ひとりの男が小田原に「まちなか映画館」を作ろうと考えた。映画館で観る映画の魅力に取り憑かれ、頑なに映画の持つ力を信じ、私財を投じて「小田原まちなか映画館」を立ち上げることを夢見た人物とは、あの「ソニー」で初期のトランジスタの開発製造に関わり、ハンディカムやVAIOなどの名品を生み出した蓑宮武夫氏である。ソニーを定年退職した後に、地域で活動する団体や若者を応援する「(有)みのさんファーム」を立ち上げて地元小田原に活動の軸を移された。

そんな蓑宮氏が2022年7月に小田原シネマ(株)を設立。住民の日常生活に溶け込む映画館を作ろうと動き出した。既に市内から最後の映画館オリオン座≠ェ閉館して20年以上が経とうとしていた。その映画館がある場所は市街地では意味がない。誰もが気軽に訪れられる場所…すなわち小田原駅の近くであることが不可欠だった。6年もの歳月をかけて賛同する仲間と共に場所探しに明け暮れて遂に理想の物件と出会う。その映画館が小田原駅から錦通りを道なりに歩いて5分足らず。メイン通りから狭い路地に入った場所にある『小田原シネマ館』である。


2024年3月20日にオープンした『小田原シネマ館』がある路地は駅まで抜ける最短コースとなっておりビジネスホテルや居酒屋が軒を連ねる観光ガイドには載っていない穴場だ。むしろ出張で訪れたサラリーマンにとって便利な場所と言っても良い。栄町は多くの飲食店が建ち並ぶ市内屈指の繁華街でありながら一日の朝は早い。漁港直結の魚屋があったりするので、朝早くから通りのカフェには多くのお年寄りがモーニングを取っている姿が目立つ。狭い路地に突然現れるローマ遺跡のような外観の建物に初めて通った人は珍しそうに見上げている。「この建物は元々倉庫だったんです」と案内をしながら話してくれたのは小田原シネマ(株)の社長で蓑宮氏と10年来の盟友である古川達高氏だ。「本当はもっと早くに完成するはずだったけど、納得するデザインが上がるまでに時間が掛かってしまって…結局、間に合わなかったんだよな。みのさんは」と言葉を続ける。蓑宮氏は思い描いていた夢がいよいよ実現しようという矢先の2023年10月に、仕事で訪れていたメキシコで突然の病に倒れて帰らぬ人となってしまったのだ。「本当に完成した映画館を見たかったと思いますよ」まだ場内の床の段差をコンパネで組み始めた現場を見にきたのが最後だったという。「これからメキシコに行くって言って、亡くなってしまったんです」しかし既に走り始めていた映画館をここで止めるわけにはいかない。古川氏は小田原シネマ(株)の社長を引き受け、次男の蓑宮大介氏が副社長と支配人に就任して故人の遺志を引き継いだ。


今、ロビーの壁面に飾られている蓑宮氏の写真には名誉館長という肩書きが記されている。「僕に映画館を作りたいという思いを教えてくれたのが亡くなる4年ほど前でした。それを聞いてこんな時代に映画館なんかやる馬鹿いるか?≠ネんて軽く蹴飛ばしていたんですけど(笑)コロナ禍の時にも言い続けていたから、アチコチのミニシアターを一緒に見学に行ったりしたのです」そこから蓑宮氏は仲間に声を掛けて映画館設立の出資を募った。「それで実際にお金を集めちゃいましたからね。でも出資したメンバーも半信半疑だったらしく出資するのはイイけど本当にやるの?≠チて、皆から聞かれましたよ。よく考えたら当然の疑問ですよね。儲からないから小田原から映画館が無くなったのだから」と古川氏は笑う。「それでもみのさんの意思は変わりませんでした」まずはお金をかけて耐震補強工事を行った。1階を映画館、2階をレストランにして直接上がる階段も新設された。映画館と飲食店をセットにする構想は最初からあって、現在はイタリアンをベースとした多国籍レストランが入っている。シェフは古川氏の息子さんだ。ところが肝心の映画館は幾つものどんでん返しがあった。「私たちと設計士の映画館に関する認識に大きな開きがあったのです」設計士から上がってきた図面は簡素な作りの劇場だったのだ。カフェシアターではなく本格的な映画館を作りたかった蓑宮氏は打ち合わせを重ねたが、最終的に別の設計士に依頼して改めてゼロから始めたため計画から一年のブランクが出来てしまった。


工事をしている時からも通りを行く市民の皆さんから「映画館がやっと出来るのね」と声かけられたそうだ。ガラスのドアを開けるとこぢんまりとしたシンプルなロビーがある。受付にはドリンクサーバーとポップコーンマシンが入っているのが嬉しい。せっかく映画館に来たのだからドリンク片手にポップコーンは外せない。「私が一番こだわったのはポップコーンを入れる事でした。やっぱり飲食収入が無いと入場料だけでは営業的に厳しい。小さなことですが、こうした月々の積み重ねが大切なのです」古川氏は入場料収入だけに頼るのではなく持続可能な収益方法を採用している。その中のひとつにシネアドがある。株主になってくれた地元の企業の10秒くらいの広告を上映前に流している。「現在は7社ほどの企業広告をスポットで流していますが20社くらいまで増やしたいですね」ちなみに正面の壁に機動戦士ガンダム劇場版≠フポスター(サンライズの倉庫に眠っていた初版)が貼られている。よく見ると原作者の富野由悠季氏のサインが。小田原出身の富野氏と古川氏が「小田原城誘客プロジェクト」という企画で市内にガンダムマンホールを作った時からの付き合いで、オープン時にテープカットをやってもらっている。そこから2ヵ月間ガンダム映画の上映を一日一本ずつ行なってガンダムの専門館と誤解される程だった。わざわざ遠方から来られるファンもいたそうだ。ちなみに先日もガンダムの型式番号「RX-78」にちなんで、7月8日のガンダムの日に機動戦士ガンダム劇場版℃O部作≠ニ機動戦士ガンダム 逆襲のシャア≠フ企画上映が開催され好評を博した。


場内は段差を付けて可能な限りスクリーンを大きくした。また池袋のシネコンが不要になったシートを放出するというので格安で手に入れることが出来た。レイアウトは椅子の寸法を基準に合わせて配置してもらい、天井が低く高さが取れなかったため映写室から投影してお客様の頭が掛からないギリギリの位置に段差を組んだ。「シートを固定して映画館仕様にしたのが良かったです。おかげで松竹や東映など大手と交渉出来たので、ここにこだわって正解でした」場内とロビーを隔てる壁はブロックで組み鉄骨を入れた完全防音で映写室は朝から夜まで最小限のスタッフで対応できるようDCPを設置している。更に音響に詳しいFM小田原の社長に映写設備のセッティングを協力してもらい音響の良さに関しては折り紙つきだ。「だから音楽系の作品は必ず上映リストの中に入れています」

『小田原シネマ館』が1日で上映する作品は主に、音楽・懐かしの名作・単館系・もう一度映画館で観たい作品などで構成されている。「番組表を見ると全然違うジャンルの映画がそれぞれコンセプトに分けられているんです」作品選定は2週間毎のコンテンツ会議でスタッフ皆で意見を出し合っている。「皆で何をやりたいか自由に発言して、そこから配給会社と交渉しているんです。業界のルールとか気にせず、言いたいこと言ってます」古川氏は会議で世代を越えて意見を出し合うことが大事だという。「例えば初恋のきた道≠ネんて私がどうしてもやりたかったので無理やり入れてもらったんだけど、やっぱり責任を感じるので自分でオリジナルの券を作って知り合いに来てもらえるよう声を掛けまくりましたよ(笑)」小田原はお年寄りが多い街だから、朝に来られた方が映画を一本観て午後にまた来場されて「せっかくだからこれも観ていこうかな?」ともう一本観て帰られる。最初の頃にローマの休日(4K版)≠上映した時は、ロビーのチラシを皆さんが手に取って多くの枚数がはけたそうだ。


オープンから半年が過ぎて少しずつお客様の数も増えてきた。8月は800人の動員数があったという。周遅れで上映しているため東京・横浜でヒットした作品の評判を聞いて滑り込みで足を運ばれる方も多いのかも知れない。時には「この映画にこんなにお客さんが入るの?」という時もあって作品選びの重要性を目の当たりにした。観たかったけど終わってしまった…という理由で来場される方も多く福田村事件≠ヘ予想外のヒットとなった。特にPERFECT DAYS≠ヘ満席の回が2回も出るほどの動員数を記録している。「公開からかなり経ったくらいの後発だったので驚きました」本当ならばこうした光景も蓑宮氏と一緒に映画館のロビーで見て祝杯を挙げるはずだった。「よくよく考えたら映画館の赤字は折半でやろうねって誘われて参加したのに私一人になってしまった。赤字になったら半分は誰が責任持つんだよ」と壁の写真に向かって古川氏は笑う。少しずつ起動に乗って来た今、古川氏が考えているのはクリエイターの支援だ。そもそも二人の出会いもご当地映画二宮金次郎≠手掛けた五十嵐匠監督が小田原市に応援を求めて来た時に、応援団長を蓑宮氏・副応援団長を古川氏が務めたのがキッカケだった。現在は若いクリエイターに特別価格で貸館を行ったり、映画だけではなくライブハウスなどにも活用してもらいたいと呼びかけている。

こうして蓑宮氏の夢は古川氏と大介氏に託された。大介氏も長年勤められた箱根の名門富士屋ホテル≠フ副支配人を辞して『小田原シネマ館』の支配人として引き継ぐ決意をした。初めての映画業界だから戸惑う事もあるが一歩ずつ前に進み始めている。最後に蓑宮氏は一冊の書籍も遺していた。それが映画館設立に賭けた思いを綴った『いまこそ人生で大切なことは映画から学ぼう 小田原まちなか映画館の挑戦』である。「父は旅先でチェックをしようと思っていたのでしょう…メキシコの荷物に本の校正紙が入っていました」と大介氏は語る。最終校正は本人不在のまま古川氏が行なった。「死んだ人の文章は直せないから一行だけ修正させてもらいました」と言いながら本を私に手渡してくれた。「本の中で紹介されている映画館は殆ど一緒に行ったんですよ」本を開くと日本全国のミニシアターで館主さんにリサーチされた内容が紹介されている。本の前半、こんな一文が目に止まった。「小田原から映画館が消えた。ただし、それを憂いていても仕方がない。映画館が消えたのなら、もう一度自分たちの手で復活させればいい。」この言葉にある力強さこそ『小田原シネマ館』の原動力だ。(取材:2024年9月)


【座席】 40席 【音響】デジタル5.1ch・デジタル7.1ch

【住所】神奈川県小田原市栄町2-7-30みのさん第一ビル1F 【電話】0465-46-6371

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