アルフレッド・ヒッチコック監督の名作にして最高傑作と呼ばれる『レベッカ』を評する際に、敬愛する映画評論家の双葉十三郎氏による「ぼくの採点表」に書かれているお言葉の通りだった。僕はヒッチコック監督の作品としては、『断崖』や『疑惑の影』『汚名』を先に観ており、その三作を構成する手法は『レベッカ』から発展したものであるという心構えで観てしまった…アカデミー作品賞を受賞したという点からも伝説的な期待を持ち過ぎた双葉先生と同じ過ちを犯してしまったのだ。実際、初版パンフレットでも飯島正氏が、「『レベッカ』を見てもそう驚かないひともいるだろうが…」と記述されていたが、日本における『レベッカ』は、公開順による不遇の映画と言っても良いだろう。(勿論、それを差し引いても充分に面白いのだが) 『レベッカ』は、大プロデューサーとして名を馳せるデヴィッド・O・セルズニックに招かれたヒッチコックのハリウッド第一作だったが、決して満足していなかったという。原作が女性向けのイギリスの荘園を舞台とした古くさいメロドラマだった事と、ストーリーそのものにユーモアが欠けていたのが致命的だったため、ヒッチコック映画とは言えなかった…と、晶文社刊「映画術 ヒッチコック/トリュフォー」の中で述べていた。 一度もスクリーンに姿を現すことが無いまま、旧家の屋敷マンダレイ(この屋敷が本作の主役だ)に存在感だけを残すレベッカの影に怯える若き後妻を演じたのがジョーン・フォンテイン。僕は中学生の時にリバイバル上映されたこの映画で初めてフォンテインを見て、たちまち恋に落ちた。薄い色(モノクロだが僕は勝手にクリーム色と思った)カーディガンを羽織り、清潔感溢れる世間知らずの無垢な美しさを持つ主人公は、それまでのアメリカ人女性に対して持っていた僕のイメージを覆した。フォンテインは日本生まれの日本育ちで、だからかどうかは判らないが立ち振る舞いがしごく日本人好みだ。一方で『風と共に去りぬ』のメラニー役をオファーされるもスカーレット役ではないから断るという頑固な一面を持ち、姉のオリビア・デ・ハビランドがメラニー役でアカデミー助演女優賞を獲得している。 彼女が演じる若きアメリカ娘は妻を亡くしたばかりのイギリスの大富豪ウインター伯爵と結婚する。妻の名はレベッカ。男は沖合でボートの事故に遭い謎の死を遂げた妻の面影に囚われて事あるごとに感情を露わにする。それが若き妻は気にかかっている。夫の態度だけではない。屋敷で働く家政婦やウインター伯爵の友人たちもレベッカの事が関わると様子がおかしくなる。そんな屋敷に漂うレベッカの影に新妻は怯える演出の巧さ。その点において『レベッカ』は、後にも先にもウェルメイドなパターン化されたヒッチコック作品とは一線を画す心理サスペンスであった。夫が亡き妻レベッカに対して抱いている思いと彼女の死の真相を紐解くと、単なる殺人事件ではないレベッカによる自死へと導いていたカラクリが浮き彫りにされる。このギミックが上手い。ただ、強いて上げるとするならば、いつものヒッチコック作品に比べて、ユーモアが少なかったのが難点と言えば難点。 ユニークなのは新妻と夫の物語かと思いきや、この映画の見どころは、勝手を知らない新妻と家政婦の物語であるところだ。フォンテイン演じる新妻はことごとくヘマをする。書斎にある家宝の置物を不注意で粉々にしてしまい、それをあろうことか机の引き出しに隠してしまう。家政婦はそんな彼女の振る舞いを我慢できない。本作で強烈なインパクトを与えるのは、屋敷で長年家政婦としてレベッカに仕えていたダンヴァース夫人を演じたジュディス・アンダーソンの存在である。かつてレベッカが住んでいた屋敷にやって来た新妻に対して敵意を抱き、心理的に追い込んでゆく冷たい表情に恐怖を感じる。ヒッチコックは意図的にダンヴァース夫人が歩いているところを見せないようにして、気づけば背後に立っている…という人間味を敢えて排除する描写を行なっている。言わば彼女の存在そのものが、本作の中で新妻を脅かす恐怖であるのだ。 中でも印象に残るのはレベッカの死後に初めて開かれた仮装パーティーのシーンだ。ダンヴァース夫人から勧められたドレス(以前レベッカが仮装で纏ったドレス)を着た新妻が意気揚々とホールに現れる。ところがそこにいた伯爵とレベッカを知っている友人たちが、彼女にレベッカの姿を重ねて凍りつく。そこで初めて彼女は家政婦から騙されたことを知る。どんな殺し屋よりも怖い存在だ。このショッキングな展開は如何にもヒッチコック・タッチではないか。家政婦はラストにレベッカの死の真相を知ると絶望感の中で屋敷に火をつけて自ら命を絶ってしまう。その時のジュディスが見せる形相が忘れられない。彼女はオーストラリア出身のブロードウェイで活躍した舞台女優で、7年ぶりに映画出演した本作でアカデミー助演女優賞にノミネートされている。 ヒッチコックはレベッカの死を招いたボートハウスで原因を説明するところで「レベッカがそこに立った…」と伯爵が言うとカメラはレベッカが立っていたであろう場所に視線を移し、あたかもそこにレベッカがいるかのような撮影を行っている。普通ならば回想シーンに頼ってしまいがちだが…そこが巧い。レベッカが一度も画面に顔を出さないからこそ、レベッカの亡霊に怯える主人公と同じ気持ちを観客は味わえるのである。撮影監督のジョージ・バーンズのカメラワークがヒッチコックの狙い通り冴えている。 |