私が映画を観るようになった1970年代には、かつて一世を風靡したMGMミュージカルは、既に映画館で観る事が出来なかった。そもそも1950年代をピークにMGMはミュージカルを量産しなくなっており、1961年にアカデミー賞作品賞を受賞した『ウエスト・サイド物語』から、ミュージカルは大スクリーン時代に突入。古き良きMGMミュージカルは悲しくもテレビでしか観る事が出来なくなっていた。それもゴールデンの映画番組ではなく、深夜枠のズタズタにカットされていた酷いものばかり。その中のひとつにジーン・ケリーの代表作にして最高傑作の『雨に唄えば』がある。

物語は映画がサイレントからトーキーへと移り変わる黄金期の1920年代半ばのハリウッド製作現場で起きた混乱を楽屋落ちを交えてユーモラスに描いている。オープニングで新作映画のお披露目にチャイニーズシアターが映し出されるところで気分は高揚する。そこにリムジンで登場する二人のサイレント映画スターのドンとジーナ。今まで声を出さずに表情や仕草だけで人気を博していた数多くの俳優たち(特に美しさを誇る女優たち)も悪声によって表舞台から消えてしまった…という実際のエピソードを核に、キャストとプロデューサーたちが手探りでトーキー製作に挑む。

ジーン・ケリー演じるのが、押しも押されぬサイレント映画のスターで、ある日出会った舞台女優を志す踊り子から「言葉を発しないサイレント映画はお芝居ではない」と揶揄されてしまう。この踊り子キャシーを演じるのが、あどけなさの残る19歳のデビー・レイノルズ。その一言が忘れられないケリーは、やがて訪れるトーキー映画時代の到来によって現実に直面する。最初はスクリーンの人物が喋る事をゲテモノ呼ばわりしていた映画人たちの姿が描かれており、いつの時代も新しいものはすんなりと受け入れられないものなのだと思う。ところがワーナー・ブラザースがトーキー第一作として公開した『ジャズ・シンガー』が大ヒットを記録(これは実話で、アル・ジョルソンが発する「お楽しみはこれからだ」の台詞が場内に流れた)すると映画各社は慌てて、製作途中のサイレントを大至急トーキーに作り直し始める。『雨に唄えば』は、そのハリウッドが混乱する当時の話だ。

この映画が公開された1953年は、戦後の日本に外国映画の輸入を一手に引き受けていたセントラル映画から各映画会社が自社製作の映画を優先的に映画を輸入するようになった頃で、MGMミュージカルの本数も減り始めていた時代だとパンフレットの中で字幕翻訳家の大御所・清水俊二氏が述べられていた。本作はケリーとプロデューサーのアーサー・フリードが組んだ『踊る大紐育』と『巴里のアメリカ人』に続く三部作的な作品(それぞれの物語に関連性は無いが…)である。

スタジオシステムにより多くの大スターを抱えて戦前に絶頂期を迎えていたMGMの独断場も戦後になると翳りが見え始め、そんな中に転換期を迎えていたハリウッドの混乱を面白おかしく描いてみせたのは流石、ケリー&フリードの名コンビだから成せると言えよう。それだけにパンフレットで清水俊二氏はハリウッドの昔話をそんなケリーから聞くことになろうとは…と考えもしなかったと語っていたのも納得出来る。また、トーキー創世記に作られた『ホリウッド・レヴュウ』でウクレレで歌われていたシンプルな楽曲を本作では、音楽監督であるレニー・ヘイトンによって見事なアレンジを施し、ケリーが土砂降りの雨の歩道を高らかに歌いながら踊り廻る映画史に残る名シーンを作り上げた。

実はミュージカル映画黄金期を支えて来たこのコンビだが、共に出身はブロードウェイで、フリード・ユニットと呼ばれたドラマティック・ミュージカルの創造を目指す職能集団の二人が、この映画で描かれていたサイレント時代を描いたのは意外でもある。だからこそ、客観的に楽しくトーキーの到来を描く事が出来たのかも知れない。撮影スタジオで音声を吹き込む時に主演女優ジーナの衣裳の中にマイクを仕込んだがために、接吻のシーンで、ブチュブチュと大音量で拾ってしまったり、心臓の音を拾ったりと、混乱ぶりを笑いに転じる事が出来たのもその客観性のおかげだ。

それから撮影途中の海賊映画をアクションからミュージカルに路線変更を行い再起を果たそうと画策するのだが、問題となるのはジーナの悪声。それを解決したのがキャシーの声による吹替え。そのアイデアが誕生したエピソードも笑える。このダミ声のサイレント女優に扮したジーン・ヘイゲンのコメディエンヌぶりが素晴らしい!本作最大の功労者だと思う。ところが実際のヘイゲンは流暢に台詞を喋れる美声の持ち主で歌も申し分ない。逆にテキサス訛りが抜けなかったレイノルズに代わりクライマックスでの歌声は実はヘイゲン自身だったというから驚く。案の定アカデミー賞助演女優賞にノミネートされたヘイゲンだが、彼女の姿に真のプロフェッショナルを見た。

二人を助けるのが、ドンと長年連れ去って来た親友のピアノ奏者コスモ。演じるのは、全米で人気のコメディアンだったドナルド・オコナー。とにかく彼が見せるユーモラスな顔芸とアクロバティックなダンス(特にスタント用の人形を使った「メイク・エム・ラフ」は最高だった)は、ケリーのダンスに引けを取らない程の芸達者ぶりを見せてくれる。高校生の頃に観たジェームズ・キャグニー主演の『ラグ・タイム』で久しぶりに恰幅の良い姿を見せてくれて実に懐かしかった。

テレビの映画番組では、2時間枠の番組だと実質CMを除くと95分程。どうしても15分はカットせざるを得ない。色んなチャンネルで放映されていたにも関わらず、カットされるのは、決まってケリーがミュージカル映画の構想を語るシーンだった。確かに丸々カットしても影響しないシーンなのでカットしやすかったのだろう。そのおかげでオープニングタイトルでクレジットされているスター女優が、テレビ放映版では出演していない形になっていた。それが、シド・チャリシー。彼女はMGMミュージカルを語る上で欠かせないダンサーで、フレッド・アステアと共演した『バンド・ワゴン』で見せてくれた長い脚を活かした見事なダンスシーンが忘れられない。ケリーとは本作の前年に『巴里のアメリカ人』で共演している。

ようやく完全な形で観賞したのは高校時代「札幌映画サークル」の自主上映会でだった。当時、札幌には名画座というものが無く、どれもがロードショーを終えて間もない新作落ちを上映する二番三番館のムーヴオーバーばかり。古い映画を選んで市民ホールで上映してくれたのが1963年創設の「札幌映画サークル」だった。レンタルビデオが無かった時代に古い映画を追いかけていた映画少年の私にとっては非常にありがたい存在であった。