かつて歌舞伎町は現在の様相とは異なる住宅街だったが、戦災で焼け野原となったこの場所を演劇場と映画館、演芸場で四方を囲む広場を設けて一大アミューズメントセンターとして復興計画が立てられたのが、戦後すぐの昭和25年。計画担当者の石川栄耀の提案により、歌舞伎の演芸場を中核とした新しい町作りにちなんで歌舞伎町という町名が生まれた。昭和31年12月に『新宿ミラノ座』と共にオープンした『新宿東急』は当初、“丸の内東映パラス”のチェーン劇場としてスタート。その後“銀座東急”チェーンに移行し昭和52年“銀座東急”閉館に伴い現在の“渋谷東急”系のチェーンとなった。45年という長い歴史の中で、様々なジャンルの映画を送り続けてきたコチラの劇場も始めの頃はヨーロッパの成人映画やドキュメンタリー映画などを中心に上映していたが、15年程前からハリウッドメジャーの話題作、大作を中心にラインアップを組んでいる。

洋画に限らず幅広い作品を掛けている中で、大ヒットを記録したのは邦画では“天と地と”“魔女の宅急便”洋画では“マトリックス”と最近の“ハリーポッターと賢者の石”となっている。新宿東急ミラノビルの一番左(9台のモニターの横)の階段を地下に降りるとそこがロビーとなっている。上映作品の関連商品がとり揃えられているロビーは“新宿ミラノ座”と比べるとやや狭いものの一歩劇場内に入るとそのスクリーンの大きさと場内の奥行きに驚かされてしまうだろう。地下とは思えない高い天井が圧巻の『新宿東急』は、ワンスロープになっている座席のシートが大きいのが特長的で、ゆったりと映画鑑賞できる。スクリーン手前にある広いステージでは数々の舞台挨拶などのイベントが行われて来た。韓国映画の“シュリ”が観客動員数100万人を突破した時にそれを記念して監督や出演者が舞台挨拶を行ったのは記憶に新しい。


新宿東急ミラノビルの“東京スケートリンク”があった4階にある『シネマミラノ』が昭和46年11月にオープンした当初は“名画座ミラノ”という館名でスタート。その名が示す通り最初は1本立ての名画座だった。その後、現在の館名に変更されアメリカンコメディーの専門館…その名も“アメリカン・コメディ・シアター”として再スタートを切る。当時は場内の壁面にルーニーチューンなどのアニメのキャクターが描かれていたり、上映開始のアナウンスは“ビートルジュース”の名セリフ「イッツ・ショウ・タイム!」といった凝りようだった。現在は壁面のキャラクターも除かれシックな色合いを全面に打ち出し“渋谷東急3”系列のチェーン作品やムーヴオーバー作品を上映。また、最近では単館系の作品も掛けるようになってきている。

劇場が小さい事とわかり難い場所にあるせいか映画ファンの穴場的になっているコチラの劇場は客層としても男性客が比較的多い。ビルの右側ゲームセンター横のエレベーターを4階に上がって行くとエントランスの前に出る。8角形のドーム型のホールを囲む様にして存在するロビーは、小さいながらも機能的に設計されている。スクリーンを中心にして同芯円を描く様に座席が配置されており端に座っても角度が付いているおかげで鑑賞し易く座席の感覚も広めに取ってあるおかげで快適に映画を観る事が出来る。また、スロープが少ないにも関わらずスクリーンが高い位置に設定されているため前列の頭が邪魔になることがない。狭いながらも観る人の立場に立った設計はファンの間でも定評があるのも頷ける。(取材:2002年1月)


【座席】『新宿東急』763席/『シネマミラノ』209席
【音響】『新宿東急』DS・SR・SRD・DTS・SDDS/『シネマミラノ』DS・SR・SRD

【住所】 東京都新宿区歌舞伎町1-29-1 シネシティTOKYU MILANOビル ※2015年12月31日をもちまして閉館いたしました。

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