リュミエール兄弟の手によるシネマトグラフがパリで初公開されたのが1895(明治28)年12月28日。明治29年に日本で「のぞきめがね」と呼ばれる活動写真の元祖が登場して、翌年の明治30年…京都市内を流れる加茂川と並走する水路・高瀬川沿いで、実業家・稲畑勝太郎氏が神戸港に持ち込んだシネマトグラフで試写を行い、この場所は日本映画発祥の地と呼ばれるようになった。まだ見世物としての動く写真だったが、やがてその映像に物語がつき、数多くの美男美女が小さなスクリーンに映し出された。明治42年には神戸の新開地で、活動写真館の『電気館』と『日本館』が設立された、かの淀川長治先生は少年時代に映画館を学校として人間教育を受けたと語っていた。当時のパンフレットは粗悪な紙に印刷された映画館で無料で配られており、それを後生大事に持ち帰って家で眺めていたとラジオで話されていたのを覚えている。
昭和53年に日本映画テレビプロデューサー協会から定価で5,500円もする昔のパンフレットを掲載した『懐かしの復刻版 大正から戦中までプログラム映画史』という書籍が発売され、迷うこと無く購入した。印象的だったのはパンフレットの内容を事細かに書かれた資料も勿論だが、この書籍に寄稿されていた映画評論家や映画関係者の人々が、パンフレットの思い出と共に映画館の思い出をセットで語られていたことだ。帰り道、何度も何度もパンフレットをめくりながら今観てきた映画を反芻する。まだレンタルビデオも無い時代…唯一映画を自分のものに出来たのがパンフレットだったのだ。

※記載の年代は日本公開年。製作年はタイトル横に表記されています。


 


■ガス燈 (1944年アメリカ)


■黄金 (1948年アメリカ)


■哀愁 (1940年アメリカ)
■若草物語 (1949年アメリカ)