日本人の誰もが知っている「蛍の光」を聴いて、高校生の若造だった私は、不覚にも涙が溢れた。その映画は『風と共に去りぬ』で、強い女性を演じ切ったヴィヴィアン・リーが180度イメージを転換したメロドラマ『哀愁』でのワンシーン。空襲の晩、ロンドンに架かるウォータールー橋の上でロバート・テイラー演じる英国将校と出逢う。二人は再会したナイトクラブで最後の想い出に、ワルツを踊る。それが「蛍の光」だった。演奏者が自分の演奏パートを終えると、前にあるキャンドルの灯を消していく。最後に演奏を終えるバンドマスターの灯が消えると店内は暗闇に包まれ、そこで二人はくちびるを重ねる。何と美しいラブシーンだろう。翌日には戦地に赴く英国将校への想いを暗闇の中で燃え上がらせた女性をマーヴィン・ルロイ監督が優しい名曲をバックに美しく描く。

ここで使用された「蛍の光」は、スコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」を音楽監督のハーバート・ストッサートが3拍子に編曲されたもので、チャイコフスキーの「白鳥の湖」と共に効果的に使われている。こうしたよく知られている楽曲を使った映画には黒澤明監督の『生きる』が挙げられる。志村喬演じる人生に生きがいを持っていない壮年の公務員が、余命の少ない自分が何をすべきかを悟った時に、店内で開かれていた誕生会で若者たちが合唱していた「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」が、彼を讃える曲として重なり効果的に使われていたなんて事も思い出した。

物語はテイラー扮する老将校が橋の上で、思いを馳せるシーンから始まる。(ちなみに「スバル座」パンフレットに掲載されている物語は、主人公の将校による手記の形で、恋人だったマイラとの思い出を回想しているのがユニーク)その日は、街頭ラジオでは英国首相がドイツに宣戦布告した事を高らかに謳う1939年の第二次世界大戦が始まった日だ。老将校の専属運転手が言う。「前の対戦でも同じ駅に行きましたね」前の対戦とは勿論、第一次世界大戦の事だ。25年間に二つの世界大戦があった時代である。

そんな時代に男が兵隊に行って、残された女性が一人で生きて行くにはどうするのか?新聞の戦死者名簿に彼の名前を見つけたマイラは失意の中で身体を壊す。彼女との生活を守るため友人が娼婦となって日銭を得ていると知ったマイラはウォーターロー橋で途方に暮れていると背後から通りすがりの男に声を掛けられる。最初は怪訝な表情を浮かべながらも笑顔を浮かべて男と一緒に歩き出す。彼女が生活のために身体を売る決意をした瞬間だ。身体を売る決意を固めた彼女の悲しみに溢れた(ある種の諦めのような)笑顔に胸が締め付けられる

『風と共に去りぬ』では南北戦争を背景に、逆境に立ち向かう南部女を力強く演じたヴィヴィアンだったが、本作では運命に争う事が出来ないまま瞳の中に恐れを浮かべる悲劇のヒロインを見事に演じて見せた。何と言ってもヴィヴィアンの美しさを的確に捉えた撮影監督ジョーゼフ・グッテンバーグによるカメラアングルの功績も大きい。パンフレットで岡俊雄氏が紹介されているが、グリア・ガースン付きのカメラマンとして有名で、「女優を撮らせたらハリウッドでも有数の腕利き」と評されている。当時のハリウッド女優には大スターとなると専属のカメラマンがいて、グレタ・ガルボのウィリアム・ダニエルズやジョーン・クロフォードのオリバー・マアシュといった具合に、女優にとって美しい角度やライティングを熟知している専属カメラマンは重要な存在なのだ。勿論、ルッテンバーグのカメラは映画全体の雰囲気作りにも重要な効果を上げており、キャンドルクラブのワルツを踊った暗闇の中の二人のラブシーンや翌朝、雨の中でのキスシーンなどセンチメンタルな詩情豊かな風景描写は群を抜いている。

娼婦に身をやつす決意をしたマイラの堂々とした立ち振る舞いと衣裳の変化だけで、長い月日が経った事を表現してみせるルロイ監督の巧みな演出テクニックにまず感心させられる。戦死したと思っていた彼と、客引きのために駅に立っていたマイラの再会シーンにおけるカット割の見事さに思わず膝を叩く。この緩急自在の演出こそ、これぞメロドラマの真骨頂ではないか。若き将校は再会の喜びから彼女の変化や、これまでどうやって生きて来たかなんて気にする余裕すらない。このジレンマにヤキモキさせられながら、どんどん進展して行く二人の婚約話しに、観客の関心は二人の行末に釘付けになる

二人を取り巻く脇を固める俳優陣もイイ。彼女の親友でずっと彼女を擁護し続けるケイティを演じたヴァージニア・フィールドが良い。親友に娼婦をして二人の生活費を稼いでいる事を知られないようにアパートの前で派手な口紅を落とす演技は素晴らしい。中でも本作で一番のクライマックスである将校と共に行方不明のマイラを探し回るヴァージニアの存在意義は大きい。このシーンは、マイラが立ち回りそうな(現代でいう)出会い系の酒場を探し回る事で、彼女たちがどうやって生きてきたのかを言葉ではなく、男に分からせる最もドラマチックなシーンである。将校の家族も皆、良識的な好人物ばかりで、伯父を演じた鷲鼻が印象的なC・オーブレイ・スミスの人当たりの良い好漢や母親を演じたルシル・ワトソンのベテラン女優など、悲劇のドラマの中において「感傷の甘さが何とも言えぬ好ましさを持っている」とパンフレットで清水千代太氏が述べておられているが私もこの意見に大賛成だ。物語はヒロインの死によって完結する悲劇ではあるが、観終わっても甘美な余韻に浸っていられるのは、ルロイ監督…見事なさじ加減である