観終わって、ホッと小さな溜息…。小雨混じりの雪が降る夜の道路を車で走らせる男と、電車の窓から外を眺める女のカットバック。男は車を停めると足早に駅の階段を駆け上がり、ホームに入ってくる電車を待つ。そして電車から降りてくる乗客を掻き分けて進んで行くとそこには…。フランシス・レイの名曲とセピア色のモノトーン映像が美しいラスト。映画は、クロード・ルルーシュ監督の名作『男と女』だ

男はレーサーで、かつてレース中に起こした事故で生死を彷徨っている間に、重圧に耐えきれなくなった妻が自ら命を絶つという過去を持つ。女はスタントマンだった夫を撮影中の事故で失う過去を持つ。偶然、パリ郊外の港町ドーヴィルにある寄宿学校に子供を預けていた二人は、子供との面会日に顔を合わせるうち親しくなってゆく。この映画の主人公と同様に伴侶を失ったルルーシュがドーヴィルを訪れた時に、早朝の砂浜を子供と歩く女性を見た時に、早朝に子供と浜辺を歩く女性の事情を色々と想像していくうちに『男と女』の構想に辿り着いたという。

この頃のルルーシュはヒット作に恵まれず借金を抱えて映画を作る資金にも苦労していた。主人公にジャン・ルイ・トランティニヤンが決まっているだけで、相手役にアヌーク・エーメを推したのはジャン・ルイだった。かつて愛した人を失った過去を持つ男女の心の機微を描いているが、決して大きな出来事や大袈裟な葛藤が描かれているわけではない。子供との面会日に町のラストランで皆で食事をしたりクルージングしたり…ルルーシュの抑制の利いた演出は、絶妙なスピードで物語を展開させる。決してセリフに頼るのではなく、映像が二人の心情や状況に寄り添う…実に映画的な表現を多用する。中でも引潮で遠浅になった海岸のウッドデッキを歩く二人の佇まいがイイ。乳白色の空と海が溶け込んで一体となった水彩画のような風景は主人公の心象風景となる。この映像ひとつ取っても、ルルーシュのカメラマンとしてのセンスが光る。どうやら、この人に限っては「天は人に二物を与えた」ようだ。

映画はカラーとモノトーンを主人公の心境に合わせて使い分けている。モノトーンもブルーグレーとセピアに分けられており、印象に残るのは二人が初めて結ばれたシーン。ベッドで抱き合う現在の二人をセピアで表しながらも、男に抱かれる女が昔の亭主を思い返して罪悪感に苛まれる回想シーンを鮮やかなカラーで表現する。ルルーシュはメイキングで予算の都合で全篇をカラーで撮影するのが不可能だったので、室内をモノクロで、屋外をカラーといったパートカラーになってしまったと語っていたが、二人の心情の違いをフィルムによって巧みに表す事が出来ていたので正に怪我の功名といって良いだろう。

話は変わるが、20年ほど前に映画祭の調査事業で、かつて東京国際ファンタスティック映画祭でゼネラルプロデューサーを務められた小松沢陽一氏と共に、『男と女』の舞台であるドーヴィルを訪れて2週間滞在した事がある。ドーヴィルはフランスのノルマンディ地方にある港町で、高級なリゾート地でもある。目的は、ここで毎秋に開催されている「ドーヴィルアメリカ映画祭」のリサーチだった。開催月にはハリウッドから多くのスターや監督がやって来るとあって、町を上げての盛り上がりを見せている。

パリのサンラザール駅から1時間半でドーバー海峡に面したドーヴィル/トゥルーヴィル駅に到着すると早速、駅から10分程のところにある海岸に向かう。砂浜は広く引潮時には乗馬を楽しむ人も多い。ちなみに港を挟んだ隣の町トゥルーヴィルには作家のマルグリッド・デュラスが晩年住んでいた。着いた翌日が映画祭のオープニングセレモニーだったが、ホテルのエレベーターでモーガン・フリーマンと乗り合わせたのは驚いた。後になって会釈するのが精一杯だった自分の不甲斐なさに猛省する。

映画が撮影されていた当時のドーヴィルは、戦前の高級リゾートブームが去ってしまい町は閑散としていた。つまりドーヴィルが再び脚光を浴びたのは『男と女』のおかげであり、映画が出来たのは町のおかげであったわけだ。この町をこよなく愛すルルーシュは愛から車で20分程の高台にある豊かな自然に囲まれた広大な敷地を購入して自らが経営するホテルを設立。地下にはミニシアタークラスの試写室が併設されており、新作が出来上がるとここで上映会が行われていたそうだ。