小学生の頃、日曜日の夕方にたまたま付けたテレビで90分枠の洋画劇場がやっていた。映画はもう中盤に差し掛かっていたのだが、その時のシーンがトラウマとなってしまった。一人の綺麗な女性が公園の柵に腰掛けて煙草を吸っていると、後ろにあるジャングルジムに一羽のカラスが止まり、それが少しずつ増えて行き…女性が振り向くとジャングルジムを埋め尽くすカラスが止まっていた。そして、逃げる子供たちをカラスが襲い掛かるシーンが続く。一人で留守番をしていた私は怖くなって、そこでテレビを止めてしまった。その映画が何なのか新聞のラテ欄で調べる事すら出来なかった程だ。それがスリラー映画の神様アルフレッド・ヒッチコック監督が作った『鳥』であると知ったのは、もっと後になってから。向かいに住んでいた大学生のお兄さんに、そのシーンを説明して「あれは何という映画か?」と聞いたら、あっさり解決した。トラウマになりながら、ずっと気になっていたあのシーンにリバイバルで再会した時は、怖さよりも喜びの方が優っていた。
突然何の前触れもなく鳥たちが人間に襲い掛かってくる…今でいう動物もののデザスター映画だ。舞台となるのはカリフォルニア州にある実在の港町ボデガ湾。入り組んだ地形が美しい海岸線の寒村でロケもここで行なっている。湾の全景を捉えた撮影監督ロバート・バークスによるロングショットが絵画的で美しい。異変の兆候は映画が始まって早々、ティッピ・ヘドレン演じる主人公がサンフランシスコのペットショップに入る冒頭シーンから、鳥の声が絶えず画面の端々に入る。音楽を手掛けたバーナード・ハーマンによるシンセで作った鳥の声以外、劇中、BGMの類は一切流れないのが、不気味に我々の五感を刺激してくる。 冒頭のペットショップで知り合ったロッド・テイラー演じる若い弁護士と一悶着あるのだが、主人公の女性は新聞社の社長の娘で、今まで小さな悪戯から幾つもの事件を起こしていた問題児だ。本作で初めて登場したヘドレンは、ヒッチコック作品に出てくるヒロインに比べてどうも好きになれない。まぁ、彼女の役どころが金持ちの道楽娘という役なので、嫌われてナンボの演技を披露するヘドレンは評価に値する。ヒッチコックの彼女の描き方を見ても、わがままなセレブ娘を虐めるのが狙い?とさえ思う。だから、鳥の洗礼を一番最初に浴びるのも彼女だ。脇を固める女優陣も素晴らしくテイラーの子離れが出来ない母親を演じたジェシカ・タンディがイイ味を出している。息子の知り合いとして紹介された時にヘドレンを敵視する目とラストの目の演技に注目すべきだ。 ヒッチコックは二人が出会う前段のシークエンスを早々に切り上げ、ヘドレンを弁護士の実家があるボデガ湾へ移動させる。そして弁護士と再会の直後に、いきなり彼女にカモメが襲い掛かる。これには観客も意表を突かれた。いつ本題に入るのか?と、焦らされ過ぎる映画もあるが、それをされてしまうと、意識がそこに削がれてしまい、本題に集中できず困りものだが、その点、観客に構える隙を与える事なく、突然それが始まる適正なタイミングを見るヒッチコックのさじ加減は流石である。こちらの心理を見事に先読みされた観客からすると「してやられた」というところか。双葉十三郎先生も著書「映画の学校」で同じように表現されていた。 この事件を皮切りに町のあちこちで不穏な出来事が起こる。どこの家庭で飼っている鶏が餌を食べなくなり、続いてヘドレンが泊めてもらった小学校の女教師の自宅玄関ドアに、カモメが激突して(月夜で明るかったにも関わらず)死んだり…と観客の興味をひと時たりとも離さない。何が怖いかというと、サメやワニではない、普段、私たちの身近にいる可愛い存在の鳥が、そのままの無垢な表情で人間を襲う事だ。翌日、ガーデンパーティーを楽しむ子供たちを無数のカモメが襲い掛かるショッキングなシーンが続く。本物のカモメを使った引きの画と剥製を使ったアップの画を巧みなカット割で処理する見事な構成に感服。そこから拍車を掛けたように物語は進み、いよいよ私をトラウマに導いた小学校のシーンに突入する。 この二つのシーンの間に母親が知り合いの農夫を訪ねるとカラスによって惨殺されたと思われる目玉が突かれた死体を発見する。大きな出来事の間に人間が殺されるショッキングな出来事を挟む事で、不安はより現実味を増してくる…緩急自在の演出テクニックによって、益々観客の不安を煽り立てるのが流石である。そして町を襲うカモメが舞い降りてくる様を空からの俯瞰で捉えるワン・ショットは鳥肌級の美しさだ。 原作はヒッチコックが「私が好きなサスペンスの十四篇」に挙げているダフネ・デュ・モーリア(『レベッカ』の原作者)の書いたポケットノベライズで発行された短編小説である。脚色するエバン・ハンター(ちなみに「87分署」シリーズの小説家エド・マクベインの脚本家のペンネーム)は、鳥の襲撃という骨子以外は映画のオリジナルだ。原作は主人公の家族だけの物語で、鳥の襲撃を立てこもった自宅で体験する恐怖を描く。(M・ナイト・シャラマン監督の『サイン』が近い)原作では、鳥が人間を襲う理由が明確に記述されているが、ヒッチコックとエバンは、そこを敢えて不明瞭にする事で、薄ら寒い恐怖を漂わせたままラストを迎える。 |