九州の国東半島西部に位置する豊後高田市は、大分空港がある東部が表側とすると西部は国東半島の裏側となる。街の真ん中を流れる桂川が周防灘に注いでおり、昭和の初めまで大阪方面へ竹材を運搬する海運の要衞として栄えた。それこそ国東半島に住んでいる人たちが皆この街に買い物に来る程の賑わいだったという。最寄りとなるJR日豊本線の宇佐駅からバスで15分程揺られてバスターミナルに着く。高田地区は昭和の街として知られるレトロな街並みの商店街があって観光客も多いことから大分空港を結ぶリムジンバスも発着している。昔ながらの佇まいに懐かしさを感じつつ桂川に架かる桂橋を渡ると、学校や図書館などの公共施設がある玉津地区に入る。


文教地区である玉津は観光地というよりも地元住民の生活拠点となる街だ。玉津銀座街と中町商店街という二つの商店街があって、銀座という名前が付く程だから昔はハイカラな洋装店やスーパーなどが軒を連ねていたという。「それが今残っているのは八百屋さんや美容室など数件が残る程度でそれ以外はすべて廃業してしまったようです」と話してくれたのは「玉津プラチナプロジェクト」の事務局長を務める市川誠氏だ。「現在営業しているお店も高齢化が進んで、今や商店街の程をなしていないのが現状です」自力での復興は難しいと考えた市役所は「お年寄りに優しい街」を掲げ、市が協力してイベントやフリーマーケットを開催してきた。それの運営にあたっているのが「玉津プラチナプロジェクト」だ。

「橋の向こう側の昭和の街は結構観光客が集まるんですよ。ただ橋を渡って玉津にまで来てもらえない。そこでシャッター街となっている商店街の活性化を図りイベントの企画を立案したり、お年寄りの街なので福祉を元にした活動をするのが私たちの役割なのです」という市川氏だが、実は生まれも育ちも神奈川県横浜市だ。定年を機にサラリーマンを辞めて田舎暮らしをしようと考えていたところ、豊後高田市が公募していた「地域おこし協力隊」に応募。地域の活性化のために尽力する嘱託職員として採用となり、2016年6月に奥様と二人で移住してきた。「その中で玉津まで観光客を呼び込むために、空き店舗となっていた元パン屋の工場だった場所を有効活用する方策を練っていたところ、街の紹介映像を流す小さなモニターを付けた休憩所を兼ねた施設を作れないか?という意見が出たのです。せっかくモニターを付けるのであれば(当時の大分県北部には映画館が無かったので)映画館をやろうよ…という話になり、それが映画館を作る発端でした」



約1年の準備期間を経て『玉津東天紅』は、2017年3月31日にドキュメンタリー”二人の桃源郷”をこけら落し作品としてオープンした。館名にある『東天紅』は、かつて玉津にあった映画館の名前から冠した。1933年(昭和8年)に出来た2館体制の映画館で1970年代まで賑わっていた街のシンボルだった。約半世紀ぶりに街に映画館が復活したわけである。そして市川氏は「玉津プラチナプロジェクト」シネマ部会の代表として館長を任される事となった。「何かお年寄りのために出来る事はないか?」という思いからスタートした映画館だったが、誰もが興行に関して経験した事が無いため大分市のミニシアター『シネマ5』からアドバイスをもらった。

オープンするまでは映画館に行くとなると大分の市街地や別府しかなかったため、お年寄りは映画を観に行きたくてもそこまで動けないというのが実情だった。「お年寄りが近隣のスーパーには車で行けても長距離となると厳しいですよね。だから街に映画館が出来た事は非常に喜ばれました」映画を観に来た地元のお年寄りの方々が、お友達や顔馴染みと「お久しぶりね〜」とお話しをされる光景が今でも多く見られる。街に映画館を復活させるにあたって「私たちは”高齢者が楽しいおまち”をテーマに掲げているので、お年寄りの方が観て喜んでいただける作品を中心に上映するのがコンセプトです」最初は懐かしんでもらおうと”幕末太陽伝”のような古い作品も結構上映されたりしたのだが…「実は古い映画ってお年寄りの方はあまり入らないんですよ。昔の映画は既にテレビで何度も観ているので、”それはもう観た!”って結局は来ないのです(笑)」受付に立つとお客様は新しい作品や話題になった作品を求めている事が分かったという。

『玉津東天紅』のお客様は85%が60歳以上を占めており、90歳以上の方もいらっしゃるとか。「皆さん若い頃に映画館で映画を観ていた世代なので、映画館に来たかったと言ってくれます」客席数30席というちょうどいい具合の広さの場内は最後尾の椅子は映画館仕様となっているが前三列はソファと一人掛けの椅子を設置。皆さんお気に入りの席で観賞されている。上映後にお見送りをする市川氏とお客様が、映画の感想を楽しそうに話をされる。その時に「来週はこんな映画をやりますから…」と、さりげなく次週の予告もする。皆さんと顔見知りだから予告編よりも自身の言葉で伝えた方が話が早いのだ。映画館の隣には奥様が経営されている食堂があるので映画の後ご飯を食べて帰られるお客様も多い。「映画館と食堂を夫婦隣り合わせで無理しない程度にやっていますよ」


上映はBlu-rayで、毎週一本ずつ5日間切り替えとなっている。休館日の木曜日はロビーで麻雀教室が開催されている。タイムスケジュールは午前10時と午後13時半の2回のみ。作品が変わっても開始時間は固定されている。「上映開始の時間を固定にしているのは、そうしないとウチのお客様は来る時間を間違えてしまうんです。どんな作品でも毎回同じ時間ならば習慣化しやすいので」どんなに短い作品で間が開いたとしてもこのスケジュールは崩さない事が重要なのだ。この上映スタイルは実に地域の客層に合わせた合理的な仕組みになっているが、2時間半くらいの長い映画の時は午前の回が終わったらすぐに次の回の準備をしなくてはならないので大変だという。

こちらのお客様が喜ばれる作品は人間ドラマだ。過去に行ったり未来に行ったりするような複雑な構成の作品はお客様から不評だという。「物語はストレートな方が喜ばれます。”万引家族”は一番入りましたね。その時は入り切らなくて、ロビーの椅子を補助席にして座ってもらったり、特別に夕方から追加上映しました」ここから映画館の認知が広がり、手応えも充分に感じたという。話題になった作品や著名人の半生を追ったドキュメンタリーは好まれているようだ。ご年配の方々は反応がストレートなので、満足された方は「良かった〜泣いちゃった」とか感情を露わにして帰られるという。「小さな映画館なのでお客様との距離がとても近いんですよ。だから私に帰りがけ、いつも良い映画をありがとねと感謝してくれる人もいます。そんな言葉をいただくのが僕のやりがいです」

オープンから7年が経ち「私自身、まさかこんなに映画に浸かるとは思っていませんでした」と笑う市川氏。字幕だと目で追えないというお客様が多いものの洋画を観たいというお客様も一定数いるので、その兼ね合いに少し苦労されているようだ。「たまに洋画を入れたとしても皆さんが楽しんでもらえるように”ショータイム”のような音楽映画も入れたり、”弟は僕のヒーロー”のようなお年寄りに喜ばれそうな人間ドラマを入れたりしています」出来るだけ作品を観て選ぶように心掛けているが、距離的に試写会に行けないため予告編やレビューから当て込む事もある。「だから、こんなはずじゃなかった…と大ハズレする事もたまにあります(笑)。メディアで取り上げている作品は間をおかずに出来るだけタイムリーにやりたいなと思っています」番宣に対しては敏感なお客様からは、この映画はやらないのか?と聞かれる事もある。「ただ…Blu-ray上映しか出来ないので、上映ができない作品もあります。その時は謝るしか無いのですが」


年間で4000名近くいた来場者もコロナ禍を経て減ってしまったが「高齢者の方々への娯楽を提供できる場所でありたい」という初期の思いは変わっていない。「映画館に娯楽を求めに来られるお客様同士の触れ合いの場になれたら良いと思っています。実際にサロン的な場所になっていますからね」映画が始まるまでロビーや劇場内で久しぶりに会っておしゃべりをしているお客様の表情は明るく生き生きとされている。コロナ禍では人との交流を遮断せざるを得なかったからだろうか、少しずつでも以前の日常が戻ってきた喜びを感じているようだ。最近は新しいお客様も少しずつ増えているという。「市外の近隣にお住まいの方が口コミで知って、初めて来られる方々が増えています。ウチで上映している作品はシネコンでは上映されない作品が多いので、ミニシアター系がお好きな方には割と需要があるんですよ」

『玉津東天紅』は豊後高田市が映画観賞料金を一部補助してくれる市民年度会員制度がある。市民であれば映画観賞料金から500円補助してくれるのだ。まず入会金として1000円を払えば、年度切り替えの4月から翌年3月まで一年有効の会員証が発行される。その会員証を提示すると当日料金から500円引きで観賞が出来るのだ。「60歳以上の方でしたらシニア料金1000円から市が500円補填してくれるので、お年寄りの皆さんは500円玉を持って観に来られます」お年寄りにとって500円で映画を観られるのは大きいので実にありがたい支援だ。「今までこの街でお年寄りの娯楽と言えばパチンコ屋とデイサービス行って運動したり歌ったりするぐらいでしたから、そこに500円で映画を観る事が出来る映画館が加わったのです」



作品の手配から上映までを行う市川氏が毎回気を揉むのが、上映日までにディスクが届くか?とか、そのディスクがちゃんと観られるか?という事だ。時にはギリギリで到着したり、予定通り届いても上映出来ない形式のデータだったりする事もあるので気が抜けないと苦笑する。それでも場内から感動しながら出て来るお客様を見た時は、心の中で「やった!」と…全ての苦労が報われる瞬間だという。「以前上映した”ひとくず”っていう映画がそうでした。当初は知名度の低い映画でしたけど皆さん涙を流していたのです」そういった思いで一本一本の映画を大切に上映している『玉津東天紅』が地域の人たちから愛されている事がロビーからもよく理解出来る。ロビーの壁面にはお客様からいただいた自筆の書や絵が飾られていたり、「自分で持っているよりもここにあった方が良いから」と提供された昭和の時代に使われていた8ミリ映写機やラジオなどのレトロな家電が展示されているのだ。「地域の高齢者の方々に感動を与えるような作品を提供出来るのが一番。やっぱり泣いて笑って帰って欲しいですもんね」と最後に笑顔で語ってくれた。(2024年2月取材)


【座席】 30席 【音響】Blu-ray上映

【住所】大分県豊後高田市玉津380-2 【電話】0978-25-4433

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