「桜が咲いております。懐かしい葛飾の桜が今年も咲いております。思い起こせば二十年前つまらねえことでオヤジと大喧嘩。頭を血の出るほどぶん殴られてそのままプイっと家をおん出て、もう一生帰らねえ覚悟でおりましたものの、花の咲く頃になると決まって思い出すのは、故郷のこと、ガキの時分ハナッタレ仲間を相手に暴れまわった水元公園や江戸川の土手や帝釈様の境内のことでございました。」

 記念すべき『男はつらいよ』第1作は、春の江戸川をバックに渥美清演じる我らが寅さんのモノローグから始まった。浅草から京成電鉄で30分足らず…京成高砂で京成金町線という短い車両の電車に乗り換えて2つめ。電車がホームに滑り込んだ途端に『男はつらいよ』の世界が目の前に広がる。“柴又”駅のホームは、マドンナにフラれた寅さんが失意の中で旅に出て、それを妹のさくらが心配それに見送るシーンが数多く撮影された、まさに寅さんの故郷の玄関口だ。駅に降り立つと駅前の広場に寅さんの銅像が立っている。顔を帝釈天の参道に向けている姿は、旅に出ようとする寅さんが、“とらや”に後ろ髪を引かれて振り返っているのをイメージしているそうだ。柴又駅は、明治32年帝釈人車鉄道(後の帝釈人車軌道)の駅として開業。昭和20年京成電鉄の駅となり、平成9年に瓦葺き風の駅舎が評価され関東の駅百選」に選定された。

 駅から歩くこと3分程で帝釈天の参道入り口に到着。あれほど全国的に有名な場所となり、多くの観光客が訪れるようになったにも関わらず、参道は昔とさほど変わらない佇まいを見せている。


 参道の突き当たりに見える帝釈天の二天門。この通りを寅さんやさくらは何往復したことだろう。帝釈天に向かって歩いていると、御前様とすれ違うのではないかとさえ思えるほど映画そのままの風景が広がる。おや?さっきねじりハチマキをした越後屋さんが自転車で通って行ったぞ…と錯覚に陥る程、柴又はまるで町ごと『男はつらいよテーマパーク』のようだ。

 東京都葛飾区東部、江戸川に臨む地区。江戸川・中川間の低地で、古くは入り江でいくつかの島が点在したことから嶋俣(しままた)とよばれ、その後、柴俣、芝又と記され、寛永6年に創建の題経寺(柴又帝釈天)の門前町として知られるようになった。江戸時代、柴又は“葛西3万石”の米所であり農家では、よもぎと混ぜ合わせて草団子を作っていたという。参道に草団子屋が多いのも、そのためかも知れない。帝釈天のほか柴又八幡社、矢切の渡し、川魚料理で親しまれている。映画でお馴染みの川魚料理の“川千家”で、寅さんよろしく鯉こくと熱燗の日本酒で昼間から、ちびちびやる。“とらや”のベースとなった“高木屋老舗”で映画のワンシーンを思い浮かべながら草団子をつまみお茶をすする。

 そんな柴又を後にする時、寅さんのこの言葉が頭に浮かぶ。「今こうして、江戸川の土手に立って生まれ故郷を眺めておりますと、何やらこの胸の奥がぽっぽと火照ってくるような気がいたします。そうです…私の生まれ故郷と申しますのは東京は葛飾の柴又でございます。」

 



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