1949年(昭24)…まだ終戦間もない頃、日本に大挙して海外の映画が輸入されてきた。その大半はハリウッド映画で、私の祖母は、今まで観たこともない本物と見紛う豪華なセットや美しい装飾品に驚いたと言っていた。何しろ欧米敵諸国の映画が禁止されてから戦時中約10年分の作品が一気に入ってきたのだから、しばらくは驚きの連続だったのだろう。その中でも最も印象に残るのは、MGMが創業25周年記念作品として、社の威信をかけてテクニカラーで製作したマーヴィン・ルロイ監督の『若草物語』だったという。
ルイザ・メイ・オルコットが1864年に発表した原作は、過去既に3度映画化(内1本はルロイ監督が手掛けている)されており、MGMは他社との差別化を図るため、スタジオ内に大規模なセットを作り上げた。特に19世紀のアメリカ北東部にある町並みを再現したリアルなセットは素晴らしく、美術監督セドリック・ギボンズ(アカデミー賞のオスカー像をデザインしたのはこの人)は、本作でアカデミー美術監督賞を受賞して自らデザインした像を手にしたのである。 アメリカ東北部の町コンコードを舞台に、マーチ家の四姉妹ー長女のメグ(ジャネット・リー)、次女のジョー(ジューン・アリソン)、三女のエミイ(エリザベス・テイラー)、末っ子のベス(マーガレット・オブライエン)が、南北戦争に出征した父の不在中、貧しくとも助け合い成長していく姿を描いた、原作者オルコットの自伝的物語だ。物語の中心となるのは、小説家を目指す(大衆雑誌のスリラー作家)男勝りの次女ジョーが、数々の体験を経て、家族と亡き妹ベスへの思いを綴った小説を出版するまでが描かれている。 それぞれの役を四人の女優が持ち前の個性を充分に生かし演じきっており、庭の柵をヒョイと飛び越える冒頭や雑貨屋に入り浸って立ち読みするジョーを演じたジューン・アリソンに惚れてしまったのは、劇中のピーター・ローフォードだけではなかった。女性は淑やかに…という時代、明け透けなく意見を述べて、徹底して男に頼る事を嫌うジョー。作家になる自分の夢を実現するために積極的に行動を起こす彼女の前に、大衆小説なんかで才能を浪費するのではなくもっと自分の才能を活かすべきだ…と進言する人物が現れる。それが『若草物語』の原点となるわけだが、このオルコットの心情とだぶるシーンのアリソンが好きだ。 また、病いで亡くなるベスは、原作では末っ子ではなく三女という設定だったが、演じたマーガレット・オブライエンの薄幸な少女性を活かすため、『緑園の天使』の可憐な少女も大人っぽく成長し過ぎたエリザベス・テイラー演じるエミイを三女にすると…姉妹の順番を入れ替えるという大胆な脚色を施した。そのおかげで原作の雰囲気を損なう事なく、MGMの四大スター女優による夢の共演を実現させた。これはアンドリュー・ソルトら三人(他の二人は1934年RKOラジオ版を執筆)の脚本家共作による名脚色と言っても良いだろう。 パンフレットは東京の下町・錦糸町にあった関東最大級のテーマパーク江東楽天地(現在の東京楽天地シネマ)のメイン館だった江東劇場で行われたロードショー公開時のもの。「東京楽天地50年史」によると当時のロードショーと言えば丸の内地区、2週間興行が普通だった時代に、4週連続・観客動員12万人という驚異的な数字を叩き出したと書かれている。ユニークなのは、参加グループには無料招待や賞品を出すという四人姉妹コンテストなるイベントを開催したところ、千組もの姉妹が集まり劇場周辺は騒然となったそうだ。 |