兵庫県北部の日本海側…いわゆる北近畿と呼ばれる地域にある豊岡市。かばんの生産地とコウノトリの保護区して知られるこの地に、創業時から変わらない佇まいで残る映画館『豊岡劇場』がある。市街に位置する中央公園からほど近く、メイン通りから少し入ったところに、昭和2年頃、芝居小屋として開業。建物は大正14年5月に発生した北但馬大震災を教訓として鉄筋コンクリート造の看板建築として建てられ今に至っている。外観のところどこに見られるレリーフや徽章などの装飾や、ロビーのあちこちに置かれている調度品の数々から当時の様子を垣間見る事が出来る。昭和6年に有限会社豊岡劇場を設立した後、戦時中は倉庫として接収されるも、戦後間もない昭和22年から映画の興行を始めた。当時はまだ芝居の上演も続けており、社交ダンス場としても運営されていた。客席数590席を有する洋画の常設映画館となったのは昭和26年より。今はもう無くなってしまったが、2階は桟敷席となっており左右に迫出していた。昭和40年代に入ると2階席を分割して、1階にメイン館の『豊劇1』、2階に小劇場『豊劇2』の2館体制となる。多くの人々から親しまれていたが、近郊のシネコン進出とデジタル化が追い打ちとなり、平成24年3月31日、“ALWAYS 三丁目の夕日'64”と“マイウェイ 12,000キロの真実”の上映をもって85年続いた劇場の歴史に幕を降ろした。

「ココは僕の原点だったので、閉館の事を聞いて何かしなくては…と思い、オーナーの山崎さんに存続のお願いをしたのです」と語る石橋秀彦氏も幼い頃から通っていた『豊岡劇場』に深い思い入れを持つファンの一人だった。「僕は隣町の城崎日高町で育って、中学生になってから一人で通うようになって、映画監督になりたいと夢を持ったんです」しかし、既に下されていた決断は揺るぐ事は無かった。「そこで閉館までの2週間、写真とビデオでアーカイブを撮らせてもらったのです」そこから山崎家とお付き合いが始まった石橋氏の心にあったのは「豊劇の再生」であった。「山崎さんは映画館は閉めるけど、映画の仕事は続けて行く…と言われていたのですが、閉館して2ヵ月後に急逝されてしまったのです」一度は取り壊しの話しも出ていたというが、数年越しに映画館の再建計画「豊劇新生プロジェクト」を打ち出して事業を引き継いだ。クラウドファンディングにより、地元の有志から再建資金が集まり、デジタル映写機も補助金を利用して導入。そして…平成26年12月27日、『豊岡劇場』は2年ぶりに復活したのである。


『豊岡劇場』の館名についているCINEMACTION(シネマクション)は、「映画館を通してアクションを起こそう!」という意味の造語。「映画館にはどんな人でも集まれる場所であって欲しい」という石橋氏の想いが込められており、賛同するクリエイターたちの創作活動や意見交換の場となっている。「地元には優れた才能の人が大勢いるんです。こういう人たちと組みながら『豊岡劇場』からメッセージを発信したいと思っています」2階にある小ホールは、『豊岡シネマ(改め豊劇2)』という客席90席(後に70席)の成人映画も上映していた劇場だったが、今では座席を全て撤去して、ライブやスタジオ、展示会など…若手クリエイターのために場所を解放している。「具体的に人を育てるというのは難しいですけど、こういう場所があるから自由に使ってくださいと機会を作ってあげたいんです。例えば小ホールで発表したいという人は相談して下さいとか…実際に、ウチが応援してCDデビューされた方もいたり、自分が撮った映像の上映会をされる方もいらっしゃいますよ」石橋氏はもっと気軽に多くの人が色んな事にチャレンジする「場」になりたいと思いを語る。「そういう事を全て引っ括めてシネマクションなんです」

「建物は既存のまま使えるものが結構あったので、早々に消防法はクリアして興行者登録出来ました」実際に劇場を運営しているのは石橋氏が社長を務める有限会社石橋設計という自社が所有しているアパートやビル、そこに入るテナントなどの運営管理をしている不動産業の会社だ。「父の代から建物との関わりが長いので、豊劇の改築とかも取引のある会社に頼めたので比較的、思い通りの事が出来ました」ロビー中央にある大ホールに続く石の階段は劇場の象徴としてそのまま残して、かつて受付と売店があった場所をカフェ“bar ajito”にリノベーション。テーブル席の椅子には場内のシートを再利用したり、休憩スペースにはレトロなソファーや小物類を配置するなど、空間を自由に過ごせる演出が施されている。以前は、受付を中心に1階の『豊劇1』と、2階の『豊劇2』に入口が左右に分かれていた。かつてのチケット売場はカフェのテイクアウト窓口に変わり、トイレもレトロな雰囲気に改装された。 今年の4月からは駐車場スペースを改装して豊岡市内で創作料理を提供してきた“ビアドリッド”が出店。ランチからディナーまで但馬牛や但馬鶏など地元の食材こだわった料理を手軽に楽しめる。



1階にある『豊劇1』だった大ホールは、スクリーンを張り替えただけで殆ど手を加えていないため、昭和の映画館という趣きを残している。220席あった客席は列ごとに間引いて186席に減らして余裕を持たせた。芝居小屋の頃から使われていた舞台(中央には奈落があるそうだ)では、舞台挨拶やライブなど様々なイベントに使用されている。最前列からスクリーンまで距離があるため、敢えてこの席を好まれるファンもいるそうだ。ロビーの階段を2階に上がると、小ホールと映写室があり、小さなロビーには懐かしいリボンシトロンの自販機(勿論、使われていない)が…。コチラのホールは前述の通り、固定の椅子は全て取り払って、稼働式で50人程収容出来る多目的ホールとして利用されている。広い映写室にはデジタルとフィルム映写機が設置。映写小窓の上には成人映画をやっていた頃の映写技師が貼ったと思しきポルノ女優の写真が…。「当時の映写技師さんの遊び心が感じられるので残しました」映写室の奥には畳敷きの小部屋があり、芝居をやっていた頃は役者たちの楽屋として利用されていたそうだ

「僕にとって映画館というのは知らない世界を知る場所なんです。中学生の頃、電車に乗って隣の駅に行くというのは、たかだか5分程ですが、小宇宙を見つけるような冒険だったのです。その先に豊劇があって、更に扉を開けるとスクリーンにはもっと違う世界があるわけですよね。アメリカの街だったり宇宙だったり…知らない世界が広がる場所でした」次第に映画の魅力に取り憑かれた石橋氏は、雑誌スクリーンを片手に、“スターウォーズ”や“レイダース失われたアーク”など洋画を片っ端から観まくった。市内には“豊岡東映”や“大勝館”など4つの映画館があった時代、豊岡市も鞄産業で栄え、元町は人口が集中する街の中心部だった。


高度経済成長期に豊岡駅が出来ると駅前に商店街が移り、やがて郊外にかばん工場が移ると、今度は商業施設がバイパス沿いに出来て、駅前の商店街はシャッターが目立つ通りになってしまった。「便利になるのは喜ばしい事なのですが、街に人が居なくなってしまい、かつて賑わった街の個性は無くなってしまいました。それでも山崎さんが、街の大衆文化のシンボルとして踏ん張り続けてくれていたのが『豊岡劇場』だったんです」石橋氏は歴史を大切にしながらも、ただそれだけに頼った運営をするつもりはない…と述べる、芝居小屋から映画館に変わった時代の流れがあるように、フィルムからデジタルへと変わり、ネットとの付き合い方も見据えなくてはならないという。

今、『豊岡劇場』には様々な人たちが集まっている。「お客様には、年輩の方もいれば、クリエイターを志す若者もいる…だから映画もミニシアター系もやれば、“ファインディング・ドリー”のようなメジャー系もやります」これら上映作品の選定は石橋氏が行い、ラインナップを見ると結構バラエティに富んでいる。「基本は優れた作品を幅広くです。日に3作品を朝・昼・夜の5回。アカデミックでもないし、シネフィルでもない。ブレているようにも見えるんですけど、要は楽しい事をやりましょう…というスタンスです」劇場が閉館する時、このまま何もしなければ豊岡は何も特徴の無い地方都市になってしまうと危機感を覚えたという。「一見ボロボロの映画館ですが、子供からお年寄りまで街の人に愛された場所ってココだけだと思うんです。デートで来た想い出とか、映画を観て学んだ事とか…それが自分たちの生活の価値であって、それを安易に捨てたくなかった」取材時もカフェでずっと書き物をする若者がいて、後からやってきた別の客と談笑する…そんな光景に石橋氏が求めるものがある。伝統ある映画館を残すのではなく、新しい「場」として再生する。豊岡で暮らす事を選択した人たちと共に「場」を作り上げるからこそ、新しい街づくりの第一歩が始まるのかも知れない。(2016年6月取材)


【座席】 『大ホール』154席(立見20名)/『小ホール』50席 【音響】ドルビーデジタル5.1 

【住所】兵庫県豊岡市元町10-18 【電話】0796-34-6256


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