ロッカーに荷物を預け、受付を済ませてから窓際の席に座る。筆記用具をいつもの位置に配置するとお目当ての本を物色するため席を立つ。仄かに古書の香りが漂う室内。眼下を走る鍛冶橋通りの喧噪が嘘のように静かだ。たまに、他の利用者が本をめくる音や、受付からナンバリングの音が聞こえる程度…それが『国立映画アーカイブ』にある図書室の風景だ。ここに来れば、現在日本で発刊されている映画の本を好きなだけ読む事が出来るのだから、騒々しいカフェに行くくらいなら迷わずここを選ぶ。気になる企画展が開催されている時は、先に7階の展示室に寄ってから帰りがけに復習したり、ある時は特集上映を観賞する前に関連書籍で予習したり…時間が許せば開館から閉館までドップリ映画に浸れる。しかも月末の金曜日には展示室を夜8時まで開けてくれるのだから実にありがたい話しだ。何と言っても、現在ここに保存されている書籍は約4万8千冊、シナリオ4万5千点、ポスター5万9千点、スチル写真に至っては70万点以上…一生掛かっても全てを見尽くすなんて無理な話しなのだから、ここは慌てず腰を据えてじっくりとお付き合いさせていただこうと思う。 7階にある展示室は、日本映画の創世記から現代までの映画史を当時の貴重な資料で辿ることが出来る…映画の歴史博物館と言った方が解りやすいだろうか。平成23年より常設展となった“日本映画の歴史”は、時代ごとに第1章から第7章で構成されており、そこでは、映画人・撮影所・技術革新・ジャンル・広報宣伝・映画政策…といった様々な側面から、単なる日本映画の歴史だけではなく、その背景にある社会情勢も垣間見る事が出来る。明治時代に日本に入ってきた映画が庶民に広がり、どのようにして映画産業が誕生するに至ったのか…当時のポスターやプログラムと共に、そこに書かれている解説を読むと、その経緯がよく理解出来る。各所にあるモニターからは、その時代の貴重な映像が流され、中でも日本人が撮影した現存する日本最古(明治32年撮影)のフィルム映画“紅葉狩”は必見だ。また、サイレント映画時代の台本に主任弁士の印が押されているところから、当時は映画製作に映画館も大きく関わっていたことが解る。映画は社会を映す鏡…とよく言われているが、第4章の戦時下の日本映画のコーナーに展示されている検閲カードから、映画が国策に利用されて、統制下に置かれた状況をうかがう事が出来て、その言葉がより深く胸に突き刺さってくる。 |
常設展だけでも、ひとつひとつゆっくり見るとあっという間に2時間以上…正直言って入場料250円でこの情報量は安過ぎる。入場者の中には「企画展を見に行ったのに前半の常設展が面白すぎて時間を食ってしまい、企画展を見る時間が少なくなってしまった」という声がネットでよく上がるのも、なるほどと頷ける。また、毎月第1土曜日には、研究員によるギャラリートークや時には有識者を招いてワークショップも開催している。この時は研究員ならではの視点で、日々調査・研究した結果を伝える場ともなっており、それぞれの時代背景や社会動向などを交えたり、時には映画のアーカイブの現状や課題など、展示品だけでは知る事が出来ない日本映画の歴史と現状をより深く解説してもらえる。もっと日本映画のことを知りたい・学びたい…という方は是非、参加していただきたい。 毎回、様々な切り口で映画文化を発信し続けている企画展も、最初は年に1回の開催だったが、今では平均3企画も開催されようになり、現在まで50以上の企画展が開催されてきた。スタートした頃は、まだ映画の展覧会…というのが日本人に馴染みが薄かったためか、なかなか7階までお客様が上がって来なかった。そこで研究員の皆さんは、企画に工夫を重ね、俳優とか監督とか基本的な主題に沿った特集だけではなく、毛色の変わった切り口の企画にも挑戦してみた。例えば、“ロードショーとスクリーン 外国映画ブームの世界”では洋画配給界の華やかさを伝える事に成功したり、特集上映“イタリア映画大回顧”と連動しイタリア映画のポスター展を同時開催した。以降、ポーランドやソビエト、フランス、日本、キューバ、チェコ、ドイツなどのポスター展を次々と開催する。この時には、映画ファンだけではなく、その国が好きな(普段来場されない新しい)お客様が来るようになった。また、小津安二郎監督の没後50年に開催された“小津安二郎の図像学”では、デザイナーとしての小津安二郎の側面を全面に出す事が出来て多くのお客様が訪れたという。こうした試みを続ける事で、今では早めに来館して展示室に寄ってから、映画を観るリピーターも増えた。ちなみに来場者数でダントツなのが、フィルムセンター時代最後の企画展となった“ポスターでみる映画史”シリーズ“SF・怪獣映画の世界”だったそう。やはり、特撮はファン層が厚く、まだまだ人気が高いテーマなのだ。 |
4階にある図書室は日本一の所蔵目録数を誇る映画の図書館だ。受付を済ませば閲覧室にある“キネマ旬報”や“スクリーン”など映画雑誌の最新刊からバックナンバー、映画事典などが自由に読める。ちなみに奥の壁に五所平之助監督が寄贈した俳画が飾られている事は意外と知られていない。バックヤードにある書庫には明治以降に刊行された書籍が保管されており、申請すれば自由に閲覧させてくれる。もし、本のタイトルが分からなくても受付のスタッフに相談してみよう。漠然とした内容を伝えるだけで該当する本を何冊も持って来てくれるのだからスゴイ!中には20年以上のベテラン職員もおり、レファレンス能力は非常に高い。実は研究員の方たちもよく相談されている…というのも納得出来る。 閲覧室には、定期刊行誌NFCニューズレターのバックナンバー全134号(右下の写真)が揃っている。今年4月にNFAJニューズレターと生まれ変わったが、企画上映や展示の見どころを監督や有識者が寄稿されている充実の内容は今まで通り。1階受付では販売もされているので、これを読めば、どのような活動をしているのかがよく分かる。また、平成29年5月からは、今まで実物の閲覧を要した古い雑誌がタッチパネルのモニターで閲覧が可能になった。現在、347冊もの雑誌が原本を傷めずに読む事が出来るので映画史の研究者や学生にとって重宝されている。逆に、もっと手軽に新刊だけを読みたい…という方には、受付前にある新着図書コーナーがオススメ。新刊を入荷して1ヵ月間置かれているので、常に最新の本に触れることが出来ると、常連の利用者には好評のサービスだ。 |
図書室の基礎を築いたのは、戦前から映画会社に勤務され、映画図書の収集に力を注がれた辻恭平氏だ。彼が編み出した“映画の図書 分類表”は、この図書室で活用されている。「日本で出版された全ての映画図書を網羅した本を作りたい」と、常に考えていた辻氏が書かれた“事典 映画の図書”は、30年経った今でも非常に正確で信頼度が高いとバイブル的な存在となっている。そんな辻氏より寄贈された1700冊近くの映画図書からスタートした図書室も今や約4万8千冊を有するまでとなった。書庫は本棚にぎっしりと、本・雑誌・映画祭カタログ・シナリオ・パンフレット…がキレイに分類されている。ここでは映画専門誌だけではなく、例えばファッション誌などの映画とは関係がない分野の雑誌で、映画の特集を組まれた時の号もちゃんと保管されているのだ。それだけではない…地方のミニコミや自費出版のような書店の流通に乗らない冊子まで網羅されているのは驚く。パンフレットは、閉店される古本屋やシネマショップからまとめて寄贈されることもあって、現在の所蔵数は8000冊以上(現在も増え続けている)にも上り、なかなか整理が追いつかなかったのだが、平成20年から目録化に取り組み、平成23年に開催した企画展“映画パンフレットの世界”をキッカケに寄贈も増加した。今では普通に検索が出来るようになったので、思い出の映画のパンフレットを探してみてはいかがだろうか。そんな書庫にある資料の中でもシナリオは入手経路がちょっと変わっている。主な寄贈主は何と映倫なのだ。つまりシナリオの段階で審査されたものが、審査終了後に寄贈されるという流れだ。だから表紙には映倫管理委員会のスタンプが押してあるものやタイトルに(仮)が付いているものがあったり…と、そういった点にも注目してみると面白い。 |
ポスターやスチル写真、プレスシート、試写状そして、映画人の遺品などは、地下3階にある収蔵庫で、国会図書館の書架と同じ環境(温度21度・湿度50%)で保管されている。驚く事にここに所蔵されている品は、国会図書館のように法的な納付制度がないため、ひとつひとつ寄贈や購入して集めているのだ。時には閉館する映画館が解体される時に出て来たポスターなどを分けてもらう事もあるとか。日本最大の映画資料コレクターの一人だった故・御園京平氏が収集したコレクションが、本人や遺族の手で数多く寄贈され、第1回の企画展では“ポスターでみる日本映画史 みそのコレクション”が開催された。また、新たに入手されたフィルムは、修復・復元の作業が施された後、スタッフの厳重な検査を経て、相模原分館の映画保存棟に運び込まれる。そして、それらのフィルムは24時間空調システムの管理下で保存され再び上映の時を待つ…こうした収集から保存・公開に尽力されているスタッフの皆さんによって映画文化は支えられているのだ。最後に、今回、長時間に渡って取材に協力いただいた主任研究員の冨田美香さんと、岡田秀則氏、大澤浄氏、特定研究員の紙屋牧子さんに感謝の意を述べさせていただきたい。(2018年5月取材) |
※フィルムセンター相模原分館の写真:『国立映画アーカイブ』より提供 【展示室】 開室時間11:00〜18:30(入室は18:00)/月末金曜日は11:00〜20:00(入室は19:30)/月休 【国立映画アーカイブ】>> 長瀬記念ホール OZU/小ホールのページへ 【住所】東京都中央区京橋3-7-6 【電話】03-5777-8600(ハローダイヤル) 本ホームページに掲載されている写真・内容の無断転用はお断りいたします。(C)Minatomachi Cinema Street |