淡路島を臨む播磨灘に面した港町・明石市。JR山陽本線で三宮から新快速で15分程の場所にありながら、神戸とは違った趣を感じるゆったりとした街だ。海が近いからだろうか…ホームに降り立つと風に乗って潮の薫りがほのかに漂ってくる。明石といえば漁獲高日本一を誇る大ぶりの蛸を卵で包み出汁でいただく明石焼(地元では玉子焼と呼ばれている)が有名だが、明石港に向かって縦横に走る“魚の棚”市場には蛸以外にも港で水揚げされた近海ものの魚介類が並ぶ。街のアチコチに明石焼の店が点在しており、人気店には開店前から長蛇の列が出来ている。そんな行列を尻目に、駅から港に向かって歩くこと3分足らずの場所に、今では珍しい絵看板が掲げられている映画館『明石東宝』がある。 |
通りの反対側からでも目を引く劇場正面に掲げられた絵看板に、時おり足を止めてカメラを構える人も見かけるほど。「昔からやってきていたので、止める必要も無いから続けているだけですよ。その内に注目を集めるようになって新聞社やテレビ局から取材が入って、止めるに止められなくなったのが本当のところですが…看板屋さんも取り付けるのがシンドなってきたって言ってますよ」と笑うのは劇場を運営する柏木興業(株)の代表を務める柏木弘氏。かつて駅前にあった看板屋が映画館の創設時から手掛けていたそうだが20年ほど前に高齢を理由に店じまいしたため、その方から紹介された職人さんが現在、看板を描いている。
『明石東宝』の歴史は古く、現在の場所に元々あった映画館を先代の柏木約吉氏が購入されたのは昭和28年。時は正に日本映画全盛の頃…ゴジラや若大将シリーズなど、連日多くの観客が劇場に足を運んでいたという。また、『明石東宝』の隣には“明石松竹”“明石東映”そして洋画専門館“白鳥座”という映画館が軒を連ね、活況を見せていた。『明石東宝』が現在のような複合型ビルとなったのは昭和41年の頃。当時は東宝邦画系の封切り館だったが、現在は東宝作品に限らず邦画から洋画まで幅広い作品を上映している。それから間もなく映画の斜陽化が囁かれるようになり、昭和45年から昭和49年にかけて両隣の劇場が相次いで閉館され、通りには『明石東宝』1館を残すのみとなってしまった。「近隣の映画館の中でウチが一番早かったので、建て替えの話が持ち上がった時は、まだ映画館にお客さんが来ていた時代でした。その後になると映画館では収益が取れなくなって閉館という決断を下されたのかも知れません」と語る柏木氏が映画館の経営を引き継いだのは平成に入ってから。「元々、私は工学部出身で大学に残るつもりで勉強していたので、映画館を継ぐなんて思ってもいなかったんですよ」と笑う 「その頃はシネコンも進出していませんでしたから、子供向けのアニメには、昭和30年代のような盛況ぶりでしたね」こちらでは昭和55年公開の第一作目“ドラえもん のび太の恐竜”からシリーズ全作品上映されており、最盛期にはその年の興行収入の半分近くをわずか5週間で稼いでしまったという。「まだ立見が当たり前だった時代でしたから、お客さんから“まだ入れるんか!”と叱られる程、どんどん押し込んでいたのをよく覚えていますよ」ロビーにあるジュースの自動販売機が1回目の休憩で売切れになってしまい、すぐ補充しても次の休憩までにジュースが冷え切らないため生ぬるいジュースで我慢してもらったという。「今から思えば、ドラえもんとゴジラで支えられていた時代でしたね」 |
絵看板をくぐるようにビルに入り、階段を上がるとエントランスの向かいに小さなチケット窓口が。効率化を図るため受付とチケット売り場を一体化する映画館が多くなった現在、独立したチケット窓口があるのも珍しい。清掃が行き届いたロビーを抜けて場内に入ると、まず天井の高さに驚かされる。ビルの中とは思えないほど広々とした空間は、正に昭和の映画館そのものだ。また、フィルム上映を行っているこちらは今でも二台の映写機によってフィルムを掛け替えして上映されている。70歳を越えるベテランの映写技師は1台の映写機にトラブルが起きても1台のみでフィルムを流して上映出来る神業的な技術を持っているという。
『明石東宝』から1キロほどで神戸市に入るため明石市内に限らず神戸市の西区や垂水区から訪れる方や、淡路島の岩屋から船に乗って(乗船時間は約15分)来場されるお客様が多い。年輩の方と小さなお子さん連れのファミリー層に支持され、朝早くからご近所のお客様が列を作りチケットを購入される光景が見られる。そんな多くの人々に慕われてきた街の映画館『明石東宝』も今年の9月で閉館されるという。明石駅前再開発事業の一環で、この一画が取り壊され、平成28年に地上6階建てのビルになるのだ。「そこに映画館として入る…という選択肢もあったのですが、今のご時世で1スクリーンだけでは難しいという事で撤退する決断を下しました」このニュースに常連のお客様からも驚きの声が上がっている。「ここ数年はシネコンに比較的掛からない作品や上映期間が短かった作品を中心に上映してましたから、お客様から“見逃してしまった観たい映画をやってくれているからありがたい”とご好評を得ていただけに申し訳ない…という気持ちです」 戦後、地元の映画ファンに親しまれてきた映画館がまたひとつ姿を消す事になった。取材時には具体的な閉館の日程やラストショーの作品は決まっていなかったが、きっと絵看板があった映画館として多くの人々の記憶の中に映画の思い出と共に残る事だろう。つまり、映画館で映画を観る…というのは、そういう事なのだ。(2013年8月取材) |
【座席】 221席 【音響】 SRD 【住所】兵庫県明石市大明石町1-6-7明神ビル2F 【電話】078-912-3722 |