昭和50年(1975年)11月1日。東映京都撮影所が誇る時代劇のオープンセットを一般公開出来るレジャーランド施設として『東映太秦映画村』が誕生した。映画は勿論、テレビの時代劇でお馴染みの長屋風景や大名屋敷等が現物大で見る事が出来る。ここから、数多くの名作が誕生し、「時代劇は東映」…と、他の追随を許さない程の名作が作り続けられた。勿論、現在もテレビの時代劇等で使用されている現役で、運が良ければ撮影風景を見学出来るかも知れない。深作欣二監督『蒲田行進曲』は正にココ太秦が舞台となっており、リアルな撮影所の様子を見る事が出来る。

 昭和30年代には戦後GHQより禁止されていた時代劇も復活し、堰を切ったかのように時代劇が量産されて、東映京都はスタッフが寝る暇も無い程の盛況ぶりを見せていた。『笛吹童子』や『新諸国物語』等々…時代劇のヒーローに子供から大人まで熱狂したのだ。ところが、昭和30年代後半になると時代劇も次第に減少の一途をたどり、東映の主軸は東映東京の任侠映画にすっかり移行してしまう。昭和40年代に入ると時代劇はスクリーンから姿を消してしまい、テレビに移行してしまった。“水戸黄門”や子供向けの時代劇“仮面の忍者赤影”等テレビ時代劇は視聴率を伸ばしていった。そんな中、異彩を放ったのが東映ポルノ時代劇の登場だ。一般作品はテレビの普及のおかげで斜陽の時代を迎えていたのに対し、活気に溢れていたのはピンク映画。東映は、映画で殆ど使われなくなった時代劇の衣装やセットを活用して豪華なポルノ映画を製作したのである。


 それでも昭和40年代後半になると映画産業そのものが斜陽の時代を迎え、東映京都も映画製作本数が激減する。『東映太秦映画村』は映画の世界を体感出来る娯楽施設として予想を遥かに上回る来場者を記録。撮影風景の見学は勿論、千葉真一率いる“JAC”によるアクションショーが開催される等、様々なイベントも目玉のひとつとなった。また、屋内施設として“ロケーションスタジオ”で行われるセットの中に観覧席を設けて、映画の撮影について本物のアクション俳優が説明してくれる。最近では夜、映画村を貸し切る事が出来る新サービスを開始。夏には怪談イベント、秋にはコスプレイベントを開催する等、様々な試みを展開している。

 JR京都駅から“嵯峨野線”に乗って花園駅か太秦駅で下車。もしくは阪急四条大宮駅から“京福電鉄嵐山本線”にて太秦広隆寺駅下車。どの駅からも12〜16分前後で行く事が出来る。

東映太秦映画村
京都市右京区太秦東蜂ヶ岡町10
電話番号:075-864-7716
イベントガイド:075-864-7788
東映太秦映画村オフィシャルサイト

 



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