かつて名古屋駅前に市民から絶大な人気を誇っていた映画館があった。昭和32年の創業以来、松竹洋画系をメインに数多くの名作・話題作を送り続けた“ピカデリー1・2・3・4”だ。設立時は客席数約1000席を有する大劇場“アロハ映劇”と“セントラル劇場”の2館体制でスタート。昭和35年に“アロハ映劇”は“テアトル名古屋”と館名が変わり、こけら落としの“ベン・ハー”は過去最多の動員記録を打ち出した。当時では珍しく全席指定の完全入れ替え制を採用、7ヶ月というロングラン興行にも関わらず客足は衰えることがなく連日満席でチケット売り場にはダフ屋まで現れたそうだ。 |
その後、昭和42年に“テアトル名古屋”は“シネラマ名古屋”と館名が変更される。劇場名にピカデリーの冠が付いたのは昭和63年のこと。平成9年、10年にはスクリーン数を4つに増やして“ピカデリー1・2・3・4”で再スタートを切る。名古屋駅前にあった映画街のオピニオンリーダーとして松竹・東急系の話題作を送り続け、歴代のヒット作を振り返ると“アラビアのロレンス”や“E.T”が上位にランクインされている。そして平成15年1月30日には、同じく駅前の老舗映画館だった“名古屋グランド劇場”(現在の“ミッドランドスクエアシネマ”)の閉館に伴いセンチュリー豊田ビルの2階に“ピカデリー5・6”がオープン、6スクリーン体制で営業を開始するも平成22年3月に“ピカデリー1・2・3・4”の入っていた名駅前・三井ビル北館の老朽化に伴い52年の歴史に幕を閉じる事となる。閉館時に行われたフィナーレ上映会には連日昔ながらのファンが訪れ、長年親しんできた劇場との別れを惜しんでいた。 そして、館名を新たに『名古屋ピカデリー』となって老舗劇場の看板を受け継いで営業を行っている“ピカデリー5・6”は名古屋駅前という好立地に恵まれて幅広い年齢層のお客様が訪れている「やっぱり名古屋の映画街は昔から駅前だったんですよね。シネコンだから郊外というのではなく誰でも気軽に来ることが出来て、映画を観た後、街で買い物や食事をしてもらう…そういった映画館を目指しているのです。」と語ってくれたのは支配人の森裕介氏。東宝、東映の邦画を中心とした番組編成によって、車を運転されない年輩層と中高生に根強い人気を誇っており、今年公開された高倉健主演作“あなたへ”には連日多くのお客様が来場されて、リニューアル後の動員数第一位を記録している。
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同様に中高生向けの恋愛映画の動員数が好調で、“恋空”は予想を遥かに上回る来場者を記録したという。「ちょうど同じ日“ALWAYS三丁目の夕日”の続編が公開されて、どこの劇場もそちらに主力に置いていたのですが、逆にウチでは“恋空”を旧ピカデリーの一番大きい600席の劇場で上映したところ、正に駅前の強さが効果を発揮して中高生が多く来場してくれまして、全国でも上位を争う動員記録を作りました。このように編成が成功すると嬉しいですよね。」また“おくりびと”の初公開を71席の“ピカデリー4”で行った翌年、アカデミー賞を受賞後の凱旋興行を行うと600席の“ピカデリー1”でも朝から立ち見が出来るという現象が起こり、正に駅前だからこそ出せた記録だと森氏は自負する。 |
最近行なわれた日活ロマンポルノの特集上映時には多くのお客様が来場されて、お客様の中にはセレクトされた作品について熱心に語られる常連さんもいらっしゃったそうだ。「帰り際に懐かしむ方もいれば、初めて接して驚かれた方もいたりして、こういうのを生で感じられるのは楽しいですよね」子供の頃から駅前で映画を観続けていた森氏にとってピカデリーの名前を受け継いだ劇場で仕事をする事に対して特別な思いがあるという。 |
「映画館がたくさんある名古屋駅前映画街で、すっと中核を担っていました。どんどん映画館が閉館していく中で創業以来駅前で興行を続けて来た…という自負もあります。そういった意味でも色々なお客様のニーズにお応えしたい。例え名前は変わったとしても、今までやってきた精神や映画にかける魂は変わらず継承していきたいと思っています」現在、若い世代の映画離れが取り沙汰されているが、交通の便が良くて来場しやすい駅前の映画館で中高生が観たい作品が掛かっている事が重要であり、その土壌作りを行っているところだと森氏は語る。4年後には駅前に7スクリーンを有するシネコンをオープンする計画もあり、形は変われども駅前映画街の精神は変わらず受け継がれているようだ。(2012年9月取材) 【座席】 『スクリーン1』221席/『スクリーン2』221席 |
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