青い鳥
大人は、みんな、十四歳だった。
2008年 カラー ビスタサイズ 105min デスティニー
制作 川越和実、遠藤義明 監督 中西健二 脚本 飯田健三郎、長谷川康男 撮影 上野彰吾
美術 金田克美 音楽 まきちゃんぐ 照明 赤津淳一 録音 柴山申広 編集 奥原好幸
出演 阿部寛、本郷奏多、伊藤歩、井上肇、岸博之、重松収、中帆登美、山賀教弘、長峰あや
杉崎真宏、太賀、鈴木達也、高田里穂、山崎和也
本作は平成19年7月に刊行された重松清著の連作短篇集『青い鳥』の中から、その表題作(初出:小説新潮2006年12月号)を映画化。吃音の臨時教師、村内先生と、彼が派遣されたある中学校の生徒たちとの交流を通し、今この国に顕在する中高生のいじめ問題に真正面から取り組んでいる。いじめによる子供たちの自殺が後を絶たないことへの、明確な分析や解決法を誰もが見つけ出せずにいるという昨今の状況を鋭く抉り、吃音という稀な造形を通して描かれる主人公が、自らのハンディキャップを決してマイナスに捉えるのではなく、「本気の言葉」で子供たちに語りかける彼の言動は、広く多くの読者たちに、大きな反響と静かな感動を呼んだ。吃音の教師役に挑戦した阿部寛は村内先生役を自然体で演じ、原作とは一味違った村内先生像を作り上げている。生徒のひとり園部役の本郷奏多は14歳の多感な少年を演じ真骨頂を築いている。監督は本作がデビュー作となる中西健二。主題歌は、ヤマハ・ティーンズ・ミュージック・フェズティバル全国大会に出場し、今年デビューを飾った20歳の新鋭女性シンガーソングライターまきちゃんぐ。オープニングとエンディングを切ないメロディと飾りのない言葉で作品の物語性をいっそう引き立てている。
※物語の結末にふれている部分がございますので予めご了承下さい。
新学期が始まった一見平穏で明るい生徒たちの登校風景の東ヶ丘中学。しかし前の学期、一人の男子生徒が起こした、いじめによる自殺未遂で校内は大きく揺れていた。家がコンビニを経営する野口は、級友たちに「コンビニくん」とあだ名され、何人もの生徒から店の品を要求されては、彼らに渡していた。そんな行為に耐え切れず自らの命を絶とうとした彼の遺書には「僕を殺した犯人です」と三人の同級生の名前が残されていた。マスコミは騒ぎ、教師たちは「生徒指導」の強化で、その事態を乗り切ろうとした。時間の経過と共に表面上は平穏を取り戻した学校だったが、そんなクラスに着任した一人の臨時教師・村内(阿部寛)のひと言「忘れるなんて、ひきょうだな」によってクラスは再び動揺する。そして彼は野口の机を教室に戻すことを命じ、誰もいないその席に「野口君、おはよう」と声を掛け続ける。一刻も早く事件を「解決」にしようとする教師たちの「指導」で、ひたすら反省を作文にし、野口とのことを忘れようとしていた生徒たちは動揺し、反発する。極度の吃音だった村内の言葉は生徒たちの心に響き、やがて学校全体と保護者にまで波紋は広がって行く。そんな村内を見つめる一人の生徒、園部(本郷奏多)は自分も野口にポテトチップを頼んだことで、深く傷ついていた。園部は自分の思いを村内にぶつける。野口がいつもおどけていたこと、頼まれることがむしろ嬉しそうで、必ず要求以上の品をもってきたこと。けれどそんな野口が、本当は自分に助けを求めていたかもしれないこと。訴える園部に、村内はその吃音を振り絞るように、静かに語り始めるのだった。
子供は、大人のやり方を見て学び、真似をする。大人の保護から飛び出そうとする時期にさしかかる中学生は、自分の中に大人のやり口を取り入れて、新しい自分を形成していくのだ。本作は、中学2年生のクラスでイジメが原因で発生した一人の生徒の自殺未遂事件が起きた中学校が舞台となっている。冒頭、青空の下普通に通学する生徒たちが映し出される。校門では、教師と数人の生徒が笑顔で「おはよう!」と出迎え、登校した生徒たちも友人と仲良く校門をくぐる。のどかで、理想的な学校の風景なのだが、どこか作り物っぽい違和感を覚える。そう、先生も生徒も判を押したかのように理想的な学校生活を演じているようにしか見えないのだ。それは、わざとらしく校舎に掲げられた「ベストフレンズ運動」という看板からも滲み出てくる。生徒の自殺未遂という事件に慌てた教師はイジメのあったクラスの生徒たちに400字詰めの原稿用紙4枚以上の反省文を書かせて、教師が読んで合格点に達するまで何度も書き直させる。“こう書けば世間は納得してくれるのだ”という安易な技術論を子供たちに植え付けているのだ。また映画のタイトルとなる「青い鳥」というゴミしか入れられない生徒のための悩み投函箱を校内に設置する無意味さ。一人の子供の自殺未遂のおかげで浮き足立つ大人たちのパニックがよく分かる。
主人公の臨時教師を演じる阿部寛は、彼特有のたたみかける演技を封印して、声を荒げる事なく朴訥とした演技で、生徒や仲間の教師たちに接する。彼が演じる村内は極度のどもりの持ち主で、その分、彼が発する言葉のひとつひとつには真実の重みが存在する。“反省”という2文字で片付けようとする大人(教師)と、“反省”したからと安心してリセットした生活を送る生徒たち。事件を忘れて表面上、平穏を保っている学校にやってきた臨時教師が、事件を忘れ去ろうとしていた彼らに揺さぶりをかける一言…「忘れるなんて卑怯だ」から本題がスタートする。その言葉の通り、本作で繰り返し語られるテーマは“忘れない責任”だ。つまり、本作で問題としているのはイジメそのものよりもイジメの後、残された者たちのするべき事である。
阿部寛から発せられる言葉には観客である我々も大小思い当たる節があり、時々ドキッとさせられる。中西健二監督は、本作がデビュー作とは思えないほど見事に観客の内面に入り込み、いつの間にか観客を生徒たちの中に放り込んでしまう。イジメを苦にした級友が遺書に「僕をイジメた犯人は…」と3人の名前を挙げており、その内の一人は自分ではないかと苦しみ続けている。イジメていた人間はそんな時の事まで考えておくべきであり、“反省文”を書いたからと言って忘れてはならないのだ。ラストで学校を去る村内が、もう一度書き直したいと思った者だけに“反省文”を書かせるシーンがある。枚数は問題ではない…自分の言葉で自分の気持ちを真剣に書く…生徒たちが机に向かって鉛筆を走らせる姿に感動してしまった。
「人が本気で生きていく中で、ゲームなんてひとつも無いんだ」 イジメにあっていた生徒の机を教室に持ち込んだ村内に向かって“これは罰ゲームですか?”と問いただす生徒に向かって言うセリフ。その通りである。