昭和29年9月14日…まだ敗戦の傷跡が色濃く残っていた日本で一本の映画が公開された。戦前から多くの名作を残した詩人にして児童文学の大家である壺井栄の原作を名匠・木下惠介監督によって映画化された“二十四の瞳”だ。小豆島の小さな漁村にある分教場に、新しく赴任して来た女先生(おなごせんせい)と、まだ幼さが残る12人の生徒との交流と、やがて戦争や貧困によって別れることになる運命を描いたドラマに日本中が涙した。原作では「瀬戸内海べりの一寒村」としか記されていなかったが、壺井栄の故郷という事から映画では場所を小豆島に特定して、木下監督はオールロケーション撮影を敢行。それまで瀬戸内海に浮かぶ名も知れない島が、この日を境に“二十四の瞳”の島として一躍、日本全国から脚光を浴びる事になる。また本作は主人公の大石先生を演じた高峰秀子の代表作となり、その後も舞台となった内海町(現在の小豆島町)と深い関わりを持ち、本作で助監督を務めた夫の松山善三監督と共に親交を続けた。


冒頭、自転車で田浦岬にある分教場に向かう大石先生の姿が映し出される。「ほんに世の中変わったのう、おなごが自転車に乗る」と村人の言葉なんかどこ吹く風で軒先も颯爽と駆け抜けていく。右手に内海湾が見えることから、この道が『岬の分教場』の前を通る現在の県道であることがうかがえる。内海湾は外海に大きく突き出た田浦岬が防波堤の役割を果たしており、台風が接近して波が高くなると船舶の避難場所になるくらい穏やかな海だ。

小豆島にはフェリーが発着する港がいくつもあるが、今回は内海湾とは岬を挟んで反対側にある坂手港に高松から出ているジャンボフェリーで上陸する。坂手港は、劇中、修学旅行で高松に行くフェリーが出航した港だったので、それに習ってみたわけだ。いつものことながら、関東の人間にはフェリーを使う事は大ごとだが、片道1時間ほどで690円という安さからも分かるように瀬戸内の島の人たちにとって電車やバスと同じ身近なものだ。朝食代わりに船内で劇中の子供たちのようにきつねうどんを食べた。このフェリーはトラックの移送が多いためか、トラック運転手だけが利用出来るシャワー施設があるのが面白い。デッキに出ると潮風が実に心地良かった。

坂手港から田浦岬へ県道を進むと『岬の分教場』が今も当時のまま残っている。小学校の生徒は四年までが岬の分教場にゆき、五年になってはじめて、片道五キロの本村の小学校へかようのである…この分教場は、明治35年に田浦尋常小学校として建築された葺平屋建の校舎で、昭和46年まで実際に使われていた。撮影中から見学者が多く、公開後も観光客が窓から教室を覗いたりして、頻繁に授業が中断されたという。廃校後は内海町の指定文化財に認定され「一般財団法人岬の分教場保存会」を昭和51年6月に立ち上げる。外観だけではなく、教室にあった机やオルガン、そして教材などが当時のままの姿で保存されており、教室の窓から外を見ると大石先生の自転車を珍しがって群がる子供たちの姿が鮮やかによみがえってきた。


そこから県道を岬の先に向かって10分ほど…雲ひとつない真っ青な空とキラキラ光る紺碧の海を右手に見ながら700メートル進む。そこには、松竹が朝間義隆監督と田中裕子主演によってリメイクした“二十四の瞳”の公開日である昭和62年7月20日にオープンした『二十四の瞳映画村』がある。元々ここは約10ヵ月間に及ぶ長期撮影を行ったオープンセットで、約1万5千平米もの広大な敷地に、総工費1億2千万円(公式パンフレットより)掛けて、分教場と12棟の民家から成る昭和初期の村落をそのまま再現。すると撮影時から多くのファンが見学に訪れ、何と例年の1.5倍にまで観光客が膨れ上がったという。当初は撮影終了後は更地に戻して返却する予定だったが、そのまま島の文化財産として保存が決定。映画村として生まれ変わった。

そんな『二十四の瞳映画村』に一年中…一日3回“二十四の瞳”を上映している映画館『松竹座』(何と映画愛に溢れたネーミングだろう)がある。平成4年の設立当時朝間義隆監督版をレーザーディスクで上映していたのだが…「最初のうちはそれでも良かったのでしょうけど、映画村を訪れた人たちは、やっぱりオリジナルの木下惠介監督版を観たいんですよ」と語ってくれたのは、現在、『二十四の瞳映画村』と『岬の分教場』保存会の専務理事を務める有本裕幸氏だ。年々来場者が減少する当時の映画村を立て直すため、民間から再生事業で来た有本氏が、早速行ったのは、オリジナルを上映させて欲しい…という、松竹への直談判だった。快諾した松竹が映画村専用バージョンを作ってくれると、次に有本氏は映画のギャラリーを増築。壁面には昭和を代表する往年のスターのパネルや、応援してくれる映画人からのコメントを飾った。ギャラリー中央には、劇中で同窓会の会場として登場する水月楼の模型や当時のプレスシートなどの資料が展示されている。「他にも村内にあるギャラリーKUROGOでも色々な企画展も考えています。例えばオープニングの時には、懇意にさせていただいている永瀬正敏さんが撮影した写真展を開催したんですよ」


正面の花畑には、夏にヒマワリ、秋にはコスモス…そして春には菜の花と鯉のぼり…と季節に合わせた花が出迎える『松竹座』では、毎月4回、11:50の回のみ劇団☆新感線による“ゲキ×シネ”を四国で唯一の限定上映されているのも特長のひとつだ。ロビーには当日券売場も設置されているが、基本、料金は映画村の入村料のみなので、利用者は無料で観賞出来る。そのまま場内に入っても良いのだが、せっかくだからその前に窓口に備え付けてあるボタンを押してみよう。すると窓口にもぎり(切符切り)のおばちゃんの映像が出て来るという仕組みだ。「それを女優の高畑淳子さんにお願いしたら快く引き受けて下さったんです。しかも、歌舞伎とかローマの休日のアン王女とかに扮して…4パターンもノリノリで演じてくれて本当にありがたかったです」こうした映画を愛する映画人の協力によって気分が盛り上がったところで入場すると…。昭和の映画館にタイムスリップしたかのような、高級感のある深紅のカーテンが印象的な小ぢんまりとした場内に感動させられる。スクリーン前にはステージを設けており、映画以外にも落語や長唄、音楽、トークショーなどライブイベントも開催されている。

一昨年、倉庫だった二階をブックカフェ『書肆(しょし)海風堂』に改装して、土壁と梁が剥き出しの落ち着いた空間に生まれ変わった。多くの映画関連書籍や劇団☆新感線の書籍を取り揃えており、自由に閲覧出来る本もあるので、お茶をしながら上映までの待ち時間…ちょっと立ち寄って、のんびりと過ごしてはいかがだろうか。中央にある大きなソファでくつろぐのも良いがオススメはカウンター席。窓からは内海湾と坂手湾に挟まれた映画村の全景を見渡す事が出来る。カフェの入口横には高峰秀子ギャラリーが併設され、直筆原稿や愛用のバックなどが展示されている他、壁には松山監督とのスナップ写真が飾られている。「実は、松山監督が亡くなる時に、遺産を寄附したい…というお話しをいただきまして、昨年、松山善三・高峰秀子基金を設立しました。小豆島から映像作品の素晴らしさを発信する活動を始めて、今年も高峰さん主演の“浮雲”の上映とピーコさんと斎藤明美さんの対談イベントも行います」このように映画の先人たちのおかげで、町に根付いた映画という文化が、脈々と受け継がれているのは何とも嬉しい話しだ。(2018年8月取材)

【座席】 『松竹座』40席 【二十四の瞳映画村:営業時間】 9:00〜17:00(11月は8:30〜17:00)

【二十四の瞳映画村】>> キネマの庵/壺井栄文学館/苗羽小学校田浦分校のページへ

【住所】香川県小豆郡小豆島町田浦 【電話】0879-82-2455

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