昭和39年に公開された“ビートルズがやってくる ヤア!ヤア!ヤア!”には多くの女性ファンが押し寄せ、一日の入場者数3005人という記録を打ち立てている。天神に地下街が完成し、大勢の買い物客で賑わいを見せた昭和51年には“キングコング”で初の封切上映を行ない話題となった。そして平成元年に『ソラリアシネマ』という館名で3スクリーンを有する豪華な内装の映画館としてリニューアルオープンする。当時は九州初のボディソニックシステムを導入した『シネマ1』とミニシアター『シネマ3』が東宝洋画封切館、『シネマ2』が“センターシネマ”の体制を引き継いだ再映館だった。ちなみにオープニング作品の“レインマン”は、いきなり175日間のロングランヒットとなった。他にも通常興行だけではなく平成3年より開催されている“アジアフォーカス 福岡映画祭”の会場としてアジア地域の映像文化発展に寄与しているのも特長のひとつだ。最初の構想から映画館が入る前提で設計されているためか、ビルの中にある劇場とは思えない程、天井が高く開放的な空間が実現している。全ての場内に共通している天井から下がっている豪華な照明が特徴的だ。交通の便が良く近隣に数多くの商業施設が建ち並んでいるためだろうか20代から80代まで幅広い年齢層の女性客に支持されている。
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「3年前から全てのスクリーンは自主編成するようになったので、作品の選定も女性を意識した単館系が多くなってきましたね。また、年輩のお客様に好評なのがやはり“センターシネマ”の印象が強いのでしょうか…再映作品が人気なんですよ」と語る山崎氏だが、その言葉を物語るエピソードがある。“ゴースト ニューヨークの幻”の再映を行なった時にはムーヴオーバーで1億円の興行収入を記録したのだ。「再映作品の選定は我々劇場のスタッフが任されていますので、出来るだけ皆さんが見逃してしまった良質の作品を拾い上げて提供するようにしています」今では再映作品を1本から2本に上映回数を増やし、平日の朝から年輩の女性グループやご夫婦が列を作るほどの盛況ぶりを見せている。「ウチの劇場はシネコンが出来るまでの過渡期にリニューアルしましたから、古い体制の映画館から新しいスタイルの映画館へと移行する橋渡しの役割を果たしたのかも知れませんね」と振り返る山崎氏は、映画が好きで…というよりも映画館の業務が好きでこの業界に入ったという。「もしかすると映画館というのは、贅沢な時間の無駄使いになる場所かも知れません。お客様が観た映画を面白いと感じていただけるかどうかはお客様によって違うものですよね」と山崎氏は語る。
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