信州・岡谷からJR飯田線で揺られること1時間弱。東に南アルプス、西に中央アルプスという2つのアルプスに抱かれる街—伊那市がある。天竜川と三峰川沿いに広がるこの地域は、江戸時代より文化・学問の地として知られていた。澄み切った空気に包まれた小さな駅に下り立つと、夏でもひんやりとした心地良い風が頬を撫でてゆく。駅から天竜川方面に向かって徒歩10分足らずの場所に、『伊那旭座1』と『伊那旭座2』が建っている。 |
運営するのは、古くから地元の興行を手掛けて来たタバタ映画(有)。今でも二階席が現役で残っている『伊那旭座1』の前身は明治時代に創業された芝居小屋から。立ち上げたのは伊那市周辺で興行を手掛けていたタバタ映画(有)初代社長である故・田畑耕氏。その後、昭和21年に戦争から復員してきたばかりの弟—後の二代目社長となる—故・固次郎氏が映写技師から下足番(二階が座敷だったため)、チラシ貼りといった雑用に至るまで何でもこなしていたという。そんな固次郎氏も先日、急逝され、現在はご子息の田畑弘司氏が三代目として伊那市に残る映画文化を守り続けている。 |
大正から昭和初期に掛けて芝居の合間に年5〜6本の映画を上映していたが、専門の映画館となったのは戦後間もなく。「ですから今でも隣接する『伊那旭座2』と結ぶ通路に芝居小屋だった頃の名残りがあるんですよ」と案内されたのがちょうどスクリーンの裏手に位置する場所で、板張りの壁面には当時の歌舞伎役者の名札が掛かっている。現在もスクリーン前の広いステージの下には、人力で動かしていた回り舞台が手つかずのまま眠っているという。「芝居小屋だった頃の2階席は、コの字型になっていたので、400人以上の観客が収容出来たそうです。当時の伊那市にはそれだけの人数を収容出来る施設が無かったから芝居だけではなく実演や歌謡ショーも一手に引き受けていたようです」と弘司氏は語る。当時は天竜川がもっと近くに流れていたため、劇場の前に川から水を引いて、広いスケートリンクが設けられ、市民の憩いの場になっていたという。 現在の『伊那旭座1』は、大正2年に建築された建物を基礎として、ちょうどシネマスコープが導入された昭和32年に大リニューアルを行っている。「2階席の床材には水を掛けても腐らない栗の木を使って、社長と一緒に社員全員で張り替えしたんですよ」と語ってくれたのは、映写技師から場内のメンテナンスまでを任されている西村健一氏。元々畳敷きだった床に板を貼付け、114席あるイスを木ねじで固定するなどを自前で行ったという。「昼間は映画の上映、夜に工事…と寝る時間も無いほどだったのですが…」と当時を振り返る西村氏。「これは経費節約だけではなく、ひとつひとつ手間ひま掛ける事で自分たちのためにもなる…と先代が申しまして、何でもかんでも業者に頼むのではなく自分たちの劇場は自分たちで手を掛けよう…という意味でもあるんですよね」ロビーは昔と変わらぬタイル敷きの床になっており、中央の売店には懐かしい陳列ケースが…そして、場内に入るとスクリーンの大きさにまず驚かされる。 |
2階席に座ると目の前に巨大なスクリーンが広がり、臨場感溢れる映像体験が出来るのだ。昭和40年前後から映画の斜陽が囁かれ始め、次々と近隣の映画館が閉館していく状況が続く中、救世主となったのが昭和49年に公開された“タワーリングインフェルノ”だった。年間250本を上映して4〜5本当たれば良い時代と、されていた時代にパニック映画ブームを巻き起こし、再び映画館に観客が戻ってきたという。それまで伊那駅前にあった洋画専門館として人気を二分していた“伊那中央劇場”が、昭和47〜8年頃に成人映画専門館となった事に伴って全配給会社の作品を『伊那旭座1』で、扱うようになった。現在は、通常興行の他にも、“伊那シネマクラブ”という地元の映画ファンによる自主上映の団体が毎月休館日に当たる第二火曜日の夜に上映会を開催。通常の興行では掛からない単館系の作品を中心に上映する等、既に上映本数300本を越える映画ファンの交流の場となっている。 |
「昔の映写機は良かったですよ。カーボンを焚いて光を発するアーク灯でスクリーンに投影すると素晴らしいツヤのある色が出ましたからね。色の良さは現在以上でした」と振り返る西村氏は、映写する際の色の再現を細部に至るまでこだわり続けている。「最新の映写機はシステム化されて、ボタン一つ押せば簡単に映せるものだから、細かい調整をする人が少なくなった」と嘆く。一昨年、コチラでは懐かしい日本映画の名作を上映するといったイベント興行を開催。若者から年輩まで幅広い世代が名作に涙した。それは、映写にこだわる西村氏の手でスクリーンに名作を甦らせた瞬間だった。(2009年10月取材) 【座席】 352席 【音響】DS 【住所】長野県伊那市荒井3400番地 |
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