太田真博監督作品の登場人物たちに、妙に“生っぽさ”を感じる。まるで観客である自分が、その場にいるかのような錯覚に陥るのだ。太田氏が監督として本格的に乗り出した『ドリブラー』(現在、太田監督が代表を務める“ガノンフィルムズ”第1作目)や、近作『笑え』に出て来る俳優たちから発せられる言葉は一体どこまでがセリフなのか…皆目見当がつかない。だからこそ、画面に惹き付けられるのだが。それもそのはず『笑え』には、シナリオが存在しない。事前に骨子のストーリーと各人物の役割設定については綿密な話し合いが行われているものの、後は全て出演者たち自身が見つけ出した演技をフレームに収めていくことに徹する。“完全即興映画”スタイルで作られているのだ。キーになるセリフや動きは指定しますが、そのほかは、とりあえず役者に思うまま演じてもらいます。違ったらもう一回やればいいんで。僕のイメージを最初から与えることはしませんね。役者自身がそれを自分でつかむまで、ヒントを言い続けるだけです。役者が自分で見つけてそれを体現するときのほうが、本当の瞬間が生まれやすいんですよね」と語る太田監督の信条は、“役者至上主義”。映像はキレイでも役者の演技が上手く引き出されていない映画が多い事に不満を抱き続ける太田監督は「僕は役者をちゃんと撮りたいだけなんですよ。それが唯一他の人に負けないところだと思っています」と語る。

 こうした映画に対する思いは、撮影現場にも表れており、通常はカメラマンがアングルを決定する時に役者の立ち位置を「もう少し前に…」とか注文するものであるが、太田監督はスタッフの都合だけで役者に芝居を変えさせる事はしない。「いい芝居をしている役者が自分で選んだ立ち位置なら、何よりも優先してあげたい。役者がそう動くなら、じゃあこっちからこう撮ろうと考えるほうがはるかにいいものを引き出せるんです」と太田監督は語る。その考えの根底にあるのは“役者がつまらない映画はつまらない”という事だ。太田監督の現場には画コンテがない。『笑え』の現場でも大まかな指示を与えたら、俳優自身に自由に動いてもらい、撮り方はその動きを見てから決めるという撮影方針を一貫して貫く。「役者の無防備な瞬間を撮りたい」とも語る太田監督。「作品が評価されれば役者のおかげ。作品がダメだと言われれば僕のせい」という意気込みで常に映画作りに挑んでいるという。太田真博監督作品から感じられる登場人物の“生っぽさ”というのは、役者が“生身の人間”として演じているからだろう。

 元々、役者をやっていたという太田監督は、ある時、自分が出演していた過去の作品を振り返ると“似たような役ばかり”やっていた事に気づいた。「僕自身がパッと見こういう性格ですから、どうしてもみんな大好き、みたいな人の良さそうな役ばかりやってたんですよ(笑)」もっと暗い役をやってみたくなった太田氏は、自ら脚本を書き上げ、主演・監督の短編を完成させてしまった。そしてその作品を観た熊切和嘉監督(『ノン子36歳(家事手伝い)』)から「役者より向いているんじゃないか?」と言われ、太田氏の心の奥で静かに灯っていた監督魂が燃え上がった…というわけだ。太田監督の映画作りにおけるこだわりは、ここからスタートしているのかもしれない。


1980年東京都出身。私立開成高等学校卒業。
2005年より1年間、「ENBUゼミナール熊切和嘉クラス」にて映画制作を学ぶ。卒業後、自主映画制作を続ける傍ら、TVCMディレクターとしてのキャリアをスタートさせ、コスモ石油「クリーン・キャンペーン2008」篇、同「富士山クラブ」篇、同「野口健講演会2007」篇などを手掛けた。2009年、『笑え』(2008年/主演:滝藤賢一)、『ドリブラー』【2009年版】(2009年/主演:滝藤賢一)が相次いで劇場公開。ほか主な監督作に『狐に小豆飯』(2008年/主演:近江谷太朗)、『まわる』(2008年/主演:滝藤賢一)、『マリッジ・グリーン』(2009年/ドキュメンタリー)がある。福井映画祭2008、TAKE∞2008において観客賞を受賞する他、中之島映画祭2009、ショートショートフィルムフェスティバル2009など様々な各地映画祭にて監督作が上映されている。
【監督作品】

平成19年(2007)
ドリブラー

平成20年(2008)
まわる(短編)
笑え
狐に小豆飯(短編)

平成21年(2009)
マリッジ・グリーン(短編)
ドリブラー【2009年版】



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