きめのスクリーンは太鼓張りという技法を採用して映像が浮き出た効果が得られており、小さいシアターを好まれる常連客がいるのも納得出来る。「シアター1」はインパクトを重視して座席から天井までレッドで統一。「初めて来たお客様も場内に足を踏み入れた途端、一瞬足を止めますから(笑)。私たちの狙い通り『サツゲキ』の印象を強める事が出来たかなと思います」唯一地下にある2番目に大きい「シアター4」は『東宝プラザ2』のスクリーンと映写機以外当時のまま。ブルーを基調とする場内は「シアター1」のレッドとは対照的だ。 |
客層としては40代から年配の方が中心だが、最近は”ゴッドファーザー”や”インファナル・アフェア”等の旧作に興味を持って観に来る若者たちが増えている。「旧作を懐かしく感じる年配のお客様と異なり、若い方たちにとって旧作は映画館で観ていないので、新作のような感覚なのでしょうね」横澤氏は作品のジャンルを広げているおかげで、想定しなかった客層の獲得につながっていると分析する。一方でオンデマンドの普及による観客の動向も変わってきた。「先週は結構入っていたのに今週から急にガクって落ちてしまうパターンが多くなりました。公開から配信までのスパンが短くなってきたから、ある程度の時間が過ぎると、配信まで待とうというマインドになるのかも知れません」逆に言えば既に配信されている旧作であるにも関わらず映画館に足を運ぶ若者が増えている現象は、映画館で映画を観る事に何かしらの意味を感じているのかも知れない。お客様からも「スクリーンでは観られないと思っていたので嬉しい」という声をいただいている事からも映画館で観る事に価値を抱いている人たちが増えているように感じる。「旧作は継続的にやっていかないと認識されないので今後も増やしていきたいと考えてます」 |
『サツゲキ』では通常興行以外にも「シアターレンタル」サービスを行っている。昔に比べて現在は簡単にスマホで映画が撮れる時代になってきたため邦画の本数が増えてきた。時には監督から直接「作品を掛けてもらえないか」という問合せも寄せられる。現在は上映作品に関しては全て佐々木興業の編成部を通さなくてはならないが、以前はシネマ・ドリフターという肩書きで創作活動をされているリム・カーワイ監督が直接売り込まれてきた事もあった。「無名の監督が自分の映画を上映して欲しいと全国の映画館を回る”あなたの微笑み”というロードムービーでは、全国のミニシアターを回る設定なのでウチでもロケされたんですよ。そこで私もちょっと出演したんですけど…(笑)」ちなみに自主制作などの作品は「シアターレンタル」を利用した上映会を勧めている。 |
階段を上がるとカフェのようなロビーが広がる。今話題の異業種とカフェを融合させたミクストランのスタイルを採用して映画を目的としない人たちの利用も大歓迎だ。コーヒーをメインとしたカフェではオリジナルの深煎り「コトンブレンド」や季節毎におすすめの豆を使用した季節の「シングルオリジン」を提供。フードメニューとしてシャウエッセンを使用したホットドッグは本格的な一品だ。「コーヒーもフードも手を掛けているため他所の映画館よりも少し高く感じるかも知れませんが食べてみたら納得いただけると自信を持っています」また市内にある人気のカフェ「つぐみ」で作っている焼き菓子も提供されており、お土産として買って行かれる方も多い。「皆さんがイメージされる映画館とは異なるロビーの雰囲気を面白がってくれて、気軽に立ち寄って、コーヒーを楽しむお客様もいらっしゃいます」勿論場内へ持ち込みはOKだ。カフェに併設されている「ポップアップストア」は誰もが自由に展示販売が可能なスペースで、手作り雑貨やギャラリー、上映作品の関連商品など使い道は自由。ちなみに記念すべき1回目の展示は「ガンプラ展」だった。 こうした新生『サツゲキ』のラインナップを見て、「須貝ビル」の時代にあった大小様々な映画館で大作からアート系、マニアックなB級ホラーを上映していた頃のことを思い出した。形やスタイルにこだわらない…これは正にサツゲキイズムなのではないか?「そうですね。そこは変わらないと思います。ジャンルを固定せずに色んな作品を上映してお客様の選択肢を増やすというのは昔と同じです」現在の須貝ビルは解体作業も終わり、跡地に新しい商業ビルが建設中だという。『札幌劇場』の最後にシャッターが完全に降りてもまだ閉館する実感が湧かなかった横澤氏だが、跡地に建設中の建物を見るたびに懐かしく思うそうだ。閉館が近づくにつれて新作もどんどん減っていき、最後の方は旧作のイベント上映のみとなった。「封切りが無くなったところで終わりが近づいているんだ…と思いましたけど本当の意味での実感がなかった」という。最終上映は『スガイシネプレックス札幌劇場』としてリニューアルオープンした時のこけら落とし”ジョーズ”だったというのも感慨深いものがある。それから1年後…『サツゲキ』のオープンを迎えた時、この日を待っていたお客様を前に「また始まったな」という思いだったという。そうだ『サツゲキ』はまだ始まったばかりなのだ。(取材:2024年4月) |
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【座席】 『シアター1』200席/『シアター2』28席/『シアター3』48席/『シアター4』170席 【住所】北海道札幌市中央区南2条西5丁目6-1狸小路5丁目内 【電話】011-221-3802 本ホームページに掲載されている写真・内容の無断転用はお断りいたします。(C)Minatomachi Cinema Street |