潮の香りがする宮古は住み心地が良いスモールタウン

 リアス式海岸で有名な三陸海岸に面した岩手県宮古市を訪れたのは、夏の盛りも過ぎた2010年10月。東日本大震災の5ヵ月前だ。今は廃線になっている品川バスターミナルから出ていた夜行バスで早朝7時に宮古市に着く。晴天の三陸海岸の日差しに白い壁が眩しく反射する宮古駅は、後年「あまちゃん」で有名になった三陸鉄道リアス線の久慈と盛の中間にある港町の小さな駅だ。バスから降りると港から吹く潮風が心地よい。以前、映画評論家でエッセイストの川本三郎氏が書かれた映画のエッセイ本「町を歩いて映画のなかへ」で紹介されていた宮古は寂れた港町として情景を切り取られていたが、それから28年経った駅前はきれいに整備されており、まるでラッセ・ハルストレム監督の映画に出てくるような住み良いスモールタウンという印象が強かった

町の総鎮守様で旅の無事を祈願する

 駅から20分ほど歩いたところに白鳳9年(680年)に創建した「横山八幡宮」という大きな神社がある。この横山という小高い山は町の中心を流れる閉伊川の上流から洪水によって流されてきた山と言われており、宮古という地名の発祥の地と伝えられている。その名が示す通りニの鳥居をくぐると長い石段が拝殿へと続く。この石段には急勾配の男坂と、少しまわり道になるが緩やかな女坂があるのが特徴だ。いつも取材の前には、その土地の氏神様にご挨拶しているので、男坂から上り旅の無事を祈願させていただいた。

 

日本で唯一の生協が運営する映画館

 「横山八幡宮」から細長い煙突を遠くに眺めながら、閉伊川に架かる小山田橋を渡って10分ほど歩くと川沿いに、いわて生協が運営する商業施設「マリンコープDORA」がある。その2階にある『みやこシネマリーン』は日本で唯一の生協が運営する映画館だ。1960年代の映画全盛期は市内に7館の映画館があったのだが、91年に最後の映画館が閉館されると、しばらくの間、宮古市は映画館空白地帯となっていた。地域の特性からだろうか、盛岡までバスを使うことに慣れている市民は、映画を観るにも毎回、片道2時間近く掛けていたという。やがて市民から地元で映画を観たいと要望が高まり、1997年にオープンすると多くのファンが詰めかけた。

 この取材から半年後の3月11日、宮古市を東日本大震災が襲った。川を遡る黒い津波の映像がニュースで流れた時、見覚えのある煙突のある風景に、あの川である事がすぐに理解できた。2階にあった劇場は浸水を免れ、15日後には春休みのアニメでいち早く再開。そこから復興に向けて映画館の建て直しに掛かるものの震災前の動員数まで回復する事はなく、2016年9月に常設館としての営業を終了する事となる。しかし「みやこシネマリーン」は、そこで終わりではなかった。震災直後には仮設住宅を廻り無料上映会を開催。現在も移動上映会を岩手県各地で継続している。

この世のものとは思えない景色にしばし絶句する

 駅前からバスで15分程のところには、白く切り立った火山岩によって形成された浄土ヶ浜という名勝地がある。浄土ヶ浜とは何とも幽玄な名前だが、その昔、この浜を訪れた常安寺の霊鏡竜湖というお坊さんが、あまりの美しさから極楽浄土のような…と感激したところから付いたという。ここの浜は砂ではなく波によって侵食された白い火成岩のカケラが波で打ち上げられて形成されている。白い浜辺と透明度の高い穏やかな海水…そして浄土ヶ島の白い岩肌を覆う松の緑のコントラストは、正にこの世のものと思えない美しさだ。近くの高台にあるレストハウスで遅めの昼食を取る。メニューを見るとコチラのオススメは、三陸の海産物をふんだんに使ったラーメンと書いている。三陸地域は美味しいラーメンの宝庫らしいのだが、せっかくここまで来てラーメンというのもなぁ…と、眼下に広がる浜を眺めながら海鮮丼を注文する。

宮古のウミネコが餌をキャッチする姿に思わず拍手

 レストハウスでお会計の時、スタッフのおばちゃんから「観光船に乗った?海から見る浄土ヶ浜も良いから時間があったら乗ってみて」と言われた。ちょうど出航の時間に間に合ったので、40分の浄土ヶ浜島めぐりのクルーズに乗船する。洋上からだとリアス式海岸特有の入り組んだ地形がよく分かる。また陸からでは見ることが出来ないローソクのような形で突き出した高さ40mのローソク岩や打ち寄せた波が岩の隙間から霧状に吹き上げる潮吹き穴などを見ることが出来る。何より感動したのは餌付けされたウミネコたちが乗客が投げるパンを目当てに船を追いかけ器用にキャッチする姿だ。何時に船が通るのか心得ているウミネコは臆することなく甲板に近づいて、何とホバリングしながらキャッチするのには驚いた。朝から夕方まで宮古を満喫して、バスで山間部を通って2時間掛けて盛岡に向かった。鬱蒼とする山の木々を眺めながら、宮古の人たちはこうやって盛岡まで映画を観に行くのだろうか…と感慨深く思う。

取材:2010年10月