埼玉県北部に位置する人口15万人の街―深谷市。江戸時代には中山道の宿場町として栄え、県下有数の農業地帯としても知られている。駅から10分程歩いたところ…中山道沿いに元禄7年に創業された酒蔵・七ツ梅酒造があった。剣菱、男山と並ぶ銘酒・七ツ梅を造っていた蔵元だったが、平成16年に廃業して300年の歴史に幕を閉じる。約950坪の敷地に遺る母屋、酒蔵、煉瓦煙突など歴史的・文化的に重要な建築物を何とか保存出来ないものか…と運営管理を任されたのが、一般社団法人まち遺し深谷だ。理事長を務める竹石研二氏は、今から13年前、旧中山道沿いに、全国で初となる行政と企業と市民が合同で運営する映画館『深谷シネマ チネフェリーチェ』を立ち上げた人物である。 |
「ちょうど区画整理で、映画館を移転しなくてはならなく、色々と移転先を探していたところに、オーナーさんから酒蔵を映画館にどうか?というお話をいただいたんです」敷地の一番奥にある西酒蔵が、広さや天井の高さが映画館に適していた事と、経済産業省が空き店舗活用の補助金を一部負担してくれるという事から、竹石氏は改装に向けて動き出した。「だけど、自己負担分の資金を集めるのが大変でした」実際、西酒蔵は屋根が落ちていて崩壊寸前の状態で、改装というよりは建て替えに近い工事となってしまった。屋根を崩して壁を落とし、ジャッキアップして基礎を鉄筋で打ち直して耐震補強を行ったのだ。想定していた予算を大幅にオーバーしたものの、何と、市民から1千万円近くの寄付が集まり、着工の目処がついたのである。「結局、残っているのは組柱だけ(笑)。当時、NPOの理事をやっていた方が建築士で、酒蔵の面影を大切に歴史を感じられるように…というコンセプトで設計したんです」現在、ロビーや映写室に残されている柱と梁は創業当時のままだ。 こうして2010年4月16日、酒蔵の映画館『深谷シネマ』はオープンした。60席の緩やかな段差が付いている落ち着いた雰囲気の場内。客席の後方には親子ルームと称した小さな個室がある。これは、子供連れでも映画を楽しんでほしいから……という思いから実現した。映写機はシネカノン直営の映画館で使っていたモノを譲り受けて、フィルムとデジタル上映が可能だ。かつては馬小屋だった建物はトイレとして生まれ変わった。懐かしい映画の手描き看板がオブジェとして置かれているロビーはテーブルとカウンターが設置されたカフェスタイル。自由に閲覧出来る映画書籍を眺めながら、待ち時間をゆっくりと過ごせるのが嬉しいコチラでは、お客様から観たい作品のアンケートを取られている。このアンケートが大変工夫されており、スタッフが選んだ、十作品前後の候補作品から選ぶというシステムだ。 |
「その集計結果を参考にして毎月の理事会で作品を決めているんです。市民の皆さんの要望はかなり取り入れていますよ。本当は、もっとやりたい作品がたくさんあるんですけどね」また、毎年、名誉館長である大林宣彦監督を招いて昔の名作上映とトークイベントを開催されているが、今年は15周年という事で、“HOUSE ハウス”の35ミリと、(何と!)“廃市”の16ミリ上映を行うという。「ATG作品でただでさえ本数が少なかったので、東宝にも16ミリでは残されていなかったのですが、それが大林監督の倉庫にあったんです…それもニュープリント版で」多分、これが最後であろうオリジナル16ミリ上映に映画ファンならば是非、観るべきだ。 毎回、映画を観るならばココで…という常連さんも増えてきた。「いつの間にか映画館に来るのが生活の一部になったよって言って下さる方がいます」思えば、30年間、映画が無かった街である。それが、13年足らずの間に映画館で映画を観る習慣を定着させてしまったのは素晴らしい事ではないか。「継続してきたのが良かったと思います。大林監督は“映画館は街の必需品”と言ってましたが、深谷市の場合、街の人たちがそこに気づいてくれた事が重要なんです。正に今、日本中のアチコチの街で空洞化が問題になってますが、何十年か前は、どこの商店街にも映画館があって、コミュニティー文化としてやってきたのに、ある日を境にそういう関係が崩れちゃったんですね。その時に街の文化として継続する努力をやらなくちゃいけなかったんだけど…」でも、まだ遅くはないと竹石氏は言う。「今は商店街のどこも空き店舗だらけですから、逆にそこを活用して街中に文化を取り戻していくのは不可能でないのです」 |
「ウチが一番最初に出来たので、オープン当時は、夜になると真っ暗(笑)。女性が一人で空き店舗の合間を歩くには怖い…とよく言われましたよ(笑)」今では竹石氏の呼びかけによって、私もやりたい!という人が増え続け、カフェや居酒屋、古本屋、工房など10店舗が入った新しい形の街が形成された。かねてより大林監督が唱え続けた「街は作るのではなく、今あるものを雑巾がけしてでも守るもの。だから街遺しというのが基本なのだ」という言葉が、この街のコンセプトだ。竹石氏は大林監督に“街遺し”という言葉をプロジェクト名に使う許可を求めた。「このフレーズを使いたいと、お願いしたところ、お前には10年早いけど、まぁイイかって(笑)言ってくれました」
「これからは、映画館だけではなく、商店街も共に発展していく事を考えたい」と述べる竹石氏。次は商店街と連携して、この場所を歴史文化ゾーンと位置付けて、ただ商売をする場所ではなく、映画の帰りに買い物したり、お茶を飲みながら交流する…そういう生活を丸ごと楽しめるエリアにしたいという。「一日では大した事が出来ないけど、色んな積み重ねの中で、色んな人から色んな力をもらえば…少しずつ良い方向へ変わっていくはず。どのみち、ここに住んでいる限りは逃げられないから(笑)街と共に歩んで行きたいですね」 |
今、竹石氏は“映画塾”と銘打って、配給や映画館の運営方法について、映画関係者を講師に招いてレクチャーを行っている。「失敗も含めて僕が経験してきたノウハウを伝えて、ドンドン街に映画を呼び込んでもらいたいと思っています。だって自分の街に、ふっと寄れる映画館があって、一杯やりながら仲間でワイワイ映画の話に興じるなんて最高じゃないですか」どこかの企業がお金を出すのではなく、住んでいる人が映画館を作る。竹石氏の話を聞いていると、自分の街に映画館を復活させるのも決して夢物語ではないのだ…そう考えるととワクワク胸が高鳴るではないか。(2015年7月取材) 【座席】 57席(親子ルーム要予約) 【音響】 SR 【住所】埼玉県深谷市深谷町9-12 |
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