20年前。映画祭の調査事業のためフランスを旅した時、同行していた小松沢陽一氏が「せっかくだからジャック・ドゥミ監督のお墓参りしない?」と誘われて、ちょっと寄り道して調査を無事に終える事をお願いした。「東京国際ファンタスティック映画祭」でプロデューサーを務めた小松沢氏は大学時代をパリで過ごされたので市内に明るく、フランスでは有名人のお墓見学は一般的でマップまで出ているというから、日本とお墓に対する文化の違いに驚いた。そのドゥミ監督の代表作と言えばカトリーヌ・ドヌーヴの出世作となったミュージカル『シェルブールの雨傘』だ

それから映画の舞台となったシェルブールの近く…ノルマンディ地方にある港町ドーヴィルに向かった。クロード・ルルーシュ監督の『男と女』の舞台となった場所だ。ノルマンディにある港町が舞台となった映画が二つともカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した事になる。日本の港町の路地裏に一杯飲み屋がある侘び寂びを感じる雰囲気とは異なり、フランスの港町は石造りの建物だからだろうか活気がある通りに、どこか洒落た雰囲気を持つ。どこの国でも港町が好きなのは、そこに住む人たちの息吹きが感じられるからだ。

物語はとてもシンプルかつストレート。港町シェルブールで、母親と一緒に雨傘店を営むドヌーヴ演じる16歳の少女ジュヌビエーヴと、将来を誓い合った恋人のニーノ・カステルヌオーヴォ演じる20歳の自動車整備工のギイが、アルジェリア戦争という激動の時代に翻弄される悲恋を描く。フランス人は雨が降っても傘を差さないと聞いていたから雨傘が映画のタイトルとなるのは意外だった。

1961年に製作されたロバート・ワイズ監督によるミュージカル『ウエストサイド物語』は従来型のMGMミュージカルとは違う新しいスタイルを確立して驚かせたが、ドゥミ監督と音楽家ミシェル・ルグラン(二人共まだ新人)が生み出したミュージカル『シェルブールの雨傘』もまた実にフランス的な新しいスタイルで観客を魅了した。登場人物が交わすセリフ全てメロディが付けられて90分の上映時間全てが歌というのが画期的なアイデアだ。まさにこれ、全編が登場人物たちの感情をメロディに乗せた心象風景。ちなみに全てのセリフにメロディをつけるアイデアはルグランのものだった。

彼がアルジェリア戦争に出征する前夜に二人は結ばれるのだが、その時に互いの想いを語り合う主題歌(どこから該当するのかメロディの切れ目が無いので難しいが…)が美しく『ウエストサイド物語』の「トゥナイト」に匹敵する。いよいよ戦地へと向かう列車に乗る彼をホームで見送るジュヌビエーヴ。列車はゆっくり動き出す。ルグランの音楽が高らかに流れる中で、カメラは列車と共に引いてゆき、彼女の姿は小さくなる。彼女はやがて背中を向けてホームから去ってゆく。二人が別れる一部を締めくくるに相応しいジャン・ラビエのカメラが美しくかつダイナミックに捉える。雨に濡れた寂れた感じのシェルブール駅(港町特有の頭端式ホームというのも別れのシーンでは絵になる)がとてもイイ。

第二部は、戦場に赴いた彼を待てず空虚で不安な日々を過ごしている彼女に優しく手を差し伸べる宝石商の男…彼女がギイの子供を宿しているにも関わらず全てを受け入れる宝石商の心の広さに彼女は結婚の申し込みを受け入れる。この映画に登場する全ての人物に邪な思いを抱く者がいない…あえてドゥミ監督は余計な物語を排除して、純粋な愛だけを描いた映画を作りたかったのだ。だからこそラグランも共鳴した。パンフレットで淀川長治氏は「見事なフランス製の芸術品」として優れた脚本を高く評価した。

衣裳のJ・モローと美術のベルナール・エヴァンが手掛けたカラーリングは実にリリカル。主人公たちが住む部屋の壁紙やジュヌビエーヴの母親が経営する雨傘店の色彩の豊かさに驚く。ルイ・マルやジャン・リュック・ゴダール監督作品で美術を手掛けドゥミ監督とは美術学校からの親友のアヴァンは、ピンクやブルーなどのヴィヴィッドな配色で、いつも見る町の風景や生活空間を非日常空間に変貌させる色の魔術師だ。エヴァンの見事な手腕は装飾だけに限らず、衣裳とのコントラストも計算に入れた演出である。例えばピンクのカーディガンを着たドヌーヴがピンクの壁紙の店内に立ったり歩いたり、時には青い壁のギイの部屋では青のギンガムチェックのワンピースに青のカーディガンを羽織った彼女が彼と抱き合うシーンでは画面に広がりを与えるどころか立体感を生み出す。

フランス人というのは音楽映画に「その手があったか!」という意外な発想をする天才だと思う。1997年に製作されたアラン・レネ監督の『恋するシャンソン』も登場人物たちの会話の中に、フランスのヒット曲を挿入。出演者が歌うのではなくオリジナルの原曲を使っているところが、やっぱりフランス人的発想だ。