かつての映画青年はフィルムに焼き付けた自分たちの真っすぐな思いを観てもらおうと貪欲に映画を掛ける暗闇を探し回った。それは居酒屋や喫茶店のカビ臭い二階だったり、すきま風が吹き込む倉庫だったり…暗闇を求め映写機を抱えて日本中を行脚した若者もいた。ベトナム戦争が泥沼化していた1968年、映画や演劇で自らの思いを表現した高校生がいた。文京区にある都立竹早高校の仲間で結成した自主映画製作サークル「グループ・ポジポジ」だ。


在籍中には学校職員の不正に対して猛抗議を行いバリケード閉鎖もやった彼らは、熱い思いを抱きながらひたすら8mmで映画を撮り続けた。あれから50年、当時の仲間たちは再び映画への情熱を胸に、ひとつの映画館を設立した。JR山手線の大塚駅から7分ほど、昭和の風情が今も残る折戸通りに2018年4月7日にオープンした客席56席の多目的空間『シネマハウス大塚』だ。キッカケは「何か面白いことやりたいね…」誰ともなく発したひと言だった。「僕らも50過ぎたあたりから少しずつ時間が出来て、また皆で集まるようになったんです。今から3年前の新年会で集まった時に、誰かが、そんなことを言い出して、だったら映画館なんて良いんじゃないか?って盛り上がって(笑)まぁ飲み屋の戯れ言が発展してココが出来たようなもんですよ」と語ってくれたのは発起人の一人で、館長を務める後藤和夫氏だ。創業メンバーは高校時代に学生運動と演劇と映画製作の日々を送ってきた気心の知れた6人。卒業後、テレビや映像業界、建築業などそれぞれの道を歩んでいた彼らが、再び集まって映画館をやる。その胸中にあるものとは何か?それは『シネマハウス大塚』のコンセプト「どうぞ自由を使って下さい」という言葉に全てが表れている。


「僕たちは激動の時代に高校生活を過ごしてきました。それから50年が経った今、311以降に原発再稼働や安保法制の反対デモが起こったり…また政治や社会に疑問を投げかける人たちが増えて来た。それはみんなが不自由さを感じているからですよね」後藤氏は、こうした不満を表現出来る場所が少なくなっている現実に苦言を呈する。「公的な場所で憲法や原発を考えようというと、会場から断られる事だって起きている。何かを発言するとネットで叩かれるのではないか?と自分たちで勝手に自粛したり…何となく今の時代、表現や発言が窮屈になってきている気がします」その一方で、誰でも簡単に映像が撮れる時代となり、明らかに作品の数は増えているのも事実だ。「今はスマホでも映画を撮れる時代ですからね。でもそれを上映出来る場所がまだまだ少ない。そういった映画を観たくてもどこで観れるのか分からないという人もたくさんいる。だから、ココをそういう要求に応えられる場所にしようや…と立ち上げたんです」

そこで『シネマハウス大塚』が目指すのは、ミニシアターではなくマイクロシアター。作品を観せたい人と観たい人に、自由な表現や発言の場を提供しようと考えた。「60過ぎた我々が他所のミニシアターと同じ事が出来るほどマンパワーもお金も無い。だから常設館にはせず、貸しスペースという形にしました」だから、オープンまでの3ヵ月はプレオープンとして様々な試写会や自主上映会に無料で提供した。「場所も知られてませんでしたからね…あまり大塚って上映施設があるというイメージが無いので、実際に来てもらって、ココの使い勝手を試してもらおうと思ったんです」

現在、駅前の喧噪から離れ落ち着いた雰囲気の都立文京高校前にあるマンションの1階に居を構えている『シネマハウス大塚』だが、元々は普通の事務所。映画館を想定していた仕様になっていないため、天井高わずか2.4メートル、スクリーンの前には大きな梁…と、決して理想的な条件ではなかった。「仲間に建築設計のプロがいましてね。この難条件をクリアするのに1年間考えました」更に映写室を作るスペースが無いという課題を解決してくれたのがソニーの短焦点4Kプロジェクターだった。スクリーンの真下からほぼ垂直に映像を投影出来る技術のおかげで、映写室が無くてもキレイな映像が得られたのだ。こうした設備については撮影監督・山崎裕氏が監修を行い最高の環境が誕生した。場内の椅子もイベントの内容によって自由に変えられる可動式となっており、内容によっては円陣を組むなど自在に対応されている。こうした使い勝手の良さは、評判が評判を呼び、今では殆どの土日は上映会やライブなどで埋まっている状態だ。


いよいよオープン当日。特選企画第一弾として、こけら落としに選んだのは、大島渚監督が立ち上げた独立プロ「創造社」で、精力的に作品を送り出していた時代の“絞死刑”と“東京戦争戦後秘話”そして「創造社」最後の作品“夏の妹”の三本。森達也監督や崔洋一監督といった映画人たちが日替わりで来場しトークイベントが開催された。「大島監督は、正に僕らの青春時代のカリスマだった。だから最初の企画は大島渚監督からやろう!と決めていたんです」中でも“東京戦争戦後秘話”は、メンバーにとって思い出深い作品で、高校時代、映画祭で彼らの作品を観た大島監督が「グループ・ポジポジ」に出演をオファー。後藤氏は主人公の元木象一役に抜擢されたのだ。続く特選企画第二弾は、後藤氏の大親友でもあり良き映画制作仲間…15年前に52歳の若さで亡くなった撮影監督・篠田昇の十五回忌として、“四月物語”など岩井俊二監督作品を中心に、利重剛監督作品“BeRLiN”などを篠田氏と関わりの深かったゲストを招いて上映が行われた。また、三上智恵監督のドキュメンンタリー沖縄三部作を上映した特選企画第三弾には、映画ファンだけではなく在京の沖縄出身の方が大勢来場されたという。そして、今年の初めに行われた原將人監督特集は、16ミリ映写機を2台客席の真ん中に設置して、時には監督自身の弾き語りを交えて入魂の3作品が上映された。昨年、自宅が火災に見舞われて、全身に火傷を負いながらも救出に成功したフィルム作品が上映されるという奇跡的な復活上映会に多くの観客が詰めかけた。



こうした特選企画以外は、殆どが外部からの持ち込み企画だ。貸しスペースとして得られる収益は4時間の使用料1万5千円。施設を維持するにはギリギリの料金設定だ。「自由を使って下さいというコンセプトは間違っていなかったと思う」と振り返る後藤氏。「1960年から70年代には既成の価値観を壊そうという、時代に切り込んだ作り手がたくさんいました。今では、原発や被災者の人たちを追い続けている人たちです。でもそういうメッセージ性の強い映画を上映してくれる場所が無いんだよね。だから、そういう人たちにこそウチを借りて欲しいんです」これからは、シンポジウムやコンサート、詩の朗読会、または町内会の発表会など色々なことに使ってもらいたいという。観客からも今度は何をするのか?という問い合わせも増えており、着実に認知度は上がって来ている。「地域の結びつきと作り手の自由な表現から新しい風を吹かせたい」これはスーパーバイザーを務める橋本佳子さんの言葉だ。数多くのドキュメンタリー映画をプロデュースしてきた橋本さんは、作品を発表する場を映画の作り手たちに提供するため映画館設立に賛同した。こうした思いが伝わったのか、利用者の口コミのおかげで様々な団体からオファーが続いている。

ここ大塚は昼間からネオンが瞬く大歓楽街として有名な場所で、古くは江戸時代に旧中山道を行く旅人たちの最後の遊び場だった。「大塚って、山手線の駅でもこれといった特長がない街です。でも、この折戸通りは昔ながらの飲み屋とか旨い食べ物屋もあって、味のある良い通りですよ」青春時代を文京区で過ごした後藤氏と仲間にとって酒や麻雀といった遊びを教えてくれたのが大塚周辺だったという。「だから馴染みの深い僕たちにとって、ここで映画館をやることは、戻って来た…という感じです。自分たちにとって思い入れのある場所だから、大塚の人と共存したい。今はそれをどういう形でやれば良いのかを考えているところです」後藤氏の夢は、ココが監督や脚本家・プロデューサーが出会える場所になって、パリのシネマテークのように新しい作品が生まれることだ。そんな『シネマハウス大塚』に、昨年末に新しい仲間が加わった。塚田万理奈さんという新進気鋭の映画監督だ。プレオープン期間中に塚田さんが先導して若手映画監督たちの作品を毎日、日替わりで上映するという企画を開催して、若い作り手たちの交流の場となり大盛況となった。「彼女は僕たちより40歳も若いですからね(笑)。僕たちがずっと頑張るのではなく、若い人たちにバトンタッチしていけたら良いなと思っているんです」無理をせず余禄が出来たら、やりたい映画を掛ける…そこから世代を超えた新しい何かが生まれるなんて素敵ではないか?「まぁ、無謀は承知で老人たちがもの好きな場所を作ったというわけです」と後藤氏は最後にそう笑って答えてくれた。(2018年2月取材)


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