群馬県との県境にある街…埼玉県深谷市。かつて映画最盛期だった昭和30年代には“電気館”“豊年座”“深谷会館”“ムサシノ館”という4つの映画館が軒を連ねていた。娯楽の中心がテレビに移ると共に映画産業は斜陽の一途を辿り、最後の映画館が閉館されてから約30年もの間、この地には映画館は存在しなかった。ところが平成14年7月27日「もう一度、街に映画館の灯を取り戻したい」という竹石研二氏の提唱によって行政と企業と市民による、全国で初めての街の映画館『深谷シネマ─チネフェリーチェ』が誕生した。オープニング以来、代表の竹石氏と二人だけの正スタッフとして働いている永吉洋介氏は当時を振り返る。「実は今の劇場を立ち上げる前にフクノヤ洋品店というデパートの2階部分の空きスペースを利用して“フクノヤ劇場”という映画館を運営していたのですが福野屋洋品店が閉店しまうために劇場も一度、閉めたわけです。そのため資金もゼロから…というよりもマイナスからの(笑)スタートでして…しばらくは私も代表も厳しい状況の中、活動を行っていました」 |
それでも、街に映画館を作りたい…という思いに賛同してくれた多くの市民と映画人たちの協力の下に“シネマの夢”が実現したのである。「皆の力で完成した市民の為の映画館ですから映画を通じてコミュニケーションの場となる映画館を目指しています」と熱く意気込みを語ってくれた。駅のロータリーを突き抜けて真っ直ぐ歩くと『深谷シネマ』の建つ仲町商店街にたどり着く。元々さくら銀行だった建物をそのまま使用している映画館だから、気づかずに通り過ぎてしまう人も多かったという。 |
「深谷市では市街地活性化構想(TMO構想)という商店街の空き店舗を有効に利用する推進を行っており、委員として参加していた竹石の“街に映画館を…”という案が採用されて実現したのです」こうして銀行の建物をそのまま利用したユニークな映画館が誕生したのだ。銀行のロビーだった空間にスクリーンを立ててホールにしているので、天井は贅沢な程高く、良く見ると照明も蛍光灯をそのまま使用していたり、金庫室を映写室に改装したためドアは頑丈な鉄の扉(扉の上にも使われていない小さな扉がそのまま残っている)だったり…。また場内左手奥の壁面には設立にあたってシネマ基金に協力してくれた方たちの名札が飾られている。「資金が無いため出来るだけお金は掛けないように壁の塗装やスクリーン設置等は自分たちで行いました」他にも受付にあるチラシ台などはスタッフやボランティアの手作りであったり、場内には自由に閲覧できる映画書籍コーナーを設ける等、随所に温かみのある真心を感じられる。 |
他にも、現在スタッフとして働いてくれているのは趣旨に賛同してくれているボランティアや“いつかは自分たちの地元にも映画館を作りたい”という同じ想いを描いている人々だ。市民だけではなく全国の映画に対する熱い想いを抱いている者同士が自然と集う場となっているのがココ『深谷シネマ』なのだ。また、こうした趣旨に賛同している映画人も数多く、これまでに山田洋次監督、佐々部清監督、大林宣彦監督など多数の監督や出演者が来場しトークイベントを行っている。また海外からも映画祭の審査員として来日されていた“山の郵便配達”のフォ・ジェンチィ監督が来場する等、オープン以来イベントが多い事もコチラの名物となっている。「ウチの劇場は本当に全ての人々の力によって支えられて成り立っているのです。 |
【座席】 44席 【音響】 SR 【住所】埼玉県深谷市仲町2-25(現在、場所を移転して運営) 【電話】048-551-4592 本ホームページに掲載されている写真・内容の無断転用はお断りいたします。(C) Minatomachi Cinema Street |