戦後、一気に日本に入ってきたアメリカ映画を始めとする世界中の映画。かつて敵国映画として輸入が禁止されていた1945年までの失われた時間を取り戻そうとするが如く、敗戦に打ちひしがれる日本人の目の前に豊かな外国の光景が広がる。何よりも驚いたのはテクニカラー方式で撮影された鮮やかな映像だ。1939年に製作された超大作『風と共に去りぬ』が日比谷の有楽座で初公開されたのは1952年。日本初のカラー作品『カルメン故郷に帰る』の一年後だった。当時の映画パンフレットは、戦前と同様に各映画館ごとに無料で配布されたB5サイズの冊子が主流で、8ページから16ページが多かったが、『風と共に去りぬ』は何と!28ページ。しかも中面はモノクロが定番だった時代にカラーでヴィヴィアン・リーの写真を掲載する豪華盤であった。本作によって日本人が壮大なスケールで製作されるハリウッド人気が確立されたと言っても良いのだが、本国アメリカでは、マッカーシー上院議員の愚策に・赤狩り旋風のただ中にあり、チャップリンやトランボという優れた作家を失う事態が起きていた。
※記載の年代は日本公開年。製作年はタイトル横に表記されています。


 


■イースター・パレード(1948年アメリカ)


■サンセット大通り(1950年アメリカ)
■レベッカ(1940年アメリカ)
■黄色いリボン(1949年アメリカ)


■誰が為に鐘は鳴る(1943年アメリカ)
■欲望という名の電車(1951年アメリカ)
■砂漠の鬼将軍(1951年アメリカ)
■天井桟敷の人々(1945年フランス)


■シェーン(1953年アメリカ)
■三人の名付親(1949年アメリカ)
■雨に唄えば(1952年アメリカ)
■見知らぬ乗客(1951年アメリカ)
■バンド・ワゴン(1953年アメリカ)


■ローマの休日(1953年アメリカ)
■麗しのサブリナ(1954年アメリカ)

■春の悶え(1952年スウェーデン)
■山河遥かなり(1949年アメリカ)
■忘れじの面影(1948年アメリカ)
■オズの魔法使(1939年アメリカ)


■夏の嵐(1954年イタリア)


■愛情物語(1955年アメリカ)


■翼よ!あれが巴里の灯だ(1956年アメリカ)

■リラの門(1957年フランス)


■鉄道員(1956年イタリア)


■灰とダイヤモンド(1958年ポーランド)
■大いなる西部(1959年アメリカ)