山桜
幸せへのまわり道―風雪に耐えて咲く山桜の下、男はひたむきに正義を貫き、女は熱い想いを胸に秘めた。
2008年 カラー ビスタサイズ 99min バンダイビジュアル、ジェネオン・エンタテインメント他
制作 川城和実、遠谷信幸、遠藤義明、亀山慶二 監督 篠原哲雄 原作 藤沢周平
脚本 飯田健三郎、長谷川康夫 撮影 喜久村徳章 美術 金田克美 音楽 四家卯也 主題歌 一青窈
照明 長田達也 編集 奥原好幸 録音 武進
出演 田中麗奈、東山紀之、篠田三郎、壇ふみ、富士純子、村井国夫、永島暎子、高橋長英
北条隆博、南沢奈央、樋浦勉、千葉哲也
失意の日々を毅然と耐えて過ごす人々を描いて今なお絶大な人気を集める、藤沢周平の時代小説。その作品はこれまでに何度もドラマや映画に映像化されてきたが、珠玉の短編として名高い“山桜”は、主人公を野江という女性に据えている点で藤沢文学の中でひときわ精彩を放っている。この“山桜”を、初の時代劇出演になる田中麗奈と3年ぶりにスクリーンを飾る東山紀之の主演で、みずみずしい感覚でたおやかに映画化。庄内の美しい四季と澄んだ空気の中で、野江は運命に立ち向かう。とりかえしのつかない道を選んでしまった絶望を越えて野江が光明を見つける物語は、現代に生きる私たちの胸を打ち、強い励ましを与えてくれる。主人公・野江には主演映画の公開が相次ぐ田中麗奈。真の強い凛とした女性像を見事に体現し女優としての新たな一面を見せた。正義感と誠実さに満ちた武士を凛凛しく演じるのは東山紀之。その立ち居振舞と殺陣の美しさには目を見張るものがある。二人を取り巻く人々にも実力派俳優陣が一堂に会する。心優しい父親を重厚に演じる篠田三郎、母親の深い愛情を表現する檀ふみ、悪役になりきった村井国夫、そして登場するやスクリーンに風格をもたらす富司純子。文庫本でわずか20ページほどの短編に描かれた人間ドラマが、最高のキャストを得て、奥行き深く、端正に、美しく映画化された。この原作を脚本化したのは、飯田健三郎と長谷川康夫。 監督は、田中麗奈の魅力を『はつ恋』で存分に引き出した篠原哲雄。本作で初の時代劇に挑んでいる。一青窈の歌声が力強い主題歌“栞”が、感動の余韻をいつまでも胸に残す。
※物語の結末にふれている部分がございますので予めご了承下さい。
江戸後期。北の小国、海坂の地。吟味役百二十万石・浦井家の長女・野江(田中麗奈)は、若くして最初の夫に先立たれ、勧められるまま、磯村家に嫁いだが、磯村家は武士でありながら蓄財に執着する夫と舅、野江を「出戻りの嫁」と蔑む姑に囲まれて、辛い日々を送っていた。野江は、叔母の墓参の帰り、山道で薄紅色の山桜の下で一人の武士に出会う。その武士・手塚弥一郎(東山紀之)は野江が磯村に嫁ぐ前、縁談を申し込まれた相手だった。弥一郎は密かに野江を慕い続けていたのだが、会うこともなく断ってしまったのだ。手塚弥一郎が、突然城中で藩の重臣、諏訪平右衛門(村井国夫)を斬ったのは、それから半年後のことだった。豪農と組んで農民を虐げ、私腹を肥やし続ける諏訪に対し、これまで藩内に声を上げる者はなかった。飢饉が続き、重い年貢を課せられて農民たちの生活が困窮する実情を目の当たりにした弥一郎はわが身を犠牲にして刃を振るったのだ。帰宅した夫からそれを聞き、愕然とする野江。夫の心ない言い方に、思わず手にした夫の羽織を打ち捨てたことで、ついに磯村家から離縁を言い渡さる。弥一郎には即刻切腹の沙汰が下ると思われたが、擁護する声も強く、藩主が江戸から帰国する春まで裁断を待つこととなった。雪に閉ざされた長く厳しい冬の間、野江は獄中の弥一郎の身を案じ、ひたすら祈り続ける。藩主の帰国まであとひと月となったある日、野江は手塚の家を訪れる。出迎えたのは、ただ一人、息子を待ち続ける弥一郎の母(富士純子)。彼女からの予想もしなかった言葉が野江を包み込み、その心を溶かす。それは野江の新しい季節の始まりだった─。
藤沢周平の原作が、ここ数年立て続けに製作されている。時代劇でありながら、当時の人々の生活感を丁寧に描いているところが今の時代に合っているのだろう。武士といっても、サラリーマンと同様に格差社会があり、実力よりも家柄やコネが優先されるのは何ら今の社会と変わらない。慎ましく暮らしている実直な平侍と、不正を働き私腹を肥やし続ける上級官僚の対比が現代社会に通じるものがある。昨今の藤沢周平の映画化といえば、山田洋二監督の『たそがれ清兵衛』や『武士の一分』が有名だが、篠原哲雄監督が手掛ける本作の方がより当時の生活を細部に渡って描いている。篠原監督は『深呼吸の必要』でもそうだったのだが、骨子となる物語と平行して、登場人物たちの食事や道具、仕事の様子(生活する空気感とでも言おうか…)を丹念に描く事で、物語に奥行きを与える事に成功している。このように、生活風景を描く方が、より登場人物たちの心境や心情を言葉で説明するよりも感じ取る事が出来るのだ。
本作が、山田洋二の描く3部作と決定的に異なる点は、女性が主人公である事だ。主人公・野江は、かつて嫁いだ先の亭主に先立たれ一度出戻り、今では再婚するものの嫁ぎ先で姑たちに冷たい仕打ちを受けている。状況を知る弟は離縁して戻って来いと言ってくれるのだが、家族に対する世間体を気にして、その踏ん切りがつかない。結婚に対する意識が変わらない限り、いつの時代も女性は同じ悩みを抱えているのだ。作中、主人公の伯母の話が幾度となく出てくる。かつて愛した人を嫁ぐ直前に失ってしまい、それ以後他の男性に嫁ぐ事なく死ぬまで独身を通した女性…。主人公とは対照的な人生を貫いた伯母という女性が画面上には姿を見せない(回想シーンを使わない篠原監督の自信に感服)にも関わらず、観客に大きな存在感を与える。
わずか20ページの短編を篠原監督は映画ならではの肉付けを行い奥行きのある美しい映像で、1人の女性の1年を描き切って見せる。四季の移り変わりを丁寧に画の中に取り入れる事で、単なる時間の移ろいだけではなく言葉には出来ない悲しみだったり、不安だったり…そして希望だったりを予感させてくれる。実に映画的手法を用いて様々な事を訴えかけてくれるのだ。冒頭、田中麗奈(立て続けに主演作が目白押し…と乗りに乗っている)演じる主人公・野江が東山紀之演じる武士・手塚弥一郎と出逢う春…薄紅色の花をつけた山桜を効果的に使い、二人の淡い気持ちを表現している―ちなみにタイトルになっている山桜が後半も重要な役割を担っている。また、不正の限りを尽くしていた役人を切った弥一郎が牢に入れられ沙汰を待つ場面は庄内地方の寒々しい雪景色が挿入される。藩内全ての人間が弥一郎の行動に賛同しているのだが、事は城内での人情沙汰。全ては江戸にいる殿の帰りを待って裁きを下す結論に至る。雪が溶けて春の訪れと共に殿の籠がやって来るところで映画は終わる。そうなのだ、その先をはっきり見せなくとも観客は、その映像で想像できるのだ。最近、こうした観客の想像力に委ねる作品が少なくなっているだけに嬉しくなるエンディングだ。
「あなたは、ちょっと回り道をしているだけです」田中麗奈演じる野江に、壇ふみ演じる母が優しく言うセリフ。