泪壺
彼と出会ったあの日を、私は今も生きている。
2007年 カラー ビスタサイズ 110min アートポート、本田エンターテインメント
製作 松下順一 企画 加藤東司 プロデューサー 小貫秀樹 監督 瀬々敬久 原作 渡辺淳一
脚本 佐藤有記 撮影 鍋島淳裕 音楽 清水真理 照明 三上日出志 美術 松本知恵
編集 滝沢雄作 録音 小宮元 主題歌 沢田知可子
出演 小島可奈子、いしだ壱成、佐藤藍子、西村みずほ、染谷将太、高山沙希、柄本佑、蒼井そら
佐々木ユメカ、七世一樹、三浦誠己、及川以造、菅田俊
乳がんに冒され、若くしてこの世を去った愁子。最愛の妻の遺言に従い、彼女の遺骨から美しい壺を作り上げた夫・雄介。そして、20年間彼の事を想い続ける、愁子の姉・朋代。妻の骨を使っての壺焼の過程で偶然できた愁子の泪のように見える白磁の花瓶「泪壺」をめぐり、男女の愛と死のかたちを描く、渡辺淳一の短編小説を映画化。彼らの7年間とともに、原作では語られなかった3人の少年・少女時代を丹念に交錯させる構成を取ることで、珠玉の文芸ロマンスに仕上げたのは、瀬々敬久監督。“ピンク四天王”の1人として注目され『MOON CHILD』『ドッグ・スター』等の一般作でも国内外で高い評価を得ている彼が『刺青 堕ちた女郎蜘蛛』に続き、純文学を新たな解釈で映像化している。脚本を担当するのは瀬々監督に見出され数々の作品でコンビを組んで来た佐藤有記。エンディングテーマを歌うのは“会いたい”のヒットで知られる沢田知可子。不徳の愛ゆえに迎える悲劇の物語でありながら、詩情豊かな歌声が、人を愛することの素晴らしさやノスタルジックな感動を呼び起こす。身は清らかながら心揺れ動く主人公・朋代を演じるのは、本作が映画初主演となる『菊次郎の夏』『ピカレスク』の小島可奈子。復帰第一作となる本作では大胆で過激なベッドシーンにも挑戦しており本格女優への道を一歩踏み出したと言える。また、雄介役をミュージシャンとしても活躍するいしだ壱成、愁子をテレビドラマやバラエティ番組の司会等で活躍する佐藤藍子が各々熱演している。
※物語の結末にふれている部分がございますので予めご了承下さい。
17歳の夏、渡した壺を持つ手が触れ合い、朋代(小島可奈子)は雄介(いしだ壱成)に恋をする。そんな朋代の気持ちを知らないまま雄介は、朋代の妹・愁子(佐藤藍子)と結ばれる。雄介への想いを封印した朋代だったが、愁子は乳がんに侵され、若くしてこの世を去ってしまう。愁子は生前「自分が死んだら遺骨で壺を作り、ずっとそばにいさせてほしい」と雄介に語っていた。雄介は愁子の願いを叶えるため著名な陶芸家(及川以造)に壺の製作を頼み込む。そして、壺は完成するのだったが、その壺には朱色の傷がついていた。雄介はそれを愁子の泪だと確信する。愁子の四十九日、父・周吾(菅田俊)に雄介に対する気持ちを悟られた朋代は、その晩、同僚の教師と関係を持ってしまい処女を失う。それから2年後、教師を辞めた朋代は愁子の墓の前で女性を伴って墓参りする雄介と再会する。亡き妻を思いつつも新しい人生をスタートさせようとする雄介に朋代は苛立ちを覚える。その晩、かつての教え子とスナックで偶然出会った朋代は酒の勢いも手伝って彼をホテルへと誘う。一方、雄介も昼間に再会した朋代の事が忘れられずにいた。月日が流れ、雄介は朋代に対して自分の本当の気持ちに気付くのだったが…。
人って初恋の人をどこまで想い続けていられるだろうか?想い続けるという事は思い出とは違う。想い続けるというのは、その人にとっては現在進行形の事だ。本作の主人公・朋代は少女時代に出会った少年に恋をする。これが初恋だと本人は気付かずに数年の歳月が流れる。多分、このまま二人が再会しなければ単なる思い出で終わっていたかも知れない。しかし、彼女の妹・愁子が彼と結婚したことによって朋代の想いは変化する事なくそのままの形で凍結する。近くに初恋の相手がいながら決して成就する事がない想い…現在進行形のまま、彼女は成人する。渡辺淳一の小説は『失楽園』や『愛の流刑地』のように激しい情念に身をゆだねる男女を描いている作品が多い。だからだろうか、初恋の男性を一途に思い続けてきた女性の姿を少女の頃から淡々と描くこの映画を観て渡辺淳一らしくない作品だ…という印象を筆者は抱いた。激しい性描写はあるものの、そこには常に朋代の悲しみが存在しており、身を焼き付くすような男女の盛り上がりはない。彼女は、妹が癌で死んだ後も彼女は男の元に走ることはしない。その想いを掻き消すかのように同僚の教師や昔の教え子と体だけの関係を結べば結ぶ程、どうにもならない焦燥感が積もる。朋代を演じる小島可奈子は文字通り体当たりの演技を披露。それまで彼女の出演作に接していながら印象が乏しかったのが信じられない程。演技もさることながら彫刻のような裸体の美しさは奇跡としか言いようがない。二十歳を過ぎても男性経験がないという彼女が、初恋の相手ではなく別にどうでもいい同僚の教師に初めて肌を見せ、処女を喪失してしまう。この場面の彼女は最高に儚く美しい。この映画は小島可奈子がいなければ成り立たなかったであろう。
一方、男は癌で亡くした妻の遺骨から壺を作り、自分の身近に置いているのだが、それほどまでに妻を忘れられないのかというと数年後、妻とは正反対の女と付き合っている。いしだ壱成演じる雄介という男は、朋代と違いその時々に流されるような男だ。妻の骨で作った壺を置いている部屋で他の女とセックスをする…そんな自分の心の置き場が見つけられない男は、朋代の気持ちなんて気付くはずもない。きっとこの男は、ずっとそうだったのだろう…妻・愁子が自分の遺骨で壺を作って傍に置いて欲しいと願ったのも、死の淵で姉の気持ちと夫の性格を読み取ったからではなかろうか。結局、男は全てにおいて後手に回り、掴みかけた真実にも見放されてしまう。
小説を映画化する場合、短編の方が映画的にオリジナリティを出しやすいというのはよく言われている。本作も渡辺淳一の短編であり、原作にはなかった三人の高校時代…朋代と雄介が出会った頃を全体の3分の1を占めるほど丹念に描いている。おかげで、朋代の想いの深さが原作以上に伝わってくる。湖に浮かぶボートに横たう姉妹を水中から覗き込む少年の姿は、まるでジェームズ・アイボリーの英国文芸映画のようだ。こうした、瑞々しい映像で姉妹と少年のほのかな感情の揺れを表現している。特に目を見はるのは母親の形見の壺を割ってしまい父親に殴られた朋代が雨の中一人泣いている廃校舎の場面。後を追いかけてきた雄介がハンカチを差し出す。泣いてないと、強がる朋代に「雨に濡れているから…」と言ってハンカチを渡す。なんて可愛らしいラブシーンだろうか。そして朽ちた校舎の中からピアノの音が聞こえてくる。幽霊の噂がある校舎に入ると雨の滴が鍵盤をたたきメロディーを奏でていた…詩情溢れるこの場面を観て、瀬々敬久監督は、この場面を始まりとして描きたいが為に原作にはない3人の高校時代を書き起こしたのでは…などと勝手に推測したくなる。過去を単なる回想シーンに止めるのではなく、現在と過去を複雑に交錯させることによって、朋代の心境が痛いほど伝わってくる。全てが終わった後、エンディングに流れる沢田知可子の歌が切なく響く…純愛映画の秀作である。
「朋ちゃん、どこ行くの」父に叱られ泣きたくなると泪を見せないために走る習慣がある朋代。家から飛び出す朋代に、そう問いかける妹・愁子に対して、初恋の男の子が暮らす街の名前をつぶやく。「東京…」