1980年代に、老舗百貨店の三越が運営する「三越映画劇場」という小さな名画座が三越の中にあった。ワインレッドのカーペットと座り心地の良いシートが並ぶ場内は品があって、年配の女性客が多い映画館だった。当時の三越は全国的に映画館運営を展開していたが、1990年以降に閉館を続け、今では名古屋の星ヶ谷にある三越に1館だけ残っている。札幌だけは店内ではなくホテルアルファ・サッポロの地下にあって「札幌三越名画劇場」という館名で1980年から2003年まで営業していた。特徴的だったのは63席全てがリクライニングシートとなっておりラグジュアリーなホテルシアターとしてお気に入りの映画館だった。上映作品はリバイバルやムーブオーバーが中心で、ここで観たのが西部劇の名作『シェーン』だった。高校生の僕は快適なリクライニングに座りながら、場内の雰囲気がジョン・ウェインの西部劇より、線の細いアラン・ラッドの方が似合うなぁと思っていた。

4分ほどの序曲が終わり、真俯瞰からバイクの手入れをするロレンスがスクリーンに映し出されると会場から沸き起こる拍手。シネスコの画質を均一化するため左右が大きく湾曲するスクリーンもこれで見納めか…と思うと感慨深いものがある。『戦場にかける橋』でアカデミー賞を獲得したデビッド・リーン監督が次なる題材として選んだのは熱帯雨林のジャングルから灼熱の砂漠だが、シネマスコープサイズのスクリーンいっぱいに広がるフレデリック・A・ヤング撮影(『円卓の騎士』や『ソロモンとシバの女王』などダイナミックで格調の高い映像が得意なカメラマンだ)による砂漠の映像だけでも大いに観る価値あり。カメラマンの一人にニコラス・ローグの名前があるのに驚いた。冒頭、アラビアへ単身行くことになったロレンスがマッチの火を吹き消すと、地平線から太陽が昇る画面に変わるところで思わず鳥肌が立ってしまった。争いが絶えない部族を束ねてトルコ軍が占領する港町アカバやダマスカスを攻撃するスペクタクルシーンは、遠景や俯瞰のショットとラクダに乗って突進してくるピーター・オトゥールら出演者たちのアップ(スタンドインではなく本当に騎乗しているのだ)…と、何台ものカメラで捉えた迫力ある映像こそCG慣れした若者に観てもらいたい。

興奮冷めやらぬまま帰宅して早速、『アラビアのロレンス』のパンフレットを開く。A4サイズよりもひと回り大きく、手にしっとりするケント紙(多分)の紙質は、従来のパンフレットに比べてかなりの豪華仕様となっており配給会社の意気込みを感じる。映画では語りきれなかった晩年のロレンスについて書かれているのが興味深い。アラブのために奔走したロレンスだが後半では、そのカリスマ性が政治家には邪魔な存在になっている事が作中で描かれているが、パンフレットではロレンスの晩年と死後について紹介されており、名前を変えて最下級のいち兵士となっていた事実に、彼の苦悩がその後も続いていたのを伺い知る事が出来る。

初版パンフレットに記載されている館名の「日本館」は、明治16年10月、東京がまだ東京市だった浅草区公園六区に浅草初のオペラ常設館として開業して大正9年8月に映画専門館となった。昭和10年に松竹に経営が移り、松竹洋画興行の映画二番館となった。戦後はセントラル映画社が独占的に配給するアメリカ映画の一番館として封切上映する客席数668席の中堅劇場として人気を博した。