池袋と新宿…二つのターミナル駅に挟まれた高田馬場は、独特の文化を生み出した街だ。学生ローンの看板とジャンキーな大盛り料理の店が建ち並ぶ駅前の喧騒とした雰囲気から、しばらく早稲田方面へと歩いて行くと一転…パチンコ屋の騒音が小さくなって来るあたりから昔ながらの街の様相を呈してくる。まさに老若男女、新旧の文化が混在しているこの街に、古くからこの地を愛し続ける江戸っ子たちと、地元・早稲田大学の学生たちが愛して止まない名画座『早稲田松竹映画劇場』がある。早稲田通り沿いにある建物は否が応でも満ち往く人の目に留まり「懐かしいな、まだあったんだ」と見上げて言う、設立は戦後間もない未だ戦争の傷も癒えない昭和26年、松竹系列の封切館としてスタート。しばらくは新東宝作品も上映しており、日本映画の二本立て興行で賑わいを見せていた。

昭和50年には二番館となり、近隣にあった“高田馬場東映”と“高田馬場東映パラス”そして“高田馬場パール座”と共に、学生街ならではの良質な映画を上映していた。松竹の封切館ではなくなったが、劇場名は創業時のまま残されて、400円均一でハリウッドメジャー系を中心とした二本立て興行を行っていた。平成6年には外観と場内の設備をリニューアルして再スタートを切る。完全入替制ではなかったため、途中入場する観客が多かったが、後方の扉を二重にして場内に明りが差し込まないよう工夫が施された。ハリウッドメジャー系だけではなくミニシアター系の作品にも力を入れて、他の名画座では観られないような作品を意識的に選定していた。それまで学生と年輩のお客様が中心だった劇場に女性ファンが増え始めたのがこの頃だ。プレスシートのコピーを無料で配布してくれるなどの温かい気配りから、固定ファンも増えていたのだが、平成14年4月に突然の休館を宣言。このニュースに驚いたのは早稲田大学の学生だった。街から映画館の灯を消してはならない!と、早大の学生たちが中心となって「早稲田松竹復活プロジェクト」を発足したのだ。署名活動や新しい経営案の提案など働きかけをしようとした矢先、『早稲田松竹映画劇場』は、一時再開すると発表。12月21日にプレオープンとして“たそがれ清兵衛”を上映して、翌年1月から本格的に再スタートを切る事になった。


「経営難で休館…という噂が立っていましたが、実はそれまで番組を編成していたスタッフが退職してしまい、それを機に劇場の番組自体をここで見直そうと一時休館したそうです。ですから元々、再開は予定のうちに入っていたんです」と語るのは再開時からスタッフとして参加している副支配人の平野大介氏だ。高校時代から通学途中、よく立ち寄って、古い映画を観たい時は“高田馬場パール座”、安く映画を観たい時は『早稲田松竹映画劇場』と、映画館のハシゴをしていたそうだ。「体制が整ったとは言え、全くゼロからの再開でした。スタッフもガラリと変わってしまいましたから…でも、ゼロから何でも出来るんだ!という気持ちでしたから、作品も自分の理想の名画座を思い描いて提案する事が出来たんです」

そこで平野氏が提案したのが、フェリーニの代表作“道”と“カビリアの夜”という鉄壁の二本立てだった。「僕はどうしても名画座と名乗るのであれば、やっぱり古い映画を掛けるべき…という思い込みがありまして、これでダメだったら諦めますので、一回やらせて下さいって言ったんです」結果は30代から年輩の方まで多くの観客が来場する大盛況を見せた。「その光景を見て感動したのを覚えています。昔の映画でも自分がこれ!と思った良い映画をやれば、ちゃんと反応していただけるんだな…というのを実感しました。もし、お客さんの反応が無かったら映画館としてはやって行けないと思うので、そのまま二番館として続けていたかも知れませんね」現在は不定期ではあるが、月に一回クラシック映画の上映を継続しており、毎回、多くのお客様が訪れている。「ウチの良いところは、現場で働くスタッフが自由に提案を出来るところにあると思います。100%じゃないけど、こういう映画をこういうプログラムでやりたいって…と進言したり、その時にいたスタッフが目指したのが、今の『早稲田松竹映画劇場』を形成したのかな…と思いますね」


スタッフの思いは二本立ての組み合わせに現れており、平成25年にデジタルプロジェクターを導入してフィルム上映との併用が可能になり作品の幅も格段に増えた。ミニシアター系とメジャー系を組み合わせた二本立ては、かなり早い時代からやっており、例えば、平成6年に上映した“氷の微笑”と“愛人〜ラマン〜”の見事なカップリングは、日を空けずに上映されていた。リニューアル後から、企画性のある組み合わせが際立ち、“海を飛ぶ夢”と“ミリオンダラー・ベイビー”というヘビーな番組から、“ローマの休日”と“ノッティングヒルヒルの恋人”といったラブロマンスの王道まで、実にユニーク。話題となった“ロード・オブ・ザ・リング三部作”の長尺版を3週ぶっ通しで上映するなど、緩急自在の週替りの組み合わせに次回は何を?と毎回、期待してしまう。こうしたセンスの良い遊び心もコチラの魅力だ。「番組選が一番苦心するところですね。2作品の関連付けが名画座の醍醐味だと思うので手を抜けないですよ」現在は男性と女性の番組編成スタッフが日々頭を悩ませながら作品選びを行っている。これ!といった作品があったとしても片方が上映出来なかったり、上映出来ても2ヵ月待って欲しい…と言われたり、いつもスムーズに行くとは限らない。それはフィルムからデジタルになった現在でも状況は変わらず、名画座の宿命としてロードショーから時間が経ってる作品は今度DVD化が迫っている。版権元からしてみれば発売前に安い入場料で上映されては困る…という事だ。「それでタイミングを逸しちゃうと、上映出来ても難しいので諦める…なんて事もいっぱいありますよ」

こうしたスタッフの熱い想いは劇場ファンにも伝わったのか…かつて開場前の列は地元に住む年輩の方が中心だったが、年々若い学生の姿が目立つようになってきた。ウォン・カーウァイ監督特集で4作品を二週に渡って上映した時は多くの若者が連日訪れた。「明らかにリアルタイムで観ていないはずの学生さんたちばかりで、驚いた記憶があります」既にブルーレイもDVDもレンタルされているにも関わらず、わざわざ映画館へ足を運ぶ若者たち…。最近も“マッドマックス 怒りのデス・ロード”と“マッドマックス2”の二本立てに多くの若者たちが足を運んだ。「やはり映画館で映画を観たいという人たちがたくさんいるんです。ブルーレイを予約したけど観に来ましたっていうお客様が多いんですよ」安定した年輩の常連客に対して、変動的なのが学生の層で、常にアンテナを張って自分の好みの作品を選別して観に来る。「それだけに、学生さんが多くいらっしゃる時の映画館って本当に賑わうんですよ」だからといって、若者を意識し過ぎた編成にしてしまうと作風が偏り、年輩の方が離れて行ってしまう。だからこそ、上手く毎週ターゲットの層が変わるような番組をやるのが大事と平野氏は語る。「ひと月の内に、洋画・邦画・アジア・クラシックをバランスよくプログラムして、そのどれかに行ってみようかな…と思ってもらえれば良いので、今のスタンスは変えないですね」


また、オールナイト上映“ミッドナイト・イン・早稲田松竹”(3〜4本立て2000円)は、人気の企画だ。「オールナイトは、昔からやりたかったんですけど…高田馬場駅前の繁華街が栄えている割には、この周辺は早めに暗くなっちゃうのでオールナイトにはどうかな?…と」という平野氏の懸念と裏腹に開催日には若者を中心とした大勢の観客が列を作る。「ちょっと欲張った番組を組んでいますので、年輩の方から女性も多くいらっしゃってくれるんですよ」

開場の20分前から出来始める列も自動券売機が開く頃には、30人程になる。料金は1300円(ラスト1本の入場料は800円)とリーズナブルな料金設定で、消費税が上がっても据え置きというのが嬉しい。当日ならば入場券と外出証さえ持っていれば何度でも出入りが自由だ。ロビーには売店とかショップは無く至ってシンプル。中央に大きな柱があり(取り囲むように腰掛けがあるのが可愛い)、壁の掲示板には寄せられたリクエストが貼り出されている。完全入替制ではないため途中入場しても場内に明かりが差し込まないよう後方の扉を二重にした。かつて、横浜聡子監督もコチラのスタッフとして働いており、自身の新作映画は最初に上映したいと言われているそうだ。実はもうひとつ『早稲田松竹映画劇場』の名物がある。券売機横の植え込みやトイレの洗面所前に、さりげなく置いてある牛乳パックなどの廃品を利用した季節に合わせたオブジェ…劇場最古参の清掃スタッフが趣味で作ったもので常連さんも新作を楽しみにされている。

何かのついでにフラっと寄り道…そんな気軽さで入ってみたい映画館が『早稲田松竹映画劇場』だ。映画を観る時は出来るだけ自分の直感に従って観てみると、意外な作品が生涯忘れられない作品になることもある。お目当ての映画よりも、もう1本の方がお気に入りになったり…と、これが二本立ての面白さだったりする。色んな年代の人たちが同じ映画を観に通う…こんな光景は名画座ならでは。みんな普段着で気楽に観に来ているのが印象的だ。(取材:2016年8月)



【座席】 153席 【音響】DS・SR・SRD 

【住所】東京都新宿区高田馬場1-5-16 【電話】03-3200-8968

  本ホームページに掲載されている写真・内容の無断転用はお断りいたします。(C)Minatomachi Cinema Street